不足を疑う part14-2のまとめ

不足を疑うpart14-2が公開されたので、まとめてみた。

今回は不足を疑うとpart13-4とパラレルシフト2のコメントに対しての回答。

 

◆Mさん
前に子供の不登校でコメントした者です。
カウンセリングや心療内科に通い、学校は一年間休ませましたが変化はありませんでした。

そこで108さんにたどり着き「学校に行きたくない理由があるって本当?」と疑ってみました。
すると、別人のように復活し、留年して学校に通うようになりました!
自ら勉強するようになり、塾にも通っています。
友だちとも楽しく過ごしてるし、
今すごく充実してる、留年してよかった、大学受験を目標にがんばるよ!と言っています。

不足を疑うことにより、奇跡を体験しました❗
本当にありがとうございました❗

参考元サイト : 不足を疑うpart13-4

【108さんのコメント】
ああ!良かったですね^^
前回も不登校みたいなことに対してコメントがあってそこでお答えしましたけども。
まさに疑うことで消えたという実例ですね。

そうなんです、だからいろいろやったけども変化なかったのが、Mさん自身が起点になってそこを疑ったことで掴んできたことが緩んだからその不足の現象がMさんの観点から消えたわけ。
だから充足になっていったってこと。
素晴らしいですね、これね。

誰かをコントロールすることではない。
自分自身が掴んでいる不足に疑問をなげかけてみる。

不足を疑うとは単にそれだけのこと。

どんなふうに見えてる不足でもそれは幻想。
その幻想がなぜ見えてるかというと、その人が掴んでるから。
ここだって言って掴んでるからなんで、掴むのやめればシワが消えるように消えていく。
素晴らしいですね^^

 

◆里美 山中さん
108さん、いつもありがとうございます。
自分個人の些細な不足は疑う事が
出来るのですが、今この世界で
起こっている有事、闇の支配者による
注射での人工削減や、とんでもない悪事。
このような世界を、108さんは
どう捉えているのか知りたいです。
このような世界は不足だから
実際には起こってないとは
とても思えなくて、生きるのが
辛くて苦しいです。

参考元サイト : 不足を疑うpart13-4

【108さんのコメント】
僕は陰謀論でこの世界を捉えてはいないし、陰謀論が全部デマカセとも思っていない。
そういう観点で見ないようにしてる。

世界で起こっている有事、闇の支配者によるって言ってるけど闇の支配者ってじゃあどこにいるんですか?誰ですか?って話。
そういう観点で見ればそう見えてしまう。
注射で人工削減しようとしてんだろうどうせみたいな。

>どう捉えているのか?
さっきのお答えとと同じようになる。
幻想内だからそんなこと起きるでしょうねぐらいの感じ。

>このような世界は不足だからと
幻想だからそう見えてくる。
不正プログラム内なんで、実際にはない不足が見えて体験している感覚。

>実際には起こってないとはとても思えなくて
そうでしょうね、それはそうだと思う。
テレビとかで見るし、実際自分で目にすることもあるでしょうし、自分自身が体験することもあったりすると思うがそれを抱えなくていいということ。

それを抱えてしまうと仰るように生きるのが辛くて苦しいだけになってしまうと思う。
そんな思いはしなくていい。
じゃあどうすればいいかというと、荷を下ろせばいい。

そのために本当は起きてないのかもな?ということ。
それを信じろということではなく、それをちょっと想定してみる。

本当は幻想なのかもしれない。
どうしても起きてるようにしか見えないけども。
違うのかな?本当は・・・と。

私はそういう観点で捉えているから、そういう風に見えてるだけなのかな?って言う風にちょっと考慮してみる。
そうするとちょっと楽になると思う。
わーってなってたのが、ちょっとだけ下ろせたらその分ちょっと楽になってるわけだからその分充足に向いたってこと。

だから世界が変わるかどうかではなくて、今自分が楽になるかどうかが大事。

それが世界を変える事になっていく。

だから今生きるのが辛くて苦しいんだったら、その重しをもう下ろして。
私に関係ない、実像とも関係ない、実際は起きてないんだからということで、ちょっと下ろして。

で、今ちょっと楽になることが大事。

そのことを抱える筋合いはないので、下ろしてください。
即座に今下ろしてってこと。

で、美味しいものでも食べて。
その時充足でしょってこと。
あ、美味しい^^ってなったらそれ喜び。
それがゴールってこと。

それが本当のこと。

目に見えてる不足は本当のことではないっていうこと。

 

◆内山陽子さん
いつもありがとうございます!
2ちゃん時代から大ファンで、著作も愛読させて頂いてます。
今回もぐっときました。

長年の疑問を書かせて下さい。

私は津留晃一さんをよく読みますが、著名な著者の中に、平均寿命より明らかに「早死」と呼べる、しかもがんなどの不治の病で亡くなっている方が意外に多いという話があります。

健康法でも、ベジタリアンやマクロビオティックの提唱者や関係者の方々で比較的若いと呼べる年齢で亡くなっているケースが見受けられますが、潜在意識活用でも同じような現象が起きているのはなぜなのでしょうか?

