シリーズ適切性と一致する 8-2 まとめ

108さんの動画『シリーズ適性と一致する 8-2』のまとめ。

 

◆最高!!さん
引き寄せや108さんを知ってはや3年
理解できないけど、108さんのおっしゃることがなんとなく感じることができている気がします。
説明出来ないし、理解全てできたかと言われたらできないけどこれは説明できるように理解したいと思ってがんばるほど沼にはまるものなのかもしれないです。
今をかんじたり、一致する、手放してみたり、向きを向くっていうのを感じること気づくこと具体的に説明できないけどできている気がします。

参考元サイト : 適切性と一致する7-2

【108さんのコメント】
そうですね。
それでいいんです。

具体的に説明しなきゃいけないわけじゃないし、頭で理解しなきゃいけないものでもない。
よく言っていますがフィーリングが大事です。
頭で理解しようとすれば思考になってしまう。
思考で解釈しようってことになってしまうのでそのルートは通らないほうがいい。
体感的にわかるみたいなことになってくるので、今の状態はいいと思う。

説明できないけどできてる気がするというフィーリング。
そっちを重要視してそっちを信頼して下さい。

 

◆chi kaさん
108さんの教えは、本当にシンプルでそれを試すのですが、観念を外さないとと思い込んだり叶わないと思っている私はいつも叶わないのループから抜け出せません。。

参考元サイト : 適切性と一致する7-2

【108さんのコメント】
観念はずさなくていいですよ。

観念をはずさないとというのは、そういう観念があるという前提。
そうなると、そういう観念があるということになってしまう。
この観念・・・と思ってるやつを無いのかもしれないな・・・と思ったほうがいい。
本当にあるのか?この観念と疑っていったほうがいいと思う。

>叶わないと思っている私はいつも叶わないのループ

と思ってるけど、本当にそうかな?違うんじゃないか本当は。
というふうに自分が掴んでいるところを緩めていく感じで疑ってみたらどうでしょう。

 

◆nobuhirosatouさん
こんにちわ😮
以前の動画で、生きて行くためには思考も必要という話がありました。
「実像の世界」の思考と「不正プログラム世界」の中での思考があるんでしょうか?

その場合、実像の世界での思考を意識してする方法は有りますか?

思考を働かせないと、仕事などの現実世界も進歩しませんが、より効果的な思考の使い方にコツが有れば教えて頂きたいです。

よろしくお願いします。

参考元サイト : 適切性と一致する7-2

【108さんのコメント】
実像の世界の思考と不正プログラム世界の思考があるわけではない。

思考も必要と言ったが、思考を敵視しなくていいい。
わたし達は思考を自然にしていること。
それが悪いわけではない。
それによって不足に関する思考がどんどん展開していくことが良くない。

思考自体は別に悪いことでも何でもない。
思考によって不足の考えを支えてしまう。
そういう構造になってるので、実像の世界の思考というよりはまさに適切性と一致するとか今この瞬間にとどまる、それを全力で謳歌するとやってれば適切な思考が浮かんできたり勝手にそうなってくる。
この思考をしようとか、こういうふうにやろうとか思わなくても勝手に完全性に一致したかたちでピタッとその時にいい適正性な思考ができるようになってくる。
余計なことをしなくても。

思考で余計なことをしているのが良くない。
別に思考すること自体は悪くないので、思考している時にでも適切性と一致しようとか今この瞬間を謳歌しようとかすれば思考も整ってくる。
余計な思考ではなく、その時にすべき思考がちゃんとできて起きてきて展開される。
そういうかたちで意識していって下さい。

これは不正プログラムの思考だとかそういうことではない。
じゃあ実像の思考をやらなきゃということでもない。
思考はしていていい。
これまで通りでいいです。

一方で、適切性は何だろう?と折に触れてやってれば思考というのも勝手に自然にその瞬間その瞬間で適切な思考ができるようになってる。
それでいい。
あんまり分けて考えない事。

 

◆tsu maさん
108さんいつもありがとうございます(^^)
不足を疑うについてのコメントになりますが、2週間くらい前にふと「近所に娘(小1)の遊び相手がいないって本当?」と軽く疑ってみたら、すぐ近所にお友達が引っ越してきてビックリしました。
しかも、引っ越しも急きょだったらしく、家を決めて引っ越すまで1週間くらいの出来事だったそうです。
入学したばかりだしお互いの家も連絡先も知らないし、不思議です。
不足を疑うが即効性ありすぎて言葉にならないです。笑

不足を疑う、適切性、主へのリクエストなど、ふと思い出した時に思ってみる、をしてから不思議なラッキーが連発してて、いつもポカンとしてしまいます。笑

これからも動画と書籍たくさん読んで活用させいただきますね。ありがとうございました(^^)

