コメントへのご回答 4-1

108さんの動画『コメントへのご回答 4-1』のまとめ。

 

◆athushi suzuki(touwa-k)さん
九月のコメント回答は個人的に刺さるものが多く、何度も見直しています。
ありがとうございます。
108さんは風水や四柱推命などの占術はどのように捉えていらっしゃるのですか
運気やバイオリズムはあると思いますか。

参考元サイト:コメントへのご回答Ⅱその1

【108さんのコメント】
風水や四柱推命などの占術は前回お答えしたことと同じになるが、そんなメカニズムはない。

運気とかもそうだが、バイオリズムに関しては単純に内分泌腺の何ていうかリズム。
それは人間のリズムとしてあるもの。
わりと科学的なものなので運命とかいうこととはまた別。

マイナスからプラスにいき時とか、プラスからマイナスになる時がちょっと調子が変わるのでミスをしたり事故しやすいとかいうことはある。
昔はソ連のタクシー運転手(?)は、バイオリズムを参考に要注意日には勤務から外すみたいなことやっていたらしい。

個人差もあるだろうから。
体の内分泌腺の働きがちゃんとリズムとしてあるんだったら、それは科学的な裏付けがある。
占いとかそういうのとはまたちょっと違う分野かもしれない。

で、よくこのぐらい歳になるとみたいのあるじゃないか。
40歳とかその辺りでとかある。
統計的にある程度の歳になっていくと調子悪くなる、みたいのがデータとして積み重なってくると気をつけなきゃいけないみたいなのがあると思うが。
それは運勢とかいうのとはまた別。

体の、なんていうかリズムと言うか。
ちょっと調子が変わってくるようなホルモンの問題とか。
そういうふうになりやすいっていうのはあるかもしれない。

でも全員がそうなるわけでもないし、まあ統計的にそうだというだけのこと。
運命みたいに捉えるのは違う。
だからそういうのが昔の人の知恵で気をつけた方が良いよというなら、それなりに気を付けとけば備えあれば憂いなしで避けられるだろうなってことはいえると思う。

 

◆あみあみさん
デーブイデー、シーデーのくだりは一体何?!笑
昔のジャパネットたかたとか??

参考元サイト:コメントへのご回答Ⅱその2

【108さんのコメント】
昔じゃないです。
今やってるやつで「夢ポータブルDVDプレーヤー」みたいな。

夢グループというテレビショッピングの社長が出て毎回やってくれるんですよね。
よくBSとかで昔懐かしの映画とか、ああいうの観てたらだいたい出てくる。
ああいうの提供してくれてる。
私が観たい番組はだいたい夢グループの社長がスポンサーやってくれてるんで、もういつもありがとうと思ってるんですけどね^^
ただ、夢グループの商品は買わないだろうなと思いますけどwww

「ほんとほんと楽しめま〜す」ってねw
社長のあの明るさもいいじゃないですか。
なんかどうしても見たら笑っちゃうんですけどねw
いいと思いますね^^

 

◆るんるんさん
108さんの存在に昨年出会えて「そもそも充足しかない」という原理を知ることができたことが本当に毎日嬉しくて充足を感じて心配や不安が激減していっています。
心から毎日感謝しています!!!!ありがとうございます!!!

質問なのですが、大好きですっごく気が合う人とはやたらシンクロがあるのは振動数が同じだからですか?
相手に意識が届くというようなことは実際ありますか?
同時に同じことを考えてたり、飲み残しが全く同じ量だったり、遠くに離れてるのに同じような作りの部屋にいたり、、、
それと、シンクロを判断材料にしていいのでしょうか?
例えば引っ越しを迷ってる時にやたら引っ越し先の情報を聞いたり目にしたりというようなシンクロです。

参考元サイト:コメントへのご回答Ⅱその2

【108さんのコメント】
気が合うみたいなのある。
波長が合うみたいな。

それはお互いが持ってる振動数が近いとことは言えると思う。
だから波長が合う感じがするし、行動パターンも似てたりしてそういうシンクロが起きたりする。

>意識が届く
→と言うか「感応しやすい」と思う。
それは同じ振動数だから、相手がこう考えてるときに自分も同じように反応したりわかったりする。
それが、なかなかそりが合わないと全然わかんなかったりする。
そういう相手だとパッと相手の思ってることがわかってすぐ対応できたり、相手が言う前に言いたいこともできたりすると思う。
判断材料というのはどういうことなのかだけど。

引っ越しを迷ってる時にやたら引っ越し先の情報を聞いたり目にしたり。
ご自分でピンと来るんだったら、じゃあ引越ししようかなとかそういう材料にしてもいいと思う。
が、そこに別の情報とかが入ってきて関連付けようとすると直感みたいなことから離れていく。
単純に直感だけを信頼した方がいいと思う。

