シリーズ適切性と一致する ⑨ まとめ

108さんの動画『シリーズ適性と一致する ⑨』のまとめ。

 

108さんの『死はない』という考え方について、肉体的な意味か意識の拡大の意味かを知りたい。また、なぜ死に興味を持たない方が良いのかも教えてほしい

◆クリスチャン ラッセンさん
108さん、死について質問させてください。
108さんの死についての話が今まで見聞きしてきた話とかなり違っていたり一部合致する部分もありとても興味深いです。
108さんが伝えてくださっている、『死はない』というのは肉体が歳と共に老化するのは人類全体の思い込みであって、その設定、前提から完全に自由になると、本当は、心肺停止することは本当は無い(病気すら幻想なので)という肉体的な意味での『死は存在しない』なのでしょうか、
もしくは肉体が止まっても、肉体にある意味閉じ込められていた意識が拡大し、意識としての私たちは地球にいるままあまり変わらない(肉体には宿っていないが)という意味での『死は無い』なのでしょうか?
ちなみにエドガーケイシーという方の話の中で、胃をわずらって亡くなったことに気づかず、亡くなったあともずっと意識として胃が痛かったという話などがあり、死んでも地球にいるし今とそんなに生活は変わらない的な話を聞いたことがあったので、うっすらというか関連性は未知ですが、なんとなーく、死んだら三途の川を渡って的なことではないという意味でやや同じようなことをおっしゃっているなと感じました。
概念的なことが混ざってしまいすみません、そして108さんがなぜあまり死がいいもんだなと興味津々になって欲しく無いとおっしゃっていたのかもあわせて、もしお話いただけたらとても嬉しいです。
いつもYouTubeありがとうございます。

参考元サイト:シリーズ適切性と一致する④その4

【108さんのコメント】
死がないというのは人類全体の思い込みというよりは自分自身の思い込み。
人類関係ないです。
自分がそう思ってるからそうなるだけのこと。
だから自分だけの話なんですということ。

>前提から完全に自由になると、本当は、心肺停止することは本当は無い(病気すら幻想なので)という肉体的な意味での『死は存在しない』なのでしょうか
→そうです。
死がないということは、肉体の死もないということ。
私たちは意識と肉体を分けて考えたりするが、肉体も意識の延長なので分けられるものではない。
肉体だけ死んで意識が残るということもない。
だから意識があるってことは肉体もあるということ。

>肉体が止まっても(滅んでも)、肉体にある意味閉じ込められていた意識が拡大し
→ということではない。
意識が拡大するというよりは、死なんてなかったなとわかるというか気づくだけのこと。

>地球にいるままあまり変わらない
→というか全然違うものになるわけではないが、地球も私たちの概念。
私たちが捉えているようなものではなくなる。
その前提がだいぶ変わってくるからそういう意味では体験は変わる。
超絶違うことになるということではない。

>胃をわずらって亡くなったことに気づかず、亡くなったあともずっと意識として胃が痛かった
というのは原理の観点ではあり得る。
要は死を通り越した後も体験することは振動数と向きという原理は一緒。
何か別の原理に置き換わるわけではないから、死を通り越した後でも胃が痛いということに意識を向ければその向きを向けばそれを体験しますってこと。

>なぜあまり死がいいもんだなと興味津々になって欲しく無いとおっしゃっていたのか
→そもそも死んだらマシになるとか楽になるとか思って死を選ぶ人もいるかもしれないが、死んだことによって自分に対して負荷になっていたものが無理矢理に変えてもらえるということではない。

今言ったように、死を通り越した後も自分の向きと振動数で体験は決まるのだから、死んだ後も不足の向きを向いたりしてたらそれを体験することになっちゃいますよというだけのこと。
だからそこから解放されることにはならないということ。

ではなくて、たった今自分が充足の向きを向くというふうにすればいいだけ
死に関係なく、体験は充足になるわけだからそれだけしておけばいい。

死によって報われたりするんだろということではない。
そう考えてる時点で死に対して間違った幻想を持ってるということになってしまうので、そういう捉え方はしないほうがいいですよと言ってる。

