コメントへのご回答 3-1

108さんの動画『コメントへのご回答 3-1』のまとめ。

 

◆Mi fさん
不足を感じた瞬間に不足を疑って、すぐに解決するという事は、現実は過去の周波数というより、今この瞬間に、過去の周波数も創ってるって事ですかね?

参考元サイト : コメントへのご回答SPECIAL①

【108さんのコメント】
わかりにくいかもしれないが、周波数というか私が言っているのは振動数。
不足を疑ってすぐに解決するというのは、振動数の観点から言えばそういうことも言える。
実際には今しかない。
過去の周波数というか、その過去は頭の中にしかない。
想起した時にその過去、例えば自分にとってネガティブな過去を想起をした時にはネガティブな振動数になる。
そういう意味では、過去の振動数でつくっているという言い方もできるかもしれない。

要は、今の自分がどの振動数でいるかが自分の体験を決めている。
過去の事を思い出してネガティブになったらネガティブな振動数になるから体験もネガティブになる。
だからネガティブな過去なんて考えないほうがいいですねということ。

どうせ無いんだから。
今この瞬間は過去は存在しない。
目の前の事に全力になれば思考とか記憶とか持ってこない。
今の瞬間に集中しようとなれば、この瞬間には充足しかないということが感覚としてわかると思う。
それが現象として知覚できる云々以前に。
私たちはいろんなフィルターを通して知覚しようとしている。
普段わからないものが、今ここにいようとすれば記憶とか思考とか使ってないから実際には充足しかないということが体感できるようになってくる。

 

◆マイケルトミーさん
自己観察でエゴを断固拒否したら上手くいくのは、向きの原理で説明するとしたら、どう言うことが起こってるのでしょうか?

参考元サイト : コメントへのご回答Ⅱその2

【108さんのコメント】
具体的にどういう自己観察をされているのかわからない。
人によって違うと思うので。

>エゴを断固拒否したら上手くいく
というのは、エゴによって向きを変えたりする。
過去のネガティブなことを引っ張り出してきて、エゴがこうだったじゃないかとか言う。
それによって向きがそっちになるから不足を体験する。
ただ、エコを断固拒否するという自動反応みたいなものを無視して自分はこっちを向くという決意とかすれば、向きは充足になるから体験も充足になりうまくいくということ。
ということが言えると思う。
 

◆na na (yunami)さん
こんにちは。初コメです。
危険を避けるために、身体が不快感を感じる事があります。
例えば、ヒヤリとか腹痛とか、嫌な予感がするとか。
不足と感じるものが幻ということは、こういった感覚を感じることそのものがなくなるという事でしょうか?
お答え頂ければ幸いです。
宜しくお願い致します。

参考元サイト : コメントへのご回答Ⅱその2

【108さんのコメント】
危険をさけるためにみたいな予感みたいなものがあると思う。
危険が迫っているのを察知したみたいな。
その予感によって行動して避けれたみたいのがある。

本当のことを言えば時間はないので、そういう時系列になってしまうわけではない。
予感というのは、その不足の現象を察知したからその予感が感じられた。
それが時系列で言えば前になってるから予感・予知というみたいに知覚したということ。

ややこしくなるのでこれ以上はやめておく。
不足をと感じるものが幻ということは、不足を体験しなくなっていく。
不足は無いわけだから、当然予感の根拠となっているものもないのでそういう体験・感覚を感じる事はなくなっていく。

鋭敏に不足を避けなければみたいにしてれば危険がある前提になってしまう。
そうなれば不足を体験するためにそっちを向く→こっから延長線上に不足がある→その延長線上の中間地点で予知みたいなかたちでそれを察知するみたいなことが起きてくる。
実際には不足は無いんだというほうに重心が傾き不足を体験する筋合いはないんだとなれば、不足の体験自体がなくなっていくので予知自体もなくなりますということが言えると思う。

ちょっとトンチンカンなお答えになっていたらすいません^^;。

 

◆huku raracoさん
いつもユーモアたっぷりの動画配信ありがとうございます。
108さんの動画は苦しくならないので安心して聴くことが出来ます。
聴いて苦しくなるのは、きっと自分を自分で許せない観念があるからなのかなーと思います。
あれしちゃダメこれじゃダメ、そんなんじゃダメと抑制してしまうんだと思います。
108さんの、不足を疑うも、適切性に一致するも、なんか、ふっと楽になるというか、無意識に縛り付けていたものが緩む感じがしてお気に入りです。
質問ですが、インナーチャイルドについてはどのように考えておられますか?お答えいただけたら嬉しいです。

