シリーズ適切性と一致する 8-1 まとめ

108さんの動画『シリーズ適性と一致する 8-1 』のまとめ。

 

◆貴方の主張正しいよね
動画更新ありがとうございます!
適切性の一致を実践していてふと思っとのですが、もしかして快を感じる事と願望実現って自我が判断しているだけで本当は同じものですか?

参考元サイト : 適切性と一致する7-1

【108さんのコメント】
はい。同じものです。
これ核心ついてますね。

充足を感じたらもうゴールなんだと。
あなたが何かで嬉しいとなって充足になった時は、あなたが願望を実現したいと思ってそれを実現したのとまったく同じ次元にいる。
だから願望を実現したこととまったく同じ。
本当にそう。

自我が違うと分けているだけ。
本当は同じ。
ゴールは一つという話。

 

◆すずかさん
適切性と一致は 何か抱えてる問題とは関係なくやる。目の前の状況とも関係なく?

では、108さんがシリーズ適切性と一致するその①で言っていた、「何か難しい問題抱えたりとか判断を迫られた時に特にやりやすいと思います」って言うのは…?

何かしらの不足がきっかけでやるかもしれないが、それに対する直接的な解決や答えは期待するなってことですか…?

ある不足に対して「ここでの適切性ってなんだろう」ってやって、それで自動的な感じで解決したと思ったことがあったのですがそれは勘違いだった…?

参考元サイト : 適切性と一致する7-2

【108さんのコメント】
困難抱えているような時は「ここでの適切性と一致しよう」とやりやすいと思う。
それは言いましたね。

ただそれは不足がきっかけでやりやすいけども、直接的な回答のためではない。
何度も言うが適切性と一致するは、今この瞬間の自分にとってのベストな完璧なかたちと一致したいとなること。
ということは、問題とか願望とか関係ない。

ただ、今この瞬間の完璧なかたちはなんだろう、それと一致したいなとそこに思いを馳せるだけなので、そこに問題とか願望とか入ってこない。
一致すれば充足になる。
完璧な充足になるということは、不足は存在しないということなので問題は消えたり願望が実現したりするということ。
直接的にこれを消そうとか、これを叶えようというかたちでは使えない。
結果的には願望が実現するかもしれない。
そのためにやっているとなると違うことになる。

>自動的な感じで解決したと思った

と仰ってますが、たぶんその時は「ここでの適切性は何だろう」と思って、不足を消そうとか願望を実現させようとかとなってなかったと思う。
ちゃんと適切性を意識できてたと思う。
だから自動的な感じで解決したと思う。

適切性と一致するは、例外なく自動的な感じになる。
自分にやったことではないという感じの現れ方をする。
だから完璧だーとなる。

で、またすずかさんが次にまた質問されている。

◆すずかさん
主の最良っていうのは自分の解決したいと思ってる問題等とは関係ないってことですか?

主が自分の抱えてる不足を解決するためにこうしてこうしてこんな手段取ってきたらやだなっていう思いがあるんですが根本的に取り違えてるんでしょうか。

主への祈りを一週間くらいやったけど特に何もならなかった。
不足も何も無くならないし何も解決しないじゃんって感じです。

↑上記のような嫌な手段を取ることや変化への恐れがあるからなんでしょうか。

メソッドへの効果の期待は忍耐強く待たなくていい、忍耐強く待ってるとしたらどこかでやり方を間違えてるみたいなことを過去に読んだ気がする。

だからどこかやり方を間違えてるんだと思った。

主へのリクエスト「主よ、あなたにとっての最良をお与えください」これはDEBUGで提示したもの。
これは適切性と一致するするとメカニズムと一緒。
同じ原理を使ってる。

そこに主が何かの意向で自分が思ってるのと違うルートでとか、自分が望まないことみたいなことは絶対にない。
それは頭で考えて、主がそういう人格的なもので判断したり裁いたりするもんだという思い込がある。
偽物の主に対してリクエストしようとしてるから拒否感というか、何か違うんじゃないか、変なことされたらどうしようみたいな感覚になりリクエストできていないんだと思う。

主というのは完璧な充足。
どっかの上のほうにいる偉い人格とかではない。
そう思っているなら偽物の神様なので違うということ。
もう一度DEBUGを見直していただけたらそのへんのこと書いてある。

たぶんその時には根本的に取り違えているからリクエストできていなかった。
だから不足も何もなくならないしとなったと思う。

主へのリクエストは、メソッドの効果というかメソッドでもない。
今自分が自力で何とかしようと思ってるところから離れるということ。
その論理から出るということ。
そうすれば完璧な充足のほうを意識されるようなことになるから完璧な解決とか、叶ったりとか充足になったりする。