確かに、「私達は生まれてもいない、だから死なない」「死」も「生」も幻想だから、早死も長生きもどちらが良いというわけではない、の観点から言えば、優れた願望実現方法の提唱者とそのご本人の亡くなった年齢の間に因果関係はないわけです。(むしろ、早くやるべきことをやり終えて満足し、完全な幸せの在り処に帰ったのだからやはりそのメソッドは素晴らしい、ということに)

ただ、やはりどうしても引っかかるのは「がん」は2人に1人がかかる病気とはいえ、痛みや苦しみが強いイメージがあり、「願望実現のメソッドは試したい。でも、その代償的な早死は勘弁したい」と考えて、彼らの死のスピリチュアル、潜在意識的な本当の原因を知りたいなと思ってしまいます。

参考元サイト : 不足を疑うpart13-4

【108さんのコメント】
さっき言ったことと同じようなになってしまうが、そういう観点で見ればそこは見えてしまう。

>提唱者・関係者の方々が比較的若いと呼べる年齢でなくなっているケースが見受けられます
それは探せばそういう証拠はどんどん出て来る。
この人もだ、この人もだと。
関連させていくとそっちが見えていく。

それは関連させているからそう見えているだけ。
そうじゃない人もいたりする。

だからそっちに注目していけば、逆の現象や事象が見えてきてそれが証拠になったりする。
これはそういう思い込みだと思う。
そう見えているのは、願望実現の取り組みをすれば代償で早死にしちゃったりするんじゃなかったりしちゃったりしてみたいな(笑)
そう思っているのは、その通りのことを見ようとしてることになってると思う。
自分はそんなつもりはないと仰るかもしれないけど。
ひとつのその条件に従って見ようとしてるから、それが見えてきてるだけだと思う。

だからそういうところに無頓着になっていきべきだと思う。
何をもって早死にするかということもあるし、どの時点から早死になるかとか。

全然違う話だが、以前セミナーで話したことだが、例えばペットは言ってもそんな長く生きられない。
犬とか猫とか15年とか、長くて20年とか、それは超長生きなほう。
人間から比べたら寿命が短い・・・というふうに見えている。
だから、こんだけしか生きられなくてかわいそうだなって思うかもしれないが、彼ら犬とか猫は全然そんなことない。
全然こんだけしか生きられないとか思っていない。
私達がそういう尺度で見ているからそう見えているだけ。

だから、短くて早死にしちゃってる、寿命も短いと思うが、本当は全然短くない。
セミとかもそう。
2週間しか生きられないとなっている。
儚い命だな土の中に何年もいて、出てきたら2週間で死んじゃう・・・なんて儚いんだと思うけどセミは全然儚くない。

私達がそういう時間軸を活用してそういう観点で見てるからそう見えるだけ。
セミは本当は長生きしてる。

で、セミは本当はあんな形じゃない。
犬や猫も。

私達がこんなもんだって見てるけど、本当は違う。
だから私達は何も正確なものを見てないってこと。
だから自分の考えに従ったことを投影してるっちゃ投影してるってこと。

そう解釈してるだけ。
本当のことではない。

そっから言うと早死にしてるって言うけど、実は早死にじゃないのかもしれない。
例えばめっちゃ若くて亡くなってると思ってるかもしれないけど、その人の観点からすれば全然早死にしてないかもしれない。
めっちゃ長生きしてるかもしれない。

単純に数字の20年、30年、40年ということとは別の観点。
私達はどうしてもそう換算してしまうからそう見えてしまう。

本当はそこじゃない。
その観点で見ればそう見えてしまう。
若くして死んだとか思っちゃうが、それは違う。

そもそもそういう考え方をやめてったほうがいい。
本当は私たちは死はないから、永遠。
だからコロナにかかったら死ぬとか、病気にかかったら死ぬとか、いろいろそう思っているだけ。

それは本当のことではないから、そういう観点から離れていって。
生命に寿命の限りがあって、この観念なんとかしなきゃいけないみたいな。
それをなるべく少しでも延長しなきゃいけないって考え方をすると、それは不足に根拠を置いた考え方になってしまうから、向きがどうしても不足になってしまう。
その向きを変えるべき。

実際には何かの代償で早死にしたりっていうわけではない。
そういう考え方はやめていったほうがいい。

癌とかも最近は不治の病ではなくなりつつある。
そういった面からしても変わっていってるし、幻想は解けていってる。

今言ったことは、答えになっているようななっていないようなことだが、その観点で捉えないってこと。
不足の観点で捉えなければ早死にも遅死にもないし、死ってものが自分の考えから消えていくと思う。
そういうふうにしていくべきだと思う。

 

