今この瞬間を全力で体験する 3-1
108さんの動画『今この瞬間を全力で体験する 3-1』のまとめ。
◆ちよこさん
7:14 頭で決着をつけたくなる→思考が展開する→しらん!しらーん!
今この瞬間ラクになることが最優先。
不安も不足も思考が起こしている。ラクになっていいんですよね。
不安や心配の方が慣れすぎていて、ラクになることの方が勇気がいるというか、居心地わるいというか😅自分のこともそうですが、家族のことをつい心配してしまい、何か私にできることないかな?と抱えてしまいます。
愛情=心配みたいになってしまっていて。迷惑ですよねー💦
私にできることはないのに。しらんっしらーん!てラクに生きるを自分に馴染ませて、充足見ていきます。
108さん、みなさん、ありがとうございます!【追加】
「不足だー💦不足がきたー💦」ってこれまでのクセで慌ててしまうけど、ハッと気づいて、『しらん、しらーん』ってその都度そこから離れて、『適切性に一致します』って意識していたら、グーーーっと離れてみたら、もしかしたら良い方向へ向かっているのかもしれないって思えることがありました。
不足に没頭している状態、というのが少しずつ分かってきて、そこから離れられるようになってきました。で、離れたらどうするの?って前は思ってましたが、離れたら『今この瞬間を全力で体験する』なんですね。
なんか難しく考えてましたが、本当に今やってることに集中するってことなんですね。
で、そのことから意識がそれたらまた戻るの繰り返し。参考元サイト : 今この瞬間を全力で体験する②その2
【108さんのコメント】
気づきがあったようですね。
そうですそうです。
良い方向に向かっていることが、不足だというところから離れたらそれが知覚できたということ。
ああ、自分は不足に没頭してたんだということが自覚できるようになってきた。
これ大きな進歩。
離れられるようになってきた、離れたら今この瞬間を全力で体験する。
離れたらどうするって、今ここにいればいい。
そままでは思考によってそっちにいってたわけですけど、思考をやめたら今にいれるようになる。
今この瞬間を全力で体験すればいい。
やるべきことがあるし、充足はそこにありますよってこと。
そうですそうです。
素晴らしい気づきですね。
◆Kさん
就きたい職業があり、それに向け転職活動の準備しているのですが、中々苦しい状況です。
準備をしなきゃいけないから、その職業に就いていないことを意識せざおえない状況にあります。
不足を疑う、適切性に一致する、主へのリクエストを行っても状況が変わらないように見え苦しいです。
適切性と一致するや、主へのリクエストをしても状況が変わらないなら、この状況が実はもうすでに適切だったとも考えられますが、私はこの状況から抜け出したいためモヤモヤします。どうにかして憧れの職業に就きたいのですが、毎日準備に邁進してるため、不足を向いてしまうし、完全にのせてしまってると思います。
108さんは場合に寄っては、現実的な対処をして下さいとおっしゃっていますが、どこまで現実に対処すればいいのか、どこから任せればいいのか分からず苦しみます。
とにかく毎日苦しいです【追加】
できる時に、荷を下ろすというか、楽になるをやってみました。その中で「楽になってはいけない、常に気を張ってなきゃいけない、努力を怠ってはいけない」みたいなのが出てきました。
焦燥感に駆られることが多いですが、その時には楽になることを意識しています。
しかし「楽になる」ことに対し罪悪感というか、気楽でいると後で大変なことになるぞというエゴの声(?)聞こえてくるため、中々リラックスできずもどかしいです。参考元サイト : 今この瞬間を全力で体験する②その2
【108さんのコメント】
楽になったんですね。
ただそうなると「だめだぞ」みたいなことをエゴが言ってくる。
まず
>現実的な対処をして下さいとおっしゃっていますが、どこまで現実に対処すればいいのか、どこから任せればいいのか分からず苦しみます。
にお答えします。
現実対処はどこまでもやっていいです。
で、それと無関係に「ここでの適切性はなんだろう」とやる。
それはまったく関連しないことなので、いくら現実的対処してもいいってこと。
自分が気が済むまで現実的対処して下さい。
充足を体験するため作用するのは適切性と一致すること。
Kさんは就職するために主へのリクエストをやったり、不足を疑うをやったり、適切性に一致するをやったりしている。
だから荷が乗っかってて効果が出ないということだと思う。
乗せて状況を変えようみたいな。
なんども言うように、不足を疑うは状況を変える事ではなく単に疑うこと。
適切性に一致するも何らかの願望叶えたり、問題を解決したり、状況を変えたりすることではなく、ただ今この瞬間自分にとっての完璧なかたちがあるからそれと一致したいなと思うってだけの事。
それが状況とか問題と関係してこない。
主へのリクエストも「主よ、あなたにとっての最良を」だから自分にとってのどうこうで関係ない。
自分が体験したい充足のための手段としてそれを使おうとしても、それはなかなか機能しないと思う。
だから乗っかってる状況になってるし、どんどん重くなってる感じになってると思う。
エゴは荷を下ろすなよ、楽になるなよと言っている。
ところが楽にならないと充足は体験できない。
今の状態では充足を体験できない。
「知るか!」「背負わん!」と言って下ろしたほうがいい。
エゴの気楽でいると後で大変なことになるぞと聞こえてきても、「知るか!」とすればいい。
というかおまえ(エゴ)の声をきいていてろくなことになっていないんだから、今楽になったほうがいいでしょって話。
エゴの声を聴いているとそうなるとずっと心配し通し。
でも今「知るか!」とすれば少なくとも今楽になる。
その間充足なわけだから、その間充足の振動数になってるし充足の向きを向いているんだから、充足が見えてくる。
そのほうがいいでしょってこと。
そのほうが向きも変わってくる。
不足に固定されてここで何とかするためにはとなっているが、それはやめたほうがいいと思う。
>就きたい職業があり、それに向け転職活動の準備しているのですが
それは全力ですればいいと思いますが、もし就けなくても「知らないよ」と。
滅茶苦茶この仕事どうしても就きたい!でもまあ就けなくても仕方ないかとすれば願望実現に最適なメンタリティになる。
そこで荷も下ろせるようになる。
そういうふうにしていって下さい。
だからまず今楽になること。
ちょっとでもいいからやること。
この間だけは荷を下ろすとして、時間を区切ってもいいからちょっと楽になっていろいろ乗っかっているものを下ろしてみたらどうでしょう。
◆spkwaさん
お金などの物質的な不足は幻想だとして、恋人いない、友達いない、孤独を感じることも幻想なんでしょうか?
