今この瞬間を全力で体験する 4
108さんの動画『今この瞬間を全力で体験する 4』のまとめ。
◆あさぎさん
私もずっと「親に迷惑をかけてはいけない。親を悲しませるようなことだけはしてはいけない」という考えにひっかかって苦しかったので、すごく良くわかります。
「親に迷惑をかけてはいけない」って、疑う余地がないくらい自分の中で当たり前の教義のようになっていて、他人から「親に迷惑かけてもいいんだよー」と言われても、反射的に「そんなわけないでしょ!」となって、簡単には受け入れられないんですよね。
そう思ってらっしゃる方、私以外にもたくさんいらっしゃるんじゃないかなって思います。
でも「親に迷惑かけるかも…!」と思いつつ、実際に勇気を出して自分のしたいようにしてみると、真逆の結果が待ってたりするんですよね。
私は何回か実験を繰り返して、やっとその教義から目が覚めました(笑)
なので、「親に迷惑かけてもいい」という発言を108さんの口から聞けて「やっぱりそうだったんだー!」と思い、嬉しかったです!参考元サイト : 今この瞬間を全力で体験する②その1
【108さんのコメント】
「人に迷惑をかけてはいけないという、私はこの考え方を疑ったことはなかった」という『男たちの旅路の車輪の一歩』での鶴田浩二さんのセリフ。
あの山田太一さんの脚本すごい。
それが自分に対してスポイルになっている。
ストレスになってこうしちゃいけないんだ・・・。
こうしちゃいけないって考え方は全部嘘。
そういうことを主張していることははなから信用しないこと。
迷惑かけてもいいと思った時に重圧みたいなものがはずれて、自由になれた。
自由になるということは気が楽になった、つまり充足になったということ。
振動数が充足になったから体験することが充足になるということ。
そこで親に迷惑がかかってアチャーということにはならないということ。
こうしちゃいけない、あーしちゃいけないという自分をがんじがらめにするような考え方はどんどん窮屈になっていく。
自分の上にどんどん重圧がのしかかって、それにより不足を体験することになるので「もう知らないよー」とやればその瞬間から気が楽になる。
ストレスかかっていないので、「良かった~♪」となれば体験することは充足。
そういう観点で捉えない事。
誰かに迷惑をかけちゃいけないとか、強制したり違ったりする考え方から離れていくべき。
◆さん らいじんぐさん
結局は振動数と向きで何を体験するかが決まり、現実(パラレル、幻)は無限に存在するということは、運命というものも存在しないってことですよね?
私は算命学や占星術等の占いにハマっていた時期があり、生年月日から性格や運気、人生の縮図を割り出すのですが、よく当たっていると感じかなり信じていました
しかし108さんの見解では世にある占いの数々も霊感商法と同じように嘘っぱちということになりますか?
バシャールは人には生まれてくる時に決めた青写真がありそれが占星術に表れていると言っていましたが、108さん的にはどう思いますか?
宿命というものが存在していて人生や性格が元々決まっていたら嫌だな…と今は感じるので、108さんに占いをバッサリ否定してほしい気持ちがあります…w参考元サイト : 今この瞬間を全力で体験する②その2
【108さんのコメント】
自分がズバッと言ってしまうと、否定されたような感じになってしまってなんだよ・・・と反発を招くかもしれないですが・・・。
ただ私は私の見解を言わせていただきます。
>、運命というものも存在しないってことですよね?
→はい、存在しません。
>108さんの見解では世にある占いの数々も霊感商法と同じように嘘っぱちということになりますか?
→嘘っぱちということになります。
>バシャールは人には生まれてくる時に決めた青写真がありそれが占星術に表れていると言っていましたが、108さん的にはどう思いますか?