これは一緒でなきゃいけないとか、これはそうなんだからと勝手に定義づけるようなことになると、直感ではないことになってしまう。

自分の直感に従う。
中心部の指針。
なんか良さそうとかいい感じする、フィーリングに従っていった方がいい。
判断材料によってどうなりたいのか分からないが、要は自分の中心部にだけ従ってフィーリングに従っとけば間違うことはないので。

そういうふうにしていってください。

 

◆かんさん
素朴な疑問です。
108さんのおっしゃっている振動数とは、物理現実で言われている周波数とほぼ同義で単位はヘルツの振動数と同じですか?
適切性と一致する、なりたいものがあるならその振動数になってしまえばいいっていうのは、適切性のヘルツなりたいもののヘルツに合わせるということですか?
こういうことを深掘りしていくと不正プログラムの仕組みに引っかかっちゃうのかな。

参考元サイト:シリーズ適切性と一致する⑧その2

【108さんのコメント】
それまで巷で言われてきた波動とかそういう言い方がある。
私がが振動数と言ったのは、そういうのと混同して欲しくないんで別の表現を使った。

だから、ヘルツとかそういうことじゃない。
物理現実の振動数のヘルツってことじゃない。
そういう感じの私たちが振動してる違いというのがある。
振動のしかたというか。

例えば、嬉しいとなってる時の振動数と、塞ぎこんでダメだとなってる時の振動数はまるで違う。
それは「向き」にも置き換えられる。

>このヘルツに合わせれば良い
→ピッタリ合えばこれになるんだというふうに押そうとすれば、その適切性とか振動数、自分がなりたい振動数からも離れて逆に押せなくなっちゃう。
じゃなくて、自分がもし望む状態になったらどうだろう?とそれを意識して感じられたらその振動数になってる。
その物理次元に今いますよってこと。
ヘルツとか考えないで。
そういう単位とは関係ない。
物理現実上の周波数とか電波のとかそういうことではない。

適切性は振動数とかとはまた違う話。
適切性というのは、自分はこうだって思ってるとこから離れるという事。
自分が定義してるこの世界、この中でと言ってる。
そっから全く違うことを考慮してギューっと握ってるところから離れるという事。
なれば、実像が意識されるようなことになる。

それは適切性という理解できないもの、捉えられないもの。
それはなんだろう?と意識することで、自分の五感で「こうでなきゃいけない」「こうしなきゃ」「それにうまく適切に対応しよう」と捉えて、頭で考えることじゃないほうを意識する。
うまくやろうというところから離れて、単純にそれと一致しようという意識になれば無防備みたいになる。
で、その状態と一致できる。

頭でやろとうとしても「この範囲でやろう」とすることになっちゃうからなかなかなれない。
適切性はその範囲から出ようとするようなこと。
出て、実像に触れようとするような姿勢。
だから、それは数値化したりできるもんじゃないし振動数とかそういうのとまた違う話。
そのときは実像と一致しようとする振動数にはなってるということは言えるかもしれないが。

それを「こうになっとけばいいんだ」と再現性のあるものとして捉えようとすると違ってくると思う。
そういうとこから逆に離れて。
この理性とかを頭で捉えて「こういうふうにしとけばいいんだろう」というところから離れて。
それはなんだろう?というような意識を持つことによって近視眼的にやってるところから離れる。
それが大事。
適切性に関してはそれが肝です。

 

◆ひろつさん
前回は回答してくださりありがとうございました。
一時的な不足ではなく、ずっと何十年も続いている不安(不足)に対する事柄にも不足を疑う事で効果といいますか見えてくる事が変わってきますか?
昔から実親と近所にいる陰湿な親戚が大嫌いで、少しでも関わると気持ち悪くなります。
親が残した古い家、土地を息子の私が継がないといけないという責任感が何十年も不安恐怖になって押しつぶされそうです。
私は継ぎたくなく自由になりたいです、家を維持する金もありません、しかし継がないと親戚達から「何代も守ってきた土地なんだから 私たちの思い出が」とかそれ系の口攻撃をされることが目に見えてます。
継がないといけない空気がもう私は本当に嫌です。
そんなの知らないよ!と言いたいです。言えない立ち位置に置かれてます。
嫌味しか言わない親戚への憎しみに似た感情、そして生まれながらに家や土地を継がないといけないという半強制的な責任感への不安感、監視されたくない、見えない鎖から解放され自由になりたいです。
108さんを知ってからこの不安による不足を疑ってみてますが、それがおまえの定めだ、と思考の返事が来るだけで景色が変わりません、アドバイス頂けたら幸いです。