どこかに出かけたり何かしたいと思っても常に1人で孤独だなあって寂しく感じるし、何か自分に起きた時に助けてもらえるような人もいません。
孤独感は本当なのかと疑えばいいのでしょうか?
SNS見ても外出しても幸せそうな家族やカップル見ては自分は孤独だなあと苦しくなります。参考元サイト : 今この瞬間を全力で体験する②その2
【108さんのコメント】
それは思考ですね。
一人でいる=不足だとは必ずしもそうではない。
仰ってる家族やカップルも一日の中に一人でいることはあると思う。
一人でいることのほうが多いかもしれない。
ずっと一緒にいたりしているわけでもなくて。
それを自分と比較する捉え方をすれば、あっちは充足だけなのにこっちは不足でと対照的な捉え方になるが本当は違う。
>常に1人で孤独だなあって寂しく感じる
それはその対象化していることによって自分はダメだとなっている。
>何か自分に起きた時に
と、まだ起きてもいないうちからそれを想定して「ああ、その時は不足だ」と言ってるわけ。
だからそれも思考。
>孤独感は本当なのか
孤独で云々というところにあんまり意識をもっていかないほうがいい。
今それによって不足が増幅されているようなかたちなので、今自分が楽しいことに没頭すればいいと思う。
思考から離れて、楽しい~♪嬉しい~♪と。
別に自分一人でもあると思う。
それに没頭しておけば思考の中の孤独感みたいなことは薄れていくから意識しなくて済むようになっていく。
「自分は本当に孤独なのかな?」と疑ってもいい。
◆しろねこ。さん
初めまして 108さん
いつも動画拝見させていただき、モチベーションを上げさせていただいてます。
ありがとうございます。
一つ質問なのですが、私はお金関連の願いがどうしても自分で思う1番気持ちがしんどくなるような願いの叶い方をよくします。
叶うのは有難いのですが、こういう風に叶って欲しくないなって思えるような、(実際に過程で気持ち的に苦しい…)体験を毎回ではないですが、多々あるのですがそれはどうしてでしょうか?
例で言えば、両親に迷惑かけずに難なくトラブルを解決したいって思ってるのに、結局両親に迷惑かけてトラブル解決するみたいな。(抽象的でごめんなさい)
それに関しては主へのリクエストを行なっていたのですが、これが1番最上な自分への叶い方なの…?
トラブル解決したのは有難いけど、なんでこうなってしまうんだろうってやはり思ってしまいます。
私はどうするのが正解なのでしょうか?
何故どうしてもそういう風になってしまうのでしょうか?