参考元サイト : 適切性と一致する7-2

【108さんのコメント】
良かったですね。
そうなると思いますね。
いつもポカンとなると思います。

疑ってから1週間それも急遽引っ越しということは、じゃあ私が疑ったことでその人・ご家族の状況を変えてしまったのかと心配になるかもしれないがそんなことはない。
自分がその人に関与したというかその人の人生を操作したみたいな、そういう間違いというか勘違いされるかもしれないがそんなことはない。

不足を疑うとか適切性と一致するもそうだが、そういう時は言ったら不正プログラム・物理現実内の論理ではないところでそういうことが行われるのでもっと高い次元で勝手に辻褄が合うかたちでうまく処理される。

それはこっちの普段見ている物理次元の観点で見ると、いやおかしいじゃないかと。
じゃあこれだいぶ前から計画しなきゃいけなのに、私がさっき思ったことが何でそうなるんだよと矛盾することがいっぱい起きてくる。

それはこの物理次元の方程式では解けない。
この世界の理屈では説明できないこと。
ただ高い次元の(こういう言い方が正しいのかはわからないが)方の采配というか、そっちの次元の中では1+1=2のように滅茶苦茶簡単な数式の話。

何も頑張っていないし、何も矛盾が起きていない。
ただ単に単純な計算をしてパッと答えが出たのをこっちで観測すればなんだこれは⁉みたいになる。
どうしてこれがこうなったんだ⁉理解できん・・・みたいなになる。

それでいい。
だからポカーンとなると思う。
そういうもの。

ありえないようなことがいっぱい起きたと、たくさんご報告がある。
それはそういうこと。
何かこの世界に影響を及ぼして操作して書き換えたみたいな話ではない。

単純に上の高い次元で単純な計算式をやって、はいどうぞみたいなこと。
それをこっちで見れば「うぇぇぇぇぇぇ⁉」みたいなことになる。

それは気に病まなくていいし、素晴らしいなと感嘆しとけばいい。
ブラボーと思っとけばいい。

 

◆飴細工さん
108さん皆さんこんにちは。
最近体調がすぐれず気持ちも重く悩みがちになっているところに、ふと「幸せとか叶えるとか疲れた、もう全部終わりにしたい」と感じてみたら逆に気持ちが軽くなり、その直後に金銭面での良いことが起こりました。
社会通念上否定されがちな思いであっても、自分の本音のところを感じてあげるというのが私にとっての適切性へのトリガーのようなものなのかもしれないです。
自分の場合、「幸せになりたい、何かを叶えたい」という思いこそが足枷になっている場合が多いように思います。
「自分を解放してあげたい、もう楽になりたい」といった思いの核の部分に素直にしたがうと、結果的にそれが良い形で外側に現れてきやすいようです。
いつも有益な発信をありがとうございます!

参考元サイト : 適切性と一致する7-2

【108さんのコメント】
この時に

>疲れた、もう全部終わりにしたい

と絶望的に思えるが、その時に荷を下ろした。
なんとかしなきゃとやっていたのを、もう無理だやめたと下ろしたから楽になった。
つまり、その時向きが充足になり振動数も楽になってるから充足になってる。
だから、金銭面での良いことがあったといいメカニズム。

本音のところを感じるといいことが起きるということだから、だったらそのように開放する。
悪いことを思ったら逆にいいことになるということではなくて、要は荷を下ろしているかどうか。
ずっと背負っているのを瞬間的にいったん下ろしたら、それによって向きが充足になるから充足を体験するようになってる。

だから別に最初からワーとならなくていい。
ずっと充足でいい。

気楽になることを意識して下さい。
とにかく下ろす。
下ろす癖をつける。
しんどいとなっている時は絶対に背負ってる。
それはだいたい思考によって起きている。
実際には荷は無い、物理的に無い。
今も背負っていないのにしんどいとなってるということは、思考によって無い荷物を背負おうとしている、そういう錯覚をしている。
だからしんどい、重たいと感じる。

だからその思考をやめれば、知るか!という感じに放り捨てれば荷を背負ってない状態になる。
それがいいと思う。
荷を下ろすのがてっとり早い方法だし、すぐにそうなる。

そういうふうに気楽に気楽になって。
気楽になっても悪いことが起きるわけではないし、全てがおじゃんになるわけではないし、何かがぱぁになったりしないということがわかってくる。

あ、これでいいのかとなってくる。
これでいいじゃんとなる。
別に変なストレスとか感じる必要なかったんだ。
このままでずっと毎日充足でいいじゃんということ。

どんどん下ろしていくこと。
下ろすに従って充足を体験することになる。
一旦背負って下ろすのではなく、どんどん下ろす。
気が付いたら下ろして背負わなくなっていくのが一番目指すところ。

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