参考元サイト:コメントへのご回答Ⅱその3

【108さんのコメント】
>不安による不足を疑っていますが
→多分ずーっと消そうとして乗っかってるんだと思う。
それを消そうとしてやってるから景色が変わらないんだと思う。
疑うんだったら変わらなくても良いと。
関係ないので。

景色が変わるどうこうじゃなくて「本当は違うのかもしれないぞこれ」とそういうふうに疑う。
「本当か?」って。
そういうことなんで。
この現状変更するためにやるってなるともうそれは疑うではなくなってしまう。

で、状況をお聞きして思うのは、いやもう別に知らないよって言っていいんじゃないか。
はっきり言ったらどうですか。
もううんざりなんだぞと。
自分の人生の方が大事。
その親戚のなんだかんだのために自分の人生を犠牲にする筋合いなんかない。

知らんと言って。
知らんてして良いと思う。
私だったら知らないよって言って、どっか知らない誰も知らない所に行くかもしれない。
もう連絡取らないようにして。
そんなんなってんだったらしていいと思うが。
そんなんなってるのかわからないけど。

ひろつさんを疑ってるわけではなく、そういう状況は厳としてあるんでしょうけど。
それ以上にたぶん、ひろつさんが抱えてるものがどんどん思考で何重にもなっていってうわーとなってるんだと思う。
本当はそこまでじゃないかもしれない。
そこも疑ってみていいんじゃないか。

本当にそれはプレッシャーになってると思ってたけど
・本当にそのプレッシャーなのか?これ
・自分が思ってるだけで本当は違うのかもな
いうふうにそこは疑って本当に疑って良いと思う。

気楽になること。
別に放り出したって何とかなる。
無責任になって良いと思う。

それこそ親戚に憎しみに似た感情にまでなってるのなら、それ放り出した方が絶対楽だしそんな嫌な感情も抱かなくて済む。
逆恨みみたいなことになってもあれだし。
自分のためにそうするって決めて、知らん知らんて自分を貫いたらどうか。
もう継がないと。
知らないとやって。

あとはご自由にって。
あなた方で何としてくださいって言ったらどうか。
言って聞き入れなくても、そうしますからって宣言してもうそこから離れたらどうか。
でも本当はそこまで深刻ではないのかもしれないからw
乗せてる荷もちょっと疑ってみて。
あ、違うのかなって下ろしていっていいかもしれない。

 

◆yoshikaさん
108さん!
この体質、振動数の重い&軽いや、人の念など体感しやすく、ここ1年ほどは、とある同じ職場の人からの強い執着に度々飲み込まれそうになってかなり困っていたのですが、「不足を疑う」の1回目を見ながら「この体感、本当か?」って疑ってみたら、一瞬ですが確かに消えました!

その後も体感が復活する度に疑ってみてますが、確かにその度に消えます。
しばらく続けてみますね!
HSPで困っている方、試してみて下さい。

参考元サイト:コメントへのご回答Ⅱその3

【108さんのコメント】
良かったですね^^
楽になっていってるんですよね。

だからそれは、ほぼ思考なんです。
思考によってそれが条件反射的に起きてること。
疑ったらその思考が違うかもしれないってことで、定義してるとこが緩むから楽になる。

実際にそこまでの問題ではないのを、思考によって増幅してわーとなってる。
その都度疑ってみること。
そうやって緩めていけばその分楽になってきます^^

 

◆ヨーテさん
不足を疑うって、不足に対する執着を手放す、忘れるってことで、それにより本来の充足が現れて、不足が解消していくということなのかと思ったのですが、本当にそうなんでしょうか。

いろんなことに不足を疑ってみようと試していた矢先、子宮頸部に筋腫ができていると言われました。
そういう婦人科系の病気への不安や不足感はなかったのに。
まぁ、これについても不足を疑いつつ大きな病院行こうとは思いますが。

本当なのかどうか疑ったり、「もう知らん!」と責任を手放すようにすると、気持ちは確かに楽になります。
でも、楽になって何が変わるのか。
むしろ意識から手放したことで悪化する場合もあるんじゃないかなと。

例えば、苦手な科目の定期テストがあったとして、不足を疑って楽になるより、不足感に苦しみながら無理やり勉強した方が解決すると思うのです。

不足を疑うことで、予想外のところから充足があったというコメントを多数見ていますが、私の場合、予想外のところから病気とか悪いことが起きたりしてるんで…

【追記】
続きですみません。

あの後数日して、不足を疑うというより「まぁいいや、何とかなるやろ。主が何とかしてくれるやろ。」と、悩むのをやめて今のことに気を向けることができるようになりました。

