不足を疑う part15-1のまとめ

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不足を疑うpart15-1が公開されたので、まとめてみた。

今回は不足を疑うpart13-4・14-1・14-2のコメントに対しての回答。

 

◆じー散歩さん
イライラする事がおきた時もその方向に自分が向いていたという事なんでしょうか?

参考元サイト : 不足を疑うpart13-4

【108さんのコメント】
はい。原理的にはそうです。

そうですが、自分にとってイライラする自称が起きたとする。その時でも、メチャクチャイライラする時とそうじゃない時がある。その時もまた向きをその都度選択している。

だから、イライラしている時に(`Д´) ムキー!イラッとなった時、それも疑ってみたらいい。これイライラする必要あるのかな?自分にとってそんな重大なことなのかな?と思ったら、事象と密着しているところから離れると思う。

そしたらそこまでイライラしなくて済むかもしれない。ちょっと冷静になれたりするかもしれない。

何が起きたかというより、こっから自分はどっちを向くかのほうが大事。

それについて自分が向いていたからダメなのかと思えば、それによってまた向きがネガティブなほうになってしまう。そうじゃなくてイライラすることが起きてイラッとするでしょうけど、そのままでいるかどうかということ。

これ不利益だからあんまりここにとどまらないようにしようと思って向きを変えれば、そっからそのイライラの方向じゃなくなり事象に左右されないということ。不足に対して無頓着になっていくという態度をとっていけば、そんなにイライラにも没頭するようなことはなくなっていく。

原理的にはそうだが、そっからの方が大事ですっていうこと。

 

◆nmさん
なんていうか、正義感、義務感、集団ヒステリー、ごく個人的な観念にまだまだ支配されてる人が多い気がします。
自分の思ってることはみんなの思ってること!ってナチュラルに勘違い起こしてたり。
観測したら現れるし、観測を止めれば消えます。いつでも好きなものを選べます。
不幸も一つのアトラクションです。

参考元サイト : 不足を疑うpart14-2

【108さんのコメント】
そうですね。ちょっと達観された考え方というか見方だが、正しいと思う。一つの考え方に従って物事を見ちゃうと、全部がそういうふうにしか見えなくなるっていうちょっと危険な物の味方。ニュートラルじゃないっていうか。

間違ってても自分にとって不利益になることでも、いやこれが正しいみたいに感じて信じ込んでその考えで捉えるとどんどん自分にとって不利益になってきて、よりそれが見えてきてそれしか見えなくなるようになってくるのでちょっと注意が必要。

正義感とか義務感とかそういうのも感じるとは思うが、あんまりそこに没頭しないというか少し悠長を残しておいたほうがいい。違うかもしれない・・・と。そのほうが、物事をニュートラルに捉えたり充足面に目がいったり視野に入ってきたりってことが起きてくると思う。

こんな感じでnmさんみたいにちょっと楽に捉えれば、不足面に注目しないで済むから充足面も見えてくる。充足を体験することができるってことでそっちの方を向きやすい。振動数もそうなりやすい。結構大事なことを仰ってますね。

 

◆慈航さん
いつも面白い
考察ありがとうございます。

108さんは今のこの世界状況もただ眺めている感じでしょうか?

僕は、マスクはしなくていいと思っていますが、100%周りはしています。
ワクチンも、嘘っぱちだなぁとするつもりもありませんが、この2点の不足?というか与えられた洗脳に108さんは、どう見えて、どう対処しているのか?興味があります。

参考元サイト : 不足を疑うpart14-1

【108さんのコメント】
コロナも日本では終息してきている。1日に数十人とかそんなレベルになってきている。ちょっと前まで何千人とか1万人とか言ってたのがちょっと考えられないくらいの終息をしていってる。そういうことがあっていいってこと。

世界情勢がコロナ禍でどんどん広がっていってるから日本もそうじゃなきゃいけないってことはない。例外になったって全然いい。そういうことも意識していったほうがいいと思う。

ただ眺めているということではないし大変だなあと思うが、別に世界情勢に参加しようがない笑。私はロシアとかアメリカとかイスラエルとか行けないので日本にいるしかない。行こうと思えば行けるかもしれないが、ワクチンパスポートみたいな話になってくる。別に行く用事もないし行きたいとも今思っていないので。

