不足を疑う part13-4のまとめ

不足を疑うpart13-4が公開されたので、まとめてみた。

不足を疑う12のコメントに対しての108さんの回答。

 

◆mi muu
108さん、いつも丁寧なご説明をありがとうございます。

数日前に、子どもの不登校について一度コメントを書かせて頂いたのですが、その後にDEBUGを読み、「不足」についての理解が進み、感動とともに一度コメントを削除いたしました。
そして気づいたら、既に「ある」がたくさん広がっていることが分かったんです!
もともと、ここ数年、色々な本や考えを読み聞き漁り続けていたのですが、よく考えたらいつも疑問が浮かぶと、その答えとなるようなものに出会っていました。
108さんのチケットに出会った時も、その前に知りたいなと思うものがあって、まさにその答えがチケットにありました。
今回も、動画を見ながら「不足が存在しないのに、なぜ充足が存在できるんだろう?」と疑問に思っていたところ、ちょうど購入したDEBUGにその回答がありました。
特にここ数日は不足を疑い続けていたので、余計に驚き、「あれ?よく考えたらいつも「ある」に満ちていたのかも?!」と私の中でのパラダイムシフトが起きています。

ただ、子どもの不登校については、なかなか荷を下ろすことができず、力が入ってしまいます。
色々手放して「これって本当かな?」と純粋に疑っていたいのですが、毎日の生活のなかで、この不安も幻想なんだろうなーとは思いつつも、まだ小学生なので、家でもっと勉強させなくて本当に大丈夫かな?とか、仕事に行ってしまって悲しい思いをさせないかな?とか、子どもという存在の大事さ余って、母としてなかなかシンプルに手放せずにいます。
主に全て任せるという感覚もとても腑に落ちたのですが、日々どうするかということについてはなかなか難しいです。

その一方で、色々疑っているうちに、この世界が時々とてもフワーッとした幻想のように感じるようになりました。
そして、他者ってそもそも存在するのか?子どもたちって本当に存在するのか?という疑問が浮かぶこともあります。

取り留めなく長くなってしまい申し訳ありません。
もし、子どもに関して何かアドバイスいただけたらとても嬉しいです。

参考元サイト : 不足を疑うpart12

【108さんのコメント】
これに対して「ささ」さんという方がレスをされている。

 

◆さささん
108さんでなくてごめんなさい。
学生時代に不登校を経験した者としてコメントしたくなったので、させて下さい。

私の時代は不登校が問題として取り沙汰され始めた頃で、親も家族も、私に対してとても辛辣な言動をとりました。
親戚や学校の保護者から心ない言葉をかけられたこともあります。
今でも記憶に残っているくらい、ショックでした。

ですが、不登校とは不足の出来事でしょうか?
私は大人になった今、あの経験をしたことでたくさんの気づきを得られ、また人としても大きくなれたなと感じています(不登校を勧めているわけではありません)。
私は 108さんの他の動画のコメントで頭痛についての悩みを書き込みましたが、そういうことはあっても、今、幸せに暮らせています。
私の周りで不登校を経験した知人や友人もいますが、立派に仕事についたり家庭を築いたりして、幸せに暮らしていますよ。
そのうちの一人は、同窓会で「不登校でも大丈夫」と朗らかに笑っていました。

教育論としては、子どもの不登校や非行は、本人の問題ではないと今時分は言われています。
環境に要因があるとの説が強いです。
親御さんとしては不安だし心配にもなると思いますが、経験者としては、お子さんのことを信じてあげて欲しいです。
というのも、周囲に心配されてあれこれ言われたり干渉されたりしていた時より、信じて見守られていると、本人が勝手に動き始めます。
私もそうでしたし、他の経験者もそうです。
植物の芽が出てくるのを温かく見守る太陽のように、なっていただけたら嬉しいなと思います。
温かなその思いや、思いからくる言動は、絶対お子さんに通じます。

不登校くらいで人生ダメになったりしませんから、大丈夫です。
応援しています。

 

