不足を疑う part4のまとめ

108さんの動画「不足を疑うpart4」をまとめた。

ここで読まれているコメントはすべて「不足を疑う part2」のもの。
コメント欄に対する108さんの回答をまとめている。

 

◆T Tさん
7章認識について質問させていただいたものです。
回答いただきありがとうございました。

なるとか直結は消えた6章辺りの事かと思ってました。
直結(エゴからの願望実現)〈 7章。
ではなくて、直結やなるにより不足を手放すことで、7章の原理になるということですよね。

そう考えると今回の不足を疑うも同じ事なのかなと思います。
見落としてましたが、デバッグにも書かれてますしね。

私も直結、なるで願望が叶うようになってきてますが、デバッグに書かれている無限大の充足という(エゴからではない)ものを体験したいです。

なるや直結の方法の延長から無限大の充足を体感するにはどうすればいいでしょうか?
デバッグはエゴの範囲からではないのに、なるとか直結はエゴの範囲からという違いを感じたので。

【108さんのコメント】
これ逆ですね。
デバッグはエゴの範囲からしてる。
なるとか直結はエゴの範囲じゃないところの話。
捉え方が逆になってる。

デバッグというのは端的に言えば「主へのリクエスト」「主よあなたにとって最良をお与えください」ということ。
これはエゴの範囲内から行われているもの。
外に居れば主よと言わなくて済む。

あなたにとってのとかそういうかたちになっているということは、内側からやっているということ。
エゴの範囲内から外に手を伸ばしているという事。
それが主へのリクエスト、デバッグ。
このエゴの知覚を活用しませんていう宣言というか、そういうこと。

普通なら自分が体験したい完全な充足は、エゴの範囲から段取りや手順を踏んでやっていく。
が、なるとか直結というのは、すぐに単刀直入にそこにバチッと一致してしまうということ。

エゴを活用しないということで、やってることはエゴの範囲外のこと。
本来の別の領域・正順なプロプラム内で行われているようなこと。

だから、おっしゃってるのは逆です。

「なるや直結の方法の延長から無限大の充足を体感するには」ということだが、延長からということではない。

なるや直結はそのままだから、なるや直結したらそれで終わり。
そっから延長上に何かあるていうことではない。
その時に一致したら良かった、いいな、ってなり、それがゴールですってこと。

無限大の充足と同じものですということ。

それを今体験しているのは微々たるものだとか、無限大の充足には到底及ばないって考えるのは違う。
そのようなかたちで捉えていってると順位付けとかしてしまう。

自分が体験している充足はこれっぽちのものだとか、本当はここに行きたいけどまだここまでしか行ってないとか、そういう捉え方になってしまう。

ではなくて、そこでいいなとなったらそれがゴールであり無限大の充足と同じものですよということ、というふうに捉えてみる。
尺度みたいなものを捨てる。

今、無限大の充足に居る事になるのでそれを謳歌し、嬉しいってなれって事。
今体験してる充足が不充分だっていう意味ではなくて、そういう観点を捨てて下さいっていう話。

ラーメン食べた充足と本願叶った充足は一緒。

そういう優劣みたいなものをつけなければ、その無限大を今ラーメン食べて手に入れる事が出来るし、段差がなくなる。
同じ平面上になる。

ラーメン食べて無限大の充足を体験できるって事は、もっと他のたくさんのいろんな種類の充足を体験できるようになるし、障壁が消える。

障壁を作ってるから、それを体験出来なくなっているってだけの事。

無限大の充足を体験したいのであれば、今在る充足、今体験している充足を評価せずそのまま受け取り謳歌して
そしたら、無限大の充足になっていき、自分の中で作っている障壁が消えていく。
そうなれば無限大が入ってくる。

 

◆b aさん
不足を疑うについてもっと教えていただきたいです。

例えば、理想の家が欲しいけどない、結婚したいけど相手がいない、子供が欲しいけど子宝に恵まれない、など物理的に存在していないものを疑う場合はどうなるのでしょうか?

自分って、本当に子供いなかったっけ?結婚してなかったっけ?のような感じでしょうか。

【108さんのコメント】
欲しいもの、手に入れたいものがあるけど、それを今手に入れてない場合に、そのないものを疑うのはどうすればいいの?ということについて。

「結婚したいけど相手いない・・・」ことで淋しさとか、不満とか、物足りなさとかそういうことを感じている。
なら、それが不足なわけだからそれを疑ってみたらいい。

「子供が欲しいけど子宝に恵まれない」ことで今、自分は子供を手に入れられてない、子供に恵まれていないって思っている。
それが不足だったら、その不足感みたいなところを疑えばいい。

不足感の根拠になってる考えとか認識を疑っていったらいい。

子供が欲しいんだったら、子供が欲しい自分と一致したらいい。

目標が決まってる、望みがはっきりと決まっている、欲しい・・・けど「ない」っていう時。
不足を疑ってもいいが、そうなると不足に向いて、不足に注目していることになる。

「結婚したいけど相手がいない」
自分が結婚したら・・・と思ったら嬉しい~♪となる。
ところがいないんだよな・・・というのは不足を向いてしまう。

その時単純に向きを変えられるんなら向きを変えればいい。
ターゲットが決まってるんだからそれと一致して嬉しい♪となればいい。

だけどなーというふうにまた不足に向いていかないほうがいい。
その考えをやめて単純に子供みたいにヤッター!と喜べばいい。

不足に注目せず、嬉しい♪ってなればそれが自然に手に入ってくるようになる。

欲しい時はポジティブで前向きな感情。
いないとは、充足について疑ってる。

それが今目の前にないんだよな・・・手に入れられていないんだよな・・・って時は不足を向いてしまうので、そういうのをやめる。

充足を向いてるのか不足を向いてるのかは今の気分でわかる。
けどないなって不足になっているんだったら、向きをちょっと変えてみたらいい。

テレビでセレブの理想の家や生活とか取材しているような番組を観たとして。
それが手に入ったらどうなるだろう?とかステキな家~となったら「ここに住めたらどんなだろう」と想像してみる。

勝手に想像が広がり、「いいなっ♪」てなったら、「いいなっ♪」てなっていればいい。

せっかく「いいなっ♪」ってなっている時に、でも私今みすぼらしい家に住んでるし・・・とか、不足に注目しない。
せっかく「いいー♪」ってなってるんだから、そのまま「いいー♪」ってなっておく。

手に入っていないという不足を感じるなら、本当に手に入らないのかなあ?とその不足感を疑ってみる。
手に入らない・・・という決めつけは不足感を喚起してることになるので、その考えを疑ってみる。

ステキな理想の家のイメージがあり、そこに1ヶ月後に住めることが決まったとしたら。

今みすぼらしい家に住んでいても、1ヶ月後にあんな素敵な家に引っ越せるんだとなったら。
ウキウキしてそっちに意識がいき、あー今みすぼらしいと思わない。

このみすぼらしい家なんかおさらばだから別に注目しないし、私まだここに住まなきゃいけないとか思わない。

理想の家が欲しいけどない・・・となってる時。
私はそれが手に入る見込みも見通しも立っていない、だから無理なんだとなっている、そこを疑ってみたらいい。

手に入らないと思ってるけど本当にそうか?
ずっとここに住んでるんだろうなぁと思うけど、そうじゃないのかもな、ひょっとしたら。
素晴らしい家に住めるのか?
ひょっとして、もう住んでるのか?と。

こういうふうに疑っていけばいい。
そしたらポジティブなほうに向きが変わる。

1ヶ月後に理想の家に引っ越す自分と一致していく。

気分に注目して今、自分は何を感じているのかを意識してほしい。

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