◆おさとうしおのさん
108さん、また賢人の皆さんに質問なのですが、家族の死に関しての捉え方はどうするべきなのでしょう。
父が他界しました。
心臓と腎臓が悪く、不足を疑うを知ってから、病気という概念そのものが無いと考えるようにしいました。
上手く疑うことができずこういう結果になったのか。
正直、ずっと心の奥で心配する気持ちが捨てきれなかったので、今は心が軽く開放された気持ちがあります。
実の親を無くして薄情だとは思います。
しかし、この世界に充足しかないとしたら、こういった身近な人の死についての心構え、捉え方はどうしたらいいのか。
皆さんのお考えや、実際どうされたのかが知りたいのです。
この世に不足は本当に無いのか。今はどうしても信じられないのです。

参考元サイト : 不足を疑うpart13-4

【108さんのコメント】
ごく最近お父さんが他界されたのなら、不足はないと思えないと思う。

>今は心が軽く開放された気持ちがあります
って仰ってるってことは、それまでは軽くなかったんだからまさに乗せてたんだと思う。
疑うことで消さなきゃってなってたんだと思う。

それを今お父さんが亡くなってやらなく済むようになったから、ちょっと語弊があるがそれで下ろせたわけ。
だから楽になった。
もうお父さんが生前からそうしておけば良かった。
失敗とかという意味ではない。

ただいずれ下ろすんだから、今下ろしたらいい。
この病気が治ったら下ろそうと抱えてやっている。
それが不足なんだから不足のほうを向いていることになる。
それは荷を乗せてるわけだから、そこは充足にならないからとっとと下ろしたほうがいい。

どの時点からも無責任になったほうがいいと思う。

前回のコメントでもあったと思うが、お父さんが病気になってもどうせ治ると思って薄情と思われるかもしれないが、結局治ってるしってあった。
だからそういうこと。
その時に乗せてない。

今ちょっと深刻になってしまってるし、肉親の死ということに対直面されてるから今不足に向いちゃってるかもしれないが、実際のことを言えばお父さんは亡くなってないしっていうこと。
ただ、今はそうは思えないと思う。

今直面してるんだから、それと向き合うしかない。
ちょっと落ち着いてきたら、そういうことに関して捉え直してみたらいいのでは。

別に心構えは必要ではないと思う。
また死なれたらあれだから、今準備しておかないとと生きてたらしんどいでしょ。

そんなことしなくていいと思うし、生を謳歌して生を喜ぶべきだし、身内の方に対しても生を喜んであげて。
そういう姿勢で過ごしたらいいと思う。

そしたら喜びだけになる。
死ということを意識しなくて済むと思う。

生きてるということは、それを謳歌するためにいる。
死とは・・・みたいなことにずっと突き詰めて考えているよりはその事から離れて生を謳歌したほうが有意義だし、それが生きてるってことだし充足に向くこと。
そうするべきだと思う。

別にさとうしおのさんが不足を疑うを失敗したとか、そう考えないで。
どうしても今そう捉えてしまうかもしれないが、そういうことではないので。

だから大丈夫。
今はとにかく自分を癒す期間でもあるんだな・・・ということで、あまり考えないで。
静かに自分を癒していくことだと思う。

 

◆miu miuさん
108さんこんにちは。
毎日動画を見ております。
私は「向く」ということを自分なりには、こうなったらいいな、こうなってほしい、この現実に移行したい!って思う世界を思ったりしながら「そうなったー良かったー」今充足を向いていると実感しているのですが合ってますでしょうか💦
でもどこかで、こうすれば移行できるんだ、叶ってるんだって思っている自分もいて、でもこのコメントを書きながら、もう叶ってるんだから「こうすれば」とか思うこと自体向いてないな。って感じてしまう。
「全て既にある」のだから、好きな世界を選択してその世界にいると信じきればよいのでしょうか。
お答えいただけたら嬉しいです。

参考元サイト : パラレルソフトとは?2

【108さんのコメント】
信じ切るようなことではない。
信じるどうこうの話ではないってこと。

パラレルシフトという観点で言えば、例えばこうなった~、よかった~っていう時。
例えば億万長者になったというのが願望だとする。
自分が億万長者になった世界にパラレルシフトしたってなったら、その自分て「やったー」ってならないでしょ。

自分はもう億万長者であることが当たり前だから、それに対して「やったー」とか、億万長者であることを信じようとか思ってないでしょ。
億万長者の自分は。

それを想像してみたらいい。
それは自分はどうなのかと。

それを想像すれば振動数に一致するになる。

充足を向いて良かったー、やったーとなっている時は歓喜だし、喜びにいるからいいこと。

>こうすれば移行できるんだ、叶ってるんだって思っている自分もいて
の時は叶ってない自分の立場。

移行したんだと、完了、移行終了と思って整えばその自分と一致することができる。
その移行した自分はどうなのかと感じる事ができると思う。

さっきの億万長者の自分はどうなのか。
その振動数になるから、その自分はこれでいいのかなと思わないはず。
信じるとかもなってない。

その感覚、それがその振動数。
その振動数になれば、もうその世界を体験するしかなくなるのでその世界にパラレルシフトしますということ。

魔法みたいなことではない。
単なる原理だから。
そういうこと。

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