これに対してまたmi muuさんがお答えを返している。

◆mi muuさん
@ささ さささん、コメントありがとうございます。
コメントを読み、色々な気づきがありました。
細かく書きませんでしたが、見えている現象の話で言えば、私自身も絶対学校に行ってほしいとか、不登校がダメだと思っているのではないんです。
周囲もとても暖かく見守ってくれており、また、子どもがこの先大丈夫であることは、信じているというか知っている感覚も持っています。
ただその一方で、本人も本当は友達と遊びたくて学校に行きたいと言っており、日々の生活の中で、時々本当にこのまま何もせず見守ることが子どもにとって良いのか、苦しくなる瞬間にどうしても戻ってしまうことがあります。
虚像しか見えないと言うか。
108さんのおっしゃる不正プログラムの文脈、不足の文脈からこの現象を見た時、確かに私の苦しさはここにある・・・
願望で言えば、「安心と喜びに満ちていたい」が近いです。

でも、返信を頂いて大事な気づきが二つありました。
一つは、不足という点で言えば、「私はこの苦しい状況に対する答えは持ち合わせない」という思いがある。
誰かに頼らなきゃ、という視点。
確かに、エゴにはないのでしょう。
でも実像の私が存在する。
「ホントに私には答えは見つけられないのかな?」という疑問は投げかけてみたいと感じました。
エゴの私で探らずに、リラックスしながら。
もう一つは、私は本当はこれまで全力でこの経験をしていないのかもしれないということ。
実像の方ではなく、不正プログラムで塗り固められた経験にしか焦点が当たっていなかった、という点です。

うまく言語化できず伝わらなかったらごめんなさい。
でも私にとっては大事な気づきで、大切にしたいなと感じました。
コメントくださったからこそです、ありがとうございます。

既に主に任せる中での返信と気づき、ここにもエゴを超える流れを感じています。
何より書籍や動画で教えてくださっている108さん、ありがとうございます!
まだ何も変わっていないけれど、もっともいい形、いいタイミングで、現実も見えてくるような気がしています^^

まだ何も変わってないけれどと仰っているが、そうでしょうかね?エヘヘ
そこも疑ってみたらいいと思う、まさに。
え?まだ何も変わってないと思ってるけど違うのか?というふうに疑ってみるのは有りだと思う。
これ、いいやりとりでしたね。

不登校というか、確かに不登校自体が問題ではない。
不登校は絶対的にいいもんでもなければ絶対的に悪いもんでもない。

それ自体にいい悪いがあるわけではない。
不登校なったとしても成人してから立派に社会人なってる人いっぱいいる。

ただ、今お子さんが学校に行きたい、友達とねっていうのがあるんだったらそれが不足となっているところかもしれない。

>友達と遊びたくて学校に行きたい・・・
詳しい事情はちょっとわかんないので、じゃあ学校に行けばとも言えない。

ただmi muuさんとしてはお母さんの立場で子供が苦しんでるのは辛い。
それを親として抱えてるのもそれはどうしても子供に愛情があるから辛かったり、どうしたらいいんだろう、どうにもできないしってとこで苦しんでいるのかもしれないけど。

充足面に意識を持ってたらどうでしょう。

お子さんが、今何かの理由で不登校になってる。
でも家にいることでご家庭という安全なとこにいる。
だったらそこに危険はないので、まずそこに喜んだらいいと思う。
あ、そうか・・・今子供は無事なんだって。

まずここは喜ぶべきところ。
それで子供を守れているので。
そこに意識を向ける。

今読んだ感じでは、お子さんと断絶している感じもしないので、会話とかもされているはず。
食事している時とかも、一緒に食事できて良かったとか喜びを謳歌したらいいと思う。