自分の論理の中でやろう、そのために主へのリクエストを使おうとやろうとすると、主が本当に私の意向と一致してくれるのかという不安や疑念がでてくると思うがそういうこっちゃないということ。
主よ文句いいません、完璧な充足を与えてくれたらそれでいいですというようなこと。
そしたら完璧な充足を与えてくれるので、何だよということにならない。

それを頭で勝手に定義して、主がそういうふうにしてくるかもしれないとか言ってるだけ。
主はそういうもんじゃない。
主にそういう能力はない。
裁いたりする能力はない。

あたなの嫌な方を通ってという選別をしたりはできない。
主の能力というのは完璧な充足を与えているということ。
それをちょっと意識してみる。
そしたら自分の中で定義づけてる制限みたいなものがはずれるから完璧な充足が流れ込んでくるということになる。

◆すずかさん
きっと何でもつなげすぎなんですね
それとは関係なくやれってことですね

まあそうですね。
単純に、主よあなたのとバカになってみたということ。
昔言ったと思うが、神様にバカになってお願いするのとちょっと似ている。
だいたい同じようなことだが、言い方を変えたのが主へのリクエスト。

◆すずかさん
それとも主へのリクエストっていうのは これが嫌だとかこんな経験はしたくないとか言ってないで 任せたのなら どうなろうと腹を括れってことなのかな?

まあそういうことです。
グダグダ言ってないで腹をくくれば充足がくるからお任せしろよということ。
腹をくくれないから握っておきたいなとなる。
自分の思い通りにならなかったら困るからと思うから腹をくくれない。
決意みたいなところに関係してくるかもしれない。
充足を与えて下さい、文句を言いませんと決意をすれば完璧に充足になるので文句が出ようがないとなる。

 

◆-e_n-さん
108さんこんにちは。最近、この動画に辿り着き気づきを頂きました。
姉にもこのチャンネルを紹介し毎日、今日はこんなことがあって適切性と一致したいと思ったらこうなった。なんて報告しあってます。
不足を疑う時に、のせないように、のせないようにと思考してしまい変に意識してしまう。
疑ったとしても、これは乗せてるのかな〜?とか考えてしまっている自分がいる。
身体の不調の時の不足を疑うは難しいです💦
痛みに負けてしまいます。
このコメント書きながらも向きが不足やん!ってわかっていても不足を向きたがる自分が嫌になります。😂
逆に充足、充足!って充足にフォーカスできない😢

参考元サイト :適切性と一致する7-2

【108さんのコメント】
乗せないようになんだが、何故そう思うかというとそこから消えてくれなかったら困るから乗せちゃダメなんだとなっているのでは?
それはまさに乗せることになっている。
そうではない。

もう消えなくていい、消えるとか関係ないんだっていうこと。
不足を疑うは不足を消すためではなくておかしいから疑ってる。
ホントか?これと。
違うんじゃないか?ということ。

だから乗せないようにというのはおかしい。
ちょっと待てよ、おかしいぞこれとなれば何も乗ってない。
私たちが普段何かを疑う時は乗せてないでしょ。
よし、これを疑うことでとか思ってない。
おかしいな、これ・・・と単純にそれだけでしょ。
そういうふうになって下さいってこと。
単純に疑えは疑えるようになる。

体が不調な時はそれは難しい、できない。
痛いとなっている時に、まさに痛いを消したいからになってしまう。
矛盾するようなことになるので、痛い時にはやらないで下さい。
痛みが治まったとか楽になった時に、さっきのあれは本当かな?と疑うことはできると思う。
その渦中に居る時は絶対に無理だと思う。
だからそれはしないで。

>不足を向きたがる自分が嫌になります

だからそれはまさに乗せている。
不足を向いちゃだめなんだとなってるということ。

ダメなんだと乗せている。
不足を向かないようにしなきゃと責任を背負っている。
放って。
不足を向いてもいいやと。
別に不足を向いたっていいんだよな思えばいい。
実際向いてもいい。
そうなれば荷が下りるから不足ではなく充足になる。
あぁいいのかと気楽になる。

楽になるからその時充足の方向いてますよってこと。
だから自分に何かを強制させないこと。
ちゃんとできなくてもいいかと。
気楽な感じでやって下さい。

まあうまくできたらいいかぁという感じの自分の中でハードルを落としてやったほうがいいと思う。
真面目なんでしょうけど、あんまり真面目にやると深刻に繋がってしまう。
深刻=不足なので、不足の向きになってしまう。
ではなくて気楽に気楽にで。
そういった感じでやっていって下さい。

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