ご教授いただけると助かります。
よろしくお願いします。参考元サイト : 今この瞬間を全力で体験する②その2
【108さんのコメント】
まず主へのリクエストとそれは関係していない。
主へのリクエストをしたから、じゃあこれは自分に嫌なことが最上何だとそういうことではない。
主へのリクエストはそういうかたちで機能しない。
なぜそうなるかというと、一番避けたいと思っているからです。
一番恐れていること。
恐れていると、ものすごく意識がそっちを向いているということになってしまう。
だからこの例で言えば、
>結局両親に迷惑かけてトラブル解決する
もううんざりだ、金輪際したくないとなっていたら「両親に迷惑かけていい」と思うということ。
そうすれば迷惑かけていい、仕方ないと思えば恐怖することがなくなる。
そうすればそういう意識の使い方をしなくなるので、体験としては遠ざかる。
古い話になるが、「男たちの旅路」というNHKの土曜ドラマがあった。
鶴田浩二とか、水谷豊とか、桃井かおりさんとか出てた。
最終話の「車輪の一歩」という話がある。
その中で鶴田浩二が車いすでくるんでいる方に対して「君たちは迷惑かけていいんじゃないか」みたいなことを言う。
「私人に迷惑をかけてはいけないという考えは疑ったことがなかった。君たちはどうしたって迷惑をかける。社会に対してかけないと生きていけないんだから仕方ない。それで君たちが苦しい思いをするのはおかしい。だったら迷惑をかけたっていいじゃないか」みたいなことを言う。
すごい発想の転換。
あれがバリアフリーみたいな考え方に一役かったというか貢献した。
名作なので、是非見てほしいと思う。
話ははずれたが、これだめだーしたくないと思っているとそっちを向くことになっているから、迷惑かけてもしかたないとゆるめる。
両親に迷惑かけるかもしれないけど仕方ないかそれは・・・とすればそこに集中することはなくなるから体験としては遠ざかるといえる。
あんまりそこを不足として握らない事。
フラットにしていくこと。
だって解決はしてるわけでしょ、その都度。
だったらそれは良かったじゃないか。
良かったんだからまあいいかということ。
それが最優先。
解決しなかったら一番悪い。
両親に迷惑かけても解決してるわけだから良かったんじゃないですかって話。
良かったのほうに集中・意識を向けていくこと。
◆平田昴さん
質問です。
不足の思考で意味づけされていない目の前のそのままの現実。
これは「別の領域」の完璧な投影と思っていいのでしょうか?参考元サイト : 今この瞬間を全力で体験する②その2
【108さんのコメント】
違います。
>意味づけされていない目の前のそのままの現実
と思っても、私たちが見えているものは本当のものではない。
どうしたって私たちが五感とかで知覚してこうだと捉えたものは本当のことではない。
本当のこと・実像はフィーリングでしか捉えられない。
私たちは見えた事を材料にしてこうだと言ってる。
その時はもう実像ではないものを前提にこうだということになっている。
どうしたってそうなると自分の中の材料をもってきてこうだとなるから違うことになる。
別の領域というのは完璧な充足しかないっていうこと。
不足は存在しないっていうのが実像。
それを具体的にイメージできないですよね。
こうだって定義できない。
実際のことをいえばそういうこと。
それが本当のことだから目の前に見えている現実が本当ではない。
観念的な話になるが、そういうふうに捉えたほうが正しい。
あ、実際には完璧な充足なんだと、不足は無いんだと。
自分が不足だと捉えるものは一切存在しない、充足だけの世界が実像で本当のことなんだ。
イメージできなくてもそう捉えたものが正しい。
◆mさん
前回コメントを読み上げていただきました!ありがとうございます。
もっともっとお金はもたらされていい。
無条件にもたらされていい。
存在するだけでOKということを108さんから聞けて感動しました。
この意識で日々過ごしています。
次は、数日前に、私が住んでいる市だけなのですが子供1人につき1万円分のQUOカードが市から届きました。
うちは子供2人なので2万円です。
このような支援があることは全く知らず仕事から帰ってくると届いていました。
ちょうど給料日までお金やばいな〜と思っていたところで疑っていました。
ほんとにただ単に疑う。
疑おうと思って意気込んで疑うのではなく、これってほんとに〜?っていう感じでただ疑う?ほんとに?いやー違うはずなんだけどなぁ〜?と。
急に不安に駆られたりこのままじゃやばい!っていう感情が沸き上がっても、その沸き上がってきた感情を相手にまた疑う。
その繰り返しです。参考元サイト : 今この瞬間を全力で体験する②その2
【108さんのコメント】
こうだという決めつけようとするところを疑うわけ。
それでいいんですいいんです。
正しいですね。
実際に充足になったわけだから良かったですね^^
◆ゆうがおさん
108さん、初めてコメントします。
つい、10日くらい前にこのチャンネルの存在を偶然見つけて登録しました。
今まで、潜在意識の事は色々なチャンネルを観ていましたが、どれもしっくりくるものがありませんでした。
108さんのチャンネルを観た瞬間、コレだと思い、昨日、全部見終わりました。
夜、寝る前に、明日からもう一度最初から観ようと思って床につきました。
夢を見ました。
夢の中での私は世界の中心で、なにもかも私の思ったようになる世界でした。
朝、目が覚めて起きた時に色々な夢を見たなぁと思い、出勤の準備をしてバスに乗りました。
バスの中でボーっとしているとふと、夢の事を思い出しました。
バスの中の景色、外の景色、今この瞬間の景色、あれ?私が中心の世界?夢と同じ?あ、もしかしたらそういう事?という思考が出てきました。
まだまだ潜在意識の事は初心者ですが、これを機に沢山の経験をして楽しんでいきたいと思います。
長文になり、ここまで読んで頂きありがとうございます。
108さんの今後のチャンネルも楽しみにしています。参考元サイト : 今この瞬間を全力で体験する②その2
【108さんのコメント】
これ、わかりにくいかもしれないですが私はわかります。
これ多分説明することではないですね。
ゆうがおさんのコメント、皆さんも読んでみて下さい。
結論が書いてあるようなことではないが、これを読んで追体験してみて下さい。
なんか見えてくるかもしれないです^^
良かったです。
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