将来どうということよりも。
将来のことなんか、今ないことなんだから心配しても仕方がないこと。
ただ思考でいろいろ思い煩っていること。

それなら今子供と食事していることを謳歌したらいいと思う。
楽しく過ごせばいいと思う。

お母さんが心配してたらお子さんが敏感に感じる。
お母さんが食事している時に会話したり、テレビ観ながらでも喜んで謳歌してワハハと笑ったりしていたら、お子さんもそれでいいんだとなり安心できると思う。
お母さん心配していないんだ~って。
じゃあ、大丈夫なんだ~となると思う。

そういうところから、お子さんの向きもちょっとずつ変わっていくかもしれない。

今、バン!と変わらなくてもちょっとずつメンタルが前向きになったりとかしていくかもしれない。
ただ今を謳歌するためにそれをしたらいいと思う。

そしたらその喜びにいれるから、お子さんもそれを感じたら充足の中に入ってくる。
お子さん自信も喜びを感じて安心できるようになっていく。

それが何よりだと思う。
そっからだと思う。
今ここからできることは1つしかない。
それだけしておけばいい。

これはセミナーのほうでは1回言ったことなんだが、朝起きた時に「今日一日無事でありがとうございました」っていう祈り方をしてみたらどうでしょう。
これ結構おすすめしている。

起きた時ってまだいろいろ体験していないし、寝たことによりリセットされているのでまだ意識もハッキリしていない。
そういう時に過去形で祈る。
頭ハッキリしていたら何言ってるんだろう・・・となるが、まだ意識がハッキリしていないから今日一日無事だったんだって思う。

だからその前提で一日が進んでいったりする。
あ、ホントに今日無事に何も心配することなかったということになる。

それを朝起きた時にやるのがポイント。
朝、お子さんのこともそうやって祈ってみてもいい。
「今日子供が一日無事でありがとうございました」って。

無事であることが何よりなのだから。
まずそこに感謝してみたらいいと思う。

そしたらその方向に向かって一日が展開してそれを体験するようになってくる。
乗せない事。
今乗せる必要はないと思う。
乗せることは何もないから。
大丈夫ですよ^^

 

◆kenta kenken
108さん、いつも動画ありがとうございます。
楽しく参考にさせていただいております。

108さんの書籍はたくさんありますが、まだ、ザ・チケットしか読んでいません。

他の書籍も読んでみたいと思うのですが、次に何を読んだらいいでしょうか?
DEBUGですかね?

参考元サイト : 不足を疑うpart12

【108さんのコメント】
何でもいいと思うが、順番から言えば(執筆順から言うと)DEBUGになる。

DEBUGという本は、チケットを書いてそこからだいぶ間が空き、108としての活動を置いていこうかなと思っていた矢先、東北の大震災が起きそれがきっかけで生まれた本。

それまではチケットも静かに広がっていって、だんだんみんなも気づいていき充足のほうを向いていけばいいなとなんとなく思ったが、それをぶち壊すというか真逆のことが起きた。
これを直視しろみたいな感じで自然災害みたいなことを突き付けられた。

何が充足だみたいなこと、不足じゃねーかーみたいなことを言われてる気がした。
それなら「だったらやってやらぁ~」みたいな感じだった。
閉じようとしていた108のエンジンがまたかかったわけ。

それまでは不正プログラムやエゴに対してかちょっと許しといてやろうかみたいな、勘弁しといてやろうかみたいな感じだったのが、あれで許さんぞとなった。

だったら本当に完全に消してやる!不足をって・・・と思って今ここに至っている。
不足を消せると思ってるし、消そうと思ってる。
そんなもん、どんな不足も体験する筋合いない。

なくなっていい、この世界から。
僕はそれをやろうとしてる。
どんどん消えてるでしょ。
もっとダイナミックに消えていいし。
消せると思ってるし、消すつもりですから。
乞うご期待です。

DEBUGはそんな思いで書いたので、チケットとはタッチも違うし様子が違う。
チケットみたいのを期待されてDEBUG読んだらビックリされるかもしれない。

ちょっとスリリング感じの展開。
書き方も違うし、ハラハラするかもしれない。
気合が入っている。
好きな、ピンときたやつを買って読んで下さい^^

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