参考元サイト : コメントへのご回答Ⅱその3

【108さんのコメント】
ふっと楽になるというのは普段集中しているところから違うところを意識することになる。
不足は絶対にある!と信念みたいになっていたのがひょっとして無いのか・・・となればゆるむ。
適切性と一致するも「今この瞬間の自分にとって適切性は何だろう?」と思えば、ずっと集中していた現実からパッと意識が離れて実像のほうを意識するようになる。
だから楽になる。

インナーチャイルドワークとかもあるが、インナーチャイルドとかがいるわけではない。
過去の自分だったり、傷ついた自分だったりというのを癒すということ。
そういうかたちで具体的に具象化して、それに対して癒すことをすれば自分を癒すことになっているので、ワークとしては有りだと思う。

インナーチャイルドというものが自分の中で欠乏的に存在しているわけではなく、要は自分をインナーチャイルドのような概念を通して痩せるからそのワーク自体は私はいいと思う。
その人にとって有益・有効であればやっていったらいいと思う。

 

◆けいたさん
戦争や自然災害は起きていないと前々から仰っていますが、霊感商法やインチキ宗教もないってことですよね。
ありがとうといえばそれと合致したものが現れるといいますが、◯◯教ありがとうと言えば◯◯教のいいところが見つかって充足でしたとなりませんか?
もしくは◯◯教は詐欺って本当かな?と疑えはよいことになりませんか?
108さん自身も矛盾していると思います。

参考元サイト : 不明

【108さんのコメント】
ありがとうと言って、ありがとうと充足の振動数になっていれば体験することは充足になる。

◯◯教ありがとうと言ってれば◯◯教のいいところが見つかってと言うよりは、自分がありがとうとなっているので充足を体験するということ。
その宗教がどうなるということではなくて。

その宗教をいいものにしたいとなれば、それはもうしありがとうではないではないか。
コントロールしたみたいなことになる。

対象はなんでもいいが、ありがとうという感謝の振動数になっていれば振動数は充足になっているから充足を体験する。
◯◯教は関係ない。
しゃもじありがとうでもいいわけw
何でもいい。
◯◯教の属性を変えることではない。
属性を変えるためにこうして下さいとは言っていない。
それと無関係にと言っている。

>◯◯教は詐欺って本当かな?と疑えはよいことになりませんか?
けいたさんが、◯◯教は詐欺と思っているとする。
◯◯教は詐欺って本当かな?と疑ったとする。
けいたさんの体験の中では◯◯教は詐欺ではなかったという現実を体験することになるかもしれない。

それが全体的に◯◯教が詐欺と、詐欺とは別に属性ではない。
その◯◯教がしたこと。
けいたさんが認識しているある事象、◯◯教がやった何年何月の詐欺というのがなくなるということはある得る。

その宗教の属性が変わるわけではない。
詐欺というのは、その宗教の属性ではないから。
けいたさんがそう認定しているわけ。
◯◯教は詐欺だろうと言っている。
そういう意味ではけいたさんの世界では、あ、その事象はなかったということにはなるかもしれない。

別に矛盾はしていないと思う。

 

◆札幌noiseさん
1:14 これこの人もブーメランでしょ。
108さんも証明してよ。
自分の理論を。

参考元サイト : コメントへのご回答Ⅱその3

【108さんのコメント】
前回霊障は無いみたいな話をした。
それに対して反応がいくつかあった。
それに対し改めてお答えしておきたいと思う。

霊とか云々となると、信仰に関わってくるところがある。
多かれ少なかれ霊みたいなところは、天国地獄とか、死後の世界とかそういうものをベースにしている宗教・信仰が多い。
死後の世界、死んだらどうなるとかが密接だったりする。

私は霊障は無いとバチリと言ってしまうと否定されたようになるかもしれないので、あんまりそういうことを言わないほうがいいのかなと思っている。
私は自発的には発言していない。
セミナーとかでよく質問されるのでそれに対しては答えている。
前回もコメントに質問があったのでそれに対して答えた。

だから「どうですか?」ときかれれば「こうです」という私の見解を話します。
私が見た事をこうですよと言いますけど、それによって不愉快な思いをされるんだったらそこに関しては無視して下さいってこと。

ただひとつ言っておかないといけないのは、死後の世界とか天国地獄とか霊が・・・とかふわっとしたわからない証明されていないところ。
なんとなくあるんだろ~な~と私たちが思っているところ。
そういうところを霊感商法は利用してくる。
今話題になっているアレもまさにそう。
怖がらせて、その為には献金しなきゃいけない。
献金したら何故霊障が消えるのかよくわからない。
どういうメカニズムなのか是非ご説明していただきたい。
お金取るの、それこそ詐欺でしょって話し。
根拠ないんだから。

それを私は別に証明する必要はない。
例えば天国はありません、地獄もありません、霊障はありませんよって言ってるのは実際にどうなんですか?ときかれたから私はいってるだけ。
私が拠り所にしてじゃあ献金して下さいとか言っていないわけ。