→生まれてくる時に決めた青写真なんかありません。
だから宿命なんかないんですって話。
それをそういうふうに考えるからそのように捉えられるっていうだけのこと。
そう解釈できるとなると、それによってその向きを向くから「あ、本当だ、そうだったんだ」みたいなことを体験してそれを裏付けるようなことになっていく。
だから「無いんです」というのが一番正しい正確なお答えです。
占星術とか算命学とか趣味でやってる分には楽しいと思う。
ファンとして、楽しみとして活用するなら全然いい。
怖れさせる材料として、だからこうしたらダメみたいなことになると霊感商法と全く同じ事になってくる。
構造的には同じことになってしまう。
人生の縮図なんてまだ起きてもいないことなのに、こっから先のことの縮図として出てくるわけがない。
この瞬間から後というか、次の瞬間なんて何も決まってない。
だから縮図になりようがない。
もう運命は決まってるんだみたいな考え方をすれば、じゃあ逆に何したっていいじゃんということになってしまう。
努力は無駄だみたいになるし、空しいみたいなことになってくる。
そんなことはない。
それを当たってる~とか楽しむのはいいと思う。
ただ本当にそれが法則としてあるのかといったら無い。
法則としてあるのは向いたことのほうを体験する、振動数に応じてそれに応じた体験をするというだけのこと。
メカニズム的には本当にシンプルにそれだけ。
それ以外の法則が私たちの体験を決めるということはない。
だからあの世から決まってるとかないし、生まれる前にこれを体験すると決めて生まれてきたわけでもない。
こういう運命だからこれを体験しないといけないということもない。
白紙ですということ。
すいません^^;。
お気を悪くされた方はここを飛ばして下さい。
◆。いおりさん
いつも有益な動画をありがとうございます、質問があります。108さんは健康診断、人間ドック等受けられてますか?
不足は嘘、病は無いとおっしゃっていたので受けていないのでしょうか?
私は痛みを伴う検査が凄く嫌で、検査前はもちろん、検査後も次回を考えると憂鬱です、、
ですが、欠かさずやってきたものを突然辞めるのも不安があり、、お時間がある時にお答えいただけたら幸いです。
参考元サイト : 今この瞬間を全力で体験する②その2
【108さんのコメント】
>108さんは健康診断、人間ドック等受けられてますか?
→受けてないです。
>不足は嘘、病は無いとおっしゃっていたので
→それとは関係なく、ただ受けてないです。
会社員とかだと会社の健康診断とか定期的にあったりするので受けたりする。
市などから健康診断とかの案内とか来てるが行ったためしがない。
自分は、受けたくないといって受けていないのではなく、自分から積極的に受けようという気もない。
ずっと受けていて受けないと気持ち悪い、受けて気が楽になるなら受けたほうがいいと思う。
憂鬱とかネガティブに考えないこと。
ちょっと楽しんでみてはどうか。
検査結果はどうあれ、関係ないんですからって話。
検査結果は運命の審判みたいなことではない。
死刑宣告でもなんでもないんだから。
もしネガティブな結果が出たとしてもその時は「アチャー、でも大丈夫!」と思って健康に向いていけば体験することは健康なんで病気を体験しなくて済む。
次の検査の時には消えていたということになるかもしれない。
よく引き合いにだすザ・シークレットの乳がん治した方の話みたいなこと。
ああいうかたちでいくらでも治せる、なかったことにできる。
恐れると病気みたいなことに意識を集中することになってしまう。
検査で悪い結果が出たらどうしようとか、そうなったらこうなるしとかどんどんネガティブな方向に思考が展開されていってしまう。
実際にはただ検査を受けているだけなのに、ネガティブになってしまう。
意識がネガティブになり、つまり向きがネガティブになるということ。
それはいいことない。
どれがいおりさんにとって楽かということを考えたらいい。
検査を受けることで気が楽になるなら受けたらいい。
受ける時もそんなに深刻に考えない。
結果はどうであれ、自分の生活習慣で直すべきところが思い当たるかもしれない。
それを改善すれば自分の健康に役立つわけだからポジティブに考えたらどうか。
検査は何も変えない。
調べるだけ。
調べた結果こうですよというだけ。
検査結果が今の健康状態を左右しない。
それによって健康状態が変わったりしない。
気にしてたらそのメンタルによって体調悪くなったりするかもしれない。
検査自体は単なる結果。
そこも深刻に捉える必要はない。
気楽に考えること。
健康診断をやるもやらないも、ポジティブに活用していったらいいと思う。
◆オダまりさん
初めまして。ご教授頂きたく宜しくお願い致します。「なぜ、わざわざ不正プログラムに参加したのか?私は一体いつどこで同意したのか?」