前までは楽になったといいつつ、まだ握っていたんだなと思いました(もしかしたらこの考え方に慣れてきたのかも)。

手放すって、本当に楽ですね。そして楽になったこと自体が変化なんですね。
これまで握っていた他の問題も手放してみます。

【追記】
先に書いた筋腫の件ですが、大きな病院へ行ったところ、診察の時にそのまま取ってもらえました。

手術になって、全身麻酔するのが嫌だったのと、高い手術代がかかったら嫌だと思っていたのですが、大丈夫でした。
ご心配おかけしてすみませんでした。

本当はここで喜ぶべきところなのに、私の頭は現実を受け入れられないのか、あまり嬉しい気持ちになれない上に、他の心配ばかりしています。

考え方を変えるのに取り組んでいたときは楽になったのに、いざ楽になった状況が出てくると心配を見つけて心配しだすって。

充足を疑い、不足を受け入れる私の理性の性質は本当に根深いようです。

参考元サイト:コメントへのご回答Ⅱその3

【108さんのコメント】
意識から手放したことで悪化したりはしない。
そんなことはない。
そういうふうにエゴが言うかもしれないが、そんなことは原理的にありえない。

>苦手な科目の定期テストがあったとして不足を疑って
→それは苦手な科目ってあらかじめ自分でわかってるので、いい点取りたきゃ勉強するしかないですよねって話。
それは不足というより苦手となってるんだから。
それで点が悪くなったら不足だけど。
結果出てないんだったら勉強して点数あげようってするのが普通。
というか当たり前だし不足を疑う云々の次元の話ではないですねってこと。

>不足感に苦しみながら無理やり勉強
→ってよくわからないですけどw

いい点取れたらそれはポジティブ。
アスリートが良い成績出したいとか一緒でしょ。
それは充足に向けて行動してるってこと。
そういう形でなら向きは充足。
不足を疑ってというか不足感に苦しみながら無理矢理勉強って、それはおかしいw
じゃなくていい点取ろうって勉強したら絶対良いと思う。

結局心配したようなことはない。
あっさり診察のついでに筋腫取ってもらえて、手術にもならず楽だったのにまだ心配してるって・・・。
他の心配ばかりしだす。

不足に対して病みつきになってる。
不足なかったらあれ?と拍子抜けみたいになり、また不足を探し出しちゃう。
それは習い性みたいなことなんで、あ、これでいいのかと思って。
あんまり気にしないこと。

不足を探すのも、そういう条件反射みたいになってんだろうなーぐらいに考えて。
またかーみたいに。

また深刻になるから軽く考えといた方が良いと思う。
それが不足になってしまうから。
はいはいまたねと思っとけばいいと思う。

 

◆まるまるさん
108さんは10年以上も一貫しています。
他の自称スピリチュアルリーダーたちは例外なくブレていっています。
死後の世界がないって事は、説明を何度聞いても私は分からないですが、これは分かった人だけ分かればいいでしょうし、分からない自分にとっては、あってもなくても分からないんだから、どっちでもいいです。
108さんに質問なんですが、アカシックレコードはあると思いますか?
宇宙のどこかに地球で起きた事象や膨大な記憶の保管庫があるっていう意味なんだと思いますが、私自身よく理解できていないので説明は間違っているかもしれません。
こういうのも霊商と根本は同じ部類だと思うんですが、いかがでしょうか?
私は無いと思っていますが、108さんのお考えを教えて頂きたいです。
よろしくお願い致します。

参考元サイト:コメントへのご回答Ⅲその1

【108さんのコメント】
はい、ないです!

アカシックレコードというのは概念。
スピリチュアル界では、わりとよく言われてることかもしれないが。
既成事実みたいになってるが。
じゃあ見たことあるのかって話だし。

実際の有様というのは、全部の物理現実が同時に全部あるっていうことなんだからどこかに記録する必要はない。

過去のことも同時に同じ平面上にある。
どこかに全部録音みたいな感じで、録画みたいに記録されてるわけじゃない。
全部同時にすべての物理現実が全てのパラレルが全部ありますよってこと。

言ってみればそれがアカシックレコードみたいなことなんだけども。
全部あるんだから、どこかに記録して保存しとく必要ないって話。
どっかでたぶん間違えて捉えて、アカシックレコードみたいな概念になったんじゃないかなと思ってる。
そういうものがどこかにあるわけではない。

お答えとしてはないですということになります。

 

◆べっきゆりさん
自分を幸せにしない真実なら
それが嘘の証拠だから 捨てます!

参考元サイト:コメントへのご回答Ⅲその1

【108さんのコメント】
うん、その通りですよね。
おっしゃる通りです^^

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