108式は関係してない。
きかれたから答えているだけ。

不足を疑うも適切性と一致も、霊とかそういう世界とは全く無関係。
全く無関係の次元の話をしている。
だから別にそれを証明する必要はない。

証明といえば不足を疑うとか適切性と一致するとかいろんなことで、動画のコメント欄とか見ればおわかりだと思う。
実際に不足が消えたとか、充足になったとか、ご報告がいっぱい無茶苦茶ある。

そういうかたちで私の理論は証明されていってる。
私がではなく、皆さんの体験として証明されていってるもの。
そういうかたちで108理論の証明は皆さんの実際の体験で証明されている。
これ以上の証明はないと思う。
私のことなら嘘を言えるが、皆さんのことには私は嘘を言いようがない。
そうなったら本当にそうなったとなってるんだから、それを支持するかどうかはそれで判断していただければいいと思う。

実際お金かからないしw
YouTubeだけを全部観てできるしそういう方も多い。

ただ、霊感商法みたいなことをされてる人たちはそれが教義・根幹みたいになっていたりする。
それによってお金払えとか言っている。
だったらそれは証明する必要あるでしょという話。
だって何の証明もないのに、何となくで言ってるわけでしょ。

例えば先祖が地獄で苦しんでるからこういう霊障になって出てきてる、だから献金しないといけないんだよというロジックは、どこにも何の根拠もない。
その人が言っているだけ。
証拠を出して下さい。
献金したらそれが消滅する証拠も出して下さい。
どういうメカニズムなのかということを言わないとダメですよねという話。
何故これを誰も指摘しないのかなと思う。

なんとなく宗教だから、信仰だからと不問にするのはおかしいと思う。
そんなこと言ってお金を出させたりするんだったらそれを証明しないといけないでしょって話。

私は証明する必要はない。
皆さんに証明してもらっているから。
実際に充足になりましたって山ほどある。
だから「あ、本当だった」となる。

じゃあどっちを支持しますか?って話。
別に二者択一ではないが、ボヤーンとしたところで嘘ついて幸せとは無関係、むしろ恐怖によって不安を煽ってお金を巻き上げてるのが正しいのか。

単にこうして下さいねと言って、その通りにしたら充足になりましたと、実際の体験としてなったと。
どっちが正しいんですか?と。
どちらを支持しますか?という話。

ボワーンとしたわからないところをこうですよと言うのは、もうやめていかないといけないと思ってる。
だから、そういう間違いが起きる。
そこに付け入るような人たちや組織が出てきて、家族が離散したりとかひどいことになる。
そういう余地があるから、霊みたいなわからないもの、定義や何の証明されていないところを見えるなどこうだのと言ってこれを解消するためには~みたいなことを言うのはやめていかないといけないと思う。

そういう霊感商法やマインドコントロールみたいなところに繋がっていく。
弱っている人はそういうところについすがってしまう。
最初は優しかったりするので頼ったりする。
気が付いたら擦りこまれて何の根拠もないことを本当だと思ってしまう。

で、一文無しになって家も何もなくなったとなっている。
それがいいことなわけないじゃないか。
信仰っていうのは人を救うものだし、人を幸せにするためにやっているものだと思う。
そういう芽を摘んでいかないといけないと思う。

そんなことしなくても充足になりますよってこと。
そういうふうにしていって皆さんの体験が充足になれば、まがいものみたいなところに助けを求めなくてよくなる。
よくわからないところを信用したり、流布したりするのはやめて下さい。

よく霊が見えますっていう人がいる。
あそこにこんなにいっぱいいるよ~とか、タレントでも言う人がいる。
それを見えると言っているが、それはアル中の人でも見えるし、薬物中毒の人でも見えますよ。
本当に見えてるんだよと言うが、アル中の人も薬物中毒の人も本当に見えていると思ってる。
触られたら本当に感触あったりする。
同じようなこと。
大丈夫ですか?って話。

それを客観的に計測できない、その人が見たと言ってるだけ。
見た気になってるだけかもしれないが。
じゃあ他の人が計測・体験できなかったらないんですよって話。
霊障みたいなことはいか様にも言えますよって話。
こうだからこうなんたったんだ、霊界で苦しんでるからこれが起きたんだ、なんとでも無関係なものを結び付けて何とでも言える。

本当にバカバカしいので、そういうことを信用するのやめていかないといけない。
一番重要な指針は、『怖れされるものは全て嘘』です。
怖れさせてなんかでこうしなきゃいけないみたいに言ってるのは全て嘘です。
それだけ気を付けていれば騙されないと思う。
怖れさせてきたら「あ、違うんだな」と思って離れて下さい。
その先に充足なんかない。

すいません、長くなりましたね^^;

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