そもそも死がないので死ねませんよという話。
そう考えたらわかりやすいと思う。

死んだら楽になるんだと思ってる人は『死はない』ということを前提に置いて下さい。
死はないんだったら死んで楽になるってことはないなとなる。

今は、『ここで楽になろう』ってなったほうがいいですよねって話。
今楽になれば体験は充足になるんだからもう死ぬ必要なくなりますよって話。
実際に死はないんでってことなんで。

そのほうがいいでしょ。
それが正しいと思う。
死んだからどうかなるってことはない。

地獄に行って苦しむとかもないですよ。
体験という観点で考えたら、死んでから自分の意志と無関係に充足になるのかと言ったらそれはないんでということ。

たった今充足のほうを向き気楽になって荷を下ろしていけば、体験は充足なんだから死ぬどうこう関係なく充足になるからそれでいいではないか。

そうなれば多分もう死ということを意識しなくなると思う。

向きが充足になり体験が充足になっていき、生を謳歌していくのが私たちがすべきこと。
そのためにいる。

 

ダルビッシュ有が108さんと同じ意見を持っていることに驚いた

◆miura seiさん
不足の思考は全て嘘。ダルビッシュ有も言ってました。108さんと同じことをダルビッシュが言っていたのは驚きです。

参考元サイト:シリーズ適切性と一致する⑥その2

【108さんのコメント】
言ってたんですね。
へーすごいですね^^
ダルビッシュさん、ひょっとしたらチケットとか読んでらっしゃるのかなw

本当にそうですから。
ダルビッシュさん、WBCすごかったですね。
もう日本人に生まれて良かった~と皆さん思ったと思うんですけどw
普段野球観ない人もWBC観たと思います。
いまだにやってますよね。
WBCの選手は今・・・みたいな。
大谷選手とヌートバーが対決とかやってますよね^^
あれだけ完璧な結果になったんだからだいぶ喜べるぞという感じ。

印象的だったのが、準決勝のメキシコ戦だったかな?
日本もうこれで点入れて逆転しないと負けるというところ。
大谷さんが二塁打打った。
帽子飛ばしながら走った。

後で大谷さんのインタビューで。
『その打席ではもう塁に出ることは決めてました』と言った。
ああ!これ意図じゃないか!と思った。
決める。
塁にでると決める。
『塁に出ようと思ってました』ではない。
『なんとかして出ようと思ってました』ではない。
『ヒットを打たなければと思ってました』ではなくて『塁に出ると決めてました』と、もう決定。
塁に出ることは自分の中で決定事項。

大谷さんは自分の中で意図していた。
だからそのようになりましたねって話。
そうなると展開が、まさに漫画みたいなあり得ない展開になっていく。
こんなことあるのかみたいなね。

完璧な結末になった。
展開も結末も完璧すぎたっていうぐらい。
こんなできすぎのことあっていいのかとw

 

自分の願いと主の最良が一致しない場合、願いは叶わないのか、それとも主の最良に目を向けるべきなのか

◆クリスチャン ラッセンさん
主にとっての最良は叶うけど、自分が願う最良と、主が思う最良が一致しない場合、自分の願いは実現化しないのでしょうか。。それとも、あえてそこから目をそらせるために主の最良を、という意味なのでしょうか。。

参考元サイト:シリーズ適切性と一致する⑦その2

【108さんのコメント】
あえてそこから目をそらせる為の目的もあります。
が、主にとっての最良は叶うけど、自分が願う最良ではなかったということはない。

主にとっての最良とは自分にとっての最良を凌駕する最良だということ。
エゴの裁量で、これが自分にとっての最良なんだ、一番いいんだよと思っているところと違うとなる。

そうすると、その充足を遮断するというかいらないよという姿勢になってしまう。
その姿勢を解除する為に、あなたにとってや主にとっての最良をお与えくださいとリクエストするわけ。

エゴで決めつけた最良は本当かどうかわからない。
その時に叶った最良なのかもしれないが、ちょっと経ったら違ってたということもあり得る。

完璧ではないということ。
目先の目的を叶えただけ。
それは本当に自分にとっての充足か、必ずしもそうではないということになる。

主にとっての最良となれば、必ず完璧に自分にとっての最良になる。
要は含まれているということ。
結局自分は満足する結果、こっちのほうが良かったとなるんだからそういうどっちかではない。
相対的なものではなく二者択一でもない。