全部を世界情勢みたいなこと、自分に取り入れて抱えなくていいと思う。大切なのは自分の周囲何メートルの話だと思う。そこだけ意識しておけば別にマスクしなくてしなくて済む状況を作れる、そういう状況にいれるかもしれない。周りがしていてもしなくていい状況になれるかもしれない。どんどんマスクもはずしていこうという話も議論になってる。

そういうこともコロナ自体がなくなればマスクをしなくて済む話だし、ワクチンも打つ必要ないとなってくる。ワクチンがどうなのか嘘なのかなんなのかっていうよりは、自分の周囲というかそこでの充足に注意を向けていったほうが私はいいと思う。

そしたらこの世の条件みたいなことも自分にとって勝手に整ってくると思う。不利益にならないようなかたちで。洗脳と仰ってるけど、その洗脳と捉えているのがまさに洗脳のもとというか。捉え方なので別に洗脳と捉えなければそういうかたちで事象が展開しないということ。

まずその洗脳と捉えているところを疑ってみたらいいと思う。そういう体験しなくて済むとなるから。

対処は必要ないが、捉え方。何かのひとつの見方について捉えているのだとしたらその見方をちょっと疑ってみる。そういうことは大事になってくるかもしれない。こうだ!と決めつけない。これはコロナに拘わらず大事。

 

◆hana hanaさん
108さんに質問です。
108さんのおっしゃる、向きというのは理解したつもりです。
私は容姿を変えたいのですが、自分が理想の顔だと決めればそのような世界が展開するということですよね?
不足はないから今の容姿は知覚がおかしくなっているだけで理想の容姿で間違いない。
そこで質問なのですが、よく自分で決めるな、何も考えるな、意図もするな、そうやって全てをお任せすればエゴである自分が考えられないような充足が訪れる。
ということを聞きます、よく言われる元祖一式というやつです。
自分で一つ一つ意図して行くのか、意図すらもやめてひたすら思考を止めて生きて行くのか、どちらか良い生き方なのでしょうか?
思考を止めると自分では想像もできないようないいことがたくさん起きるという仕組みも教えていただきたいです。

参考元サイト : 不足を疑うpart14-1

【108さんのコメント】
別に私、自分で決めるなとか、何も考えるなとか、意図もするなとは言ってないですよ^^;ただそのすべてお任せするというのは有益なことだと思う。

自力を放棄して自分の自我の範囲から手を伸ばすということは大切だと思っている。が、じゃあ何も考えちゃダメとか自分で決めてもだめとか、そんなことはない。自分で決めても、何を考えてもいい。ただ、その外側を意識するということ。

これは適切性と一致するに繋がってくる話。逆に言えば、何しててもいいということ。

それとは次元の違うところの計らいに手を伸ばして触れるようなことで充足が流れてくる。ここであれこれやっていても無関係に無条件に充足になるということ。私はだから何やっててもいいという観点の立場。

>一つ一つ意図して行くのか、意図すらもやめてひたすら思考を止めて生きて行くのか、どちらか良い生き方なのでしょうか?→どちらがいいと言う話でもないと思う。ある場面は意図したほうがいいこともあると思うし、ある場面は意図しないほうがいい。意図が何を差しているかにもよるが。

意図というか思考、こうだ、こうするっていうのをやめて放棄したほうがいい場合もある。

それも適切性と一致すると意識すれば意図すべきことは意図することになるし、意図しなくていい時は意図しない、思考もしなくていいならしなくて済むようになってくる。ちょっと適切性と一致するの話になってしまったが。

思考や自我という見方や捉え方によって、こうだと判断してそれに基づいて行動したりしてるわけ。それがものすごい狭い物事の見方でしかないし、それに基づく判断は当然間違ってくる。外側を意識すれば十全のありかたを意識するだけで充足が流れ込んでくることになる。勝手に整うことになる。

自分で思考してもいいししなくてもいいけど、ちょっとその外側を折に触れ意識するということ。そうしておけばちゃんと充足は流れ込んでくるし、十全な状態を体験できるようになってきてそこらへんをどっちにすればいいのかと気にしなくて済むようになっていくと思う。

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