ザ・チケットや諸々の書籍を読み、動画を拝見している内に強い疑問が湧いてきました。今年初頭に新型コロナに罹患してしまい、自分自身に「何しに地球に・この世界に生まれてきた?」と問いかけたら、2日程でとある書籍が目に止まり見開いた先に「” ひとつの意識 ” にとっては、苦悩や痛みというのも大切な経験のひとつです。〜本当のあなた(意識)が、苦悩し続ける脚本を選び、体験しているということです。」とあり、不愉快でアタマにきました。
そこから2ヶ月後、私の癌が発覚。今も必死で闘っている最中です。
障碍児2人の子と老猫2人を抱え、全てが私の双肩にかかっているのに!と必然と死に物狂いです。(前の亭主はありがちな何年たっても慰謝料養育費1円も払わず道外に行方をくらましたまま)
108さんはこの世の原理=真理をめくって(暴いて)くれたので是非伺いたいです。
参考元サイト : 今この瞬間を全力で体験する②その2
【108さんのコメント】
「何しに地球に・この世界に生まれてきた?」と問いかけたら、ある書籍を開いた先に「” ひとつの意識 ” にとっては、苦悩や痛みというのも大切な経験のひとつです。〜本当のあなた(意識)が、苦悩し続ける脚本を選び、体験しているということです。」と書いてあった。
そして不愉快でアタマにきたと。
それはそうです。
それはアタマにきます。
それは大嘘です。
よくスピリチュアルの本だと、偉そうにそんなこと書いてあるがこんなことは大嘘。
>苦悩し続ける脚本を選び、体験している
→本当の自分はそれを体験したかったみたいな・・・
とんでもな理屈です。
そんなわけないでしょ。
本当のあなた、自分の意識というのは充足しかない。
苦悩し続ける脚本を選ぶなんて有り得ない。
癌が発覚したのはそれと関係しているかどうかはわからない。
発覚したとしても関係ない。
癌なんか今は治る病気。
「わー、もうこんなに抱えてるのに癌になっちゃって」となってるかもしれないが、深刻にならないこと。
ザ・シークレットの乳がん治した人の話を参考にして下さい。
ネガティブになればどんどん気が重くなる→ネガティブなほうに集中してしまうと振動数・向きがネガティブになる→体験することがネガティブになってしまう。
まずは気楽に考える事。
「あ、そうか。癌なんて治るのかもしれない」と。
前のご主人のことも考えたらネガティブになるなら考えない事。
考えから除外すること。
で、今この瞬間の喜びのほうに注目していったほうがいい。
「もし癌が治ったらどうなんだろう」と。
良かった~♪と気楽になる。
それを毎日意識すること。
実際「治って良かった~♪」となって、ザ・シークレットの人は治した。
原理はそれだけのことなので治ります。
深刻に捉える必要はない。
>なぜ、わざわざ不正プログラムに参加したのか?
→なぜってない。
ある理由によって先に不正プログラムに参加し不足を体験することになった→今不足を体験していることは正当な理由があるということになってしまう。
そんなことはないんです。
不足を体験することに対して正当性は1mmもない。
だから理由があって不正プログラムに参加したんだろうということではない。
本当の自分がその不足の貴重な体験するためにそこに入ってきたんだということではない。
単なるエラーみたいなこと。
意義があるというようなことでは一切ない。
大切な経験なんかではない。
それは錯覚です。
単なる妄想みたいなことで、知覚が狂ってるだけの話。
私たちが何か悪夢を見る。
うなされて目が覚めた時にあの悪夢何か意味があったのか?となった時に意味はない。
単にうなされていただけ。
目がさめてみたら終わるでしょ。
はじめは目が覚めた時にドキドキしてるかもしれないがそのうち忘れる。
それは何の意味もなかった、ただうなされただけ。
不足を体験するのは単にそれだけのこと。
不正プログラムも似たような事。
だからそこに意味はない。
参加する意図を持って不正プログラムに入ってきたわけではない。
知覚の狂いによって歪んでいる世界を不正プログラムとよんでいる。
それは特別な世界でも何でもなくて、ただの知覚の狂いです。
知覚の狂いが見せている錯覚であり現像ですよというだけのこと。
癌とかネガティブなことも不足で実際にはないので、不正プログラムの幻想ではなく実際の有り様、真理です。
本当は充足しかない。
実像のほうに目を向けて意識していくこと。
それを後ろ盾にして、「治って良かった、健康でありがとう」と気分で毎日いれば癌も治る。
どんな病気も治る。
病気も錯覚。
知覚の狂いのひとつ。
深刻に考えない事。
気楽になっていくこと。
★ザ・シークレットの乳がんの話
→https://youtu.be/7Mp2jbkxABs?t=3745
1:02:25から
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