主にとっての最良とは完璧なものを要求しているということ。
それによって自分がダメだよということにはならない。

そのエゴの視点から離れるためにそういうかたちのリクエストをするということ。

 

仕事中の長時間の座り姿勢で腰と首に耐えられない痛みがあり、改善方法を探している

◆Rhada Govinda
108さん、毎日有難く拝見しています。
私は腰と首が悪くて座っていると耐えられない痛みになります。
でも仕事の時は6~7割は座っているので6時間も7時間も首と背中と腰と座骨が痛くて常に死にたいと思いながら毎日働いています。
痛い最中に不足を疑うのは出来ないと仰っていますよね。確かにそうです。
で仕事をしていない時間に「さっきの痛み本当かな?」とやってみるのですが、痛い時間がほとんどなので改善が無いです。
何かいい方法はないでしょうか?
参考元サイト:シリーズ適切性と一致する⑧その1

【108さんのコメント】
そんな状態だったらそんな仕事辞めたほうがよくないですか?
そんなに追い込まれるほど苦しいんだったら休むとか・・・。
使われているほうの身だったら「こういう状態なのでとても仕事ができない」と交渉して違う部署に変えてもらうとか、もっと楽なかたちでなんとか勤務できないかとか交渉しないと。
それでもこの仕事しないといけないんだよということはないと思う。

まずご自分の体のほうが苦痛で痛いになってるなら、それを感じなくて済むようにしたらいいと思う。
仕事とか給料とかお金のこととかどうだってなります。そんなことは後で。
まず自分を大事にしなきゃ
何の為にやってるかと言ったら自分の為でしょ、結局はお金の為だとしても。
でもそこで自分を蔑ろにしてたら矛盾してしまうし、何やってるんだろうとなってしまう。

ご事情はおありだと思いますが、まずそんなふうにならなくて済むように行動することだと思う。
端的には、今その仕事をしなければその苦しみを味合わなくて済む。

ひょっとしたら、その疾病・痛みが出てきてる根底には、例えばやりたくない仕事だからストレスや痛みとして出てきてるという構造もあるのかもしれない。
そこらへんはわからないが。
どっちにしても、今その仕事を休んだり辞めたりすることが痛みを軽減するというか楽になることに直結すると思う。
そういう方向で考えてみたらどうでしょうか。

交渉できるようなら交渉する。
交渉が埒が明かないならもう辞めて違う仕事を探す。
なんとでもなります、それは本当に。

これをしないとどうにもならないということはない。
体が悲鳴を上げて、本心がそうなんだからそれに従ってあげることが一番充足に近道だと思う。
ずっとストレスになって痛みを感じている。
仕事をしていなくても疑うができてないんだと思う。
ずっと乗せっぱなしみたいな感じだと思う。

もう痛いのは治らない。
痛くてもう仕方ないと思えば何とかしろという荷は下りるので一個は楽になると思う。
果たしてそれがRhadaさんの充足の方向付けになるのかわからない。

もうこの痛いのは仕方ないと諦めれば、一つは確実に荷が下りる。
その上で勤務時間や仕事時間を少なくできないかとか、休めないかとか、違う仕事に変われないとかその辺を具体的に現実的対処されたらいいと思う。

そんな苦しい思いをしてまでやらなくてもいい。
まず自分が楽になること
楽になるためにはどうしたらいいか。
頭がそんなこと言ってられないよと言ってきても、いやもうそうするんだ!と決めてそれを最優先してください。
そうすれば何か展望が開けてくると思う。
にっちもさっちもいかない、もうここから動きようがないとなってるともう出口がないみたいな状況になってしまうのでなんとか自分が楽になることを最優先する。
そのために動く。
もうこれを変えないとしてください。
楽になると決めてましたとしてください。

そうすれば勝手に向きが充足になっていくので必ず展望が開けてくる。
そういうふうにやっていってください。

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  1. Tmx

    適切性と一致したら
    youtube規約違反になって会社から呼び出しになりましたこれ適切性なんですかね

    • あんこ

      Tmxさん

      どうして、簡単に目の前の不足は信じられるのに、本当はないかもしれない錯覚のことは考慮できないんですか?

      あと、適切性と一致はメソッドではないので、適切性〜をやったのにこうなったなどはないですね。