【動画まとめ】108YouTubeオリジナルコンテンツ part1

108さんの動画『108YouTubeオリジナルコンテンツ part1』のまとめ。

 

【質問】
まなみさん
チケットやパラレルが好きなのでYouTubeで動画を拝見して久々にワクワクしています。
思考・感情は実現しない、関係ないというのが聞けたのはすごくホッとしました。
ありがとうございます。
お伺いしたいのは、思考、感情ときて「行動」(とりわけ内面での行動や内面の努力の必要性)についてです。
自分はチケット7章が好きなのですが 残念ながら未だ理解や願望実現に至らずチケットを読み返したり、いわゆるまとめや、掲示板に行って時々コメントしたりしています。
そんな中で掲示板などでは○○がいけない(原因だ)とか○○したら叶うとか○○したら充足も見えてくるというような話が多く、動画の108さんの説明を聞いても向きを変えることが“必要”であると捉えてしまいます。
しかし感覚や方法がわからない。だからまずはそれがわかるようにならなければ…という感じです。
何かすることが必要だとか今とは変える必要があるというのは納得なのですが、やはり何かが7章とは違うのではという気もずっとしています。
思考感情は関係ないというお話が聞けたので、ぜひ内面での行動や努力についてもお話が聞けたら嬉しいです。

参考元サイト : 第七章と向きに対する疑問への回答

【108さんコメント】
ちょっと誤解されているんじゃないかなと読んでて思った。

>「行動」(とりわけ内面での行動や内面の努力の必要性)についてです
>掲示板などでは○○がいけない(原因だ)とか○○したら叶うとか○○したら充足も見えてくるというような話が多く

と。
で、わたしの話をきくと向きを変えることが必要であると捉えてしまう。

まず言っとくと、◯◯したらじゃない。
基本線はそれをやめましょうということ。
じゃないですよという話を私はずっとしている。
◯◯いけないをやめましょうということ。
◯◯したら叶うという考え方を止めましょう。
だから向きだけですということはそういうこと。
もうそっちを向きゃあいいんだよということ。

でもそう言っても充足に向きを変えることは「◯◯したら」になっちゃってる。
だから感覚や方法がわからないってなっちゃってると思うんですけど。

何回も言うが、わかることではない。
理解してこれ適用すればいいんだなということではなくて、単に向けってこと。
そっち向けよってこと。
向いた時にその自分の願望とか実現とか幸せに一致してたら「あーいいな」となる。
太陽に向かって陽を浴びてあったかいなとなるということ。
感情でわかるということ。
それだけのこと。

何か取り組んで成果として出てくるようなことではない。
だから直結している。
向きになればそうなりますよという話。

>何かすることが必要だとか今とは変える必要があるというのは納得なのですが

いや、違いますよってこと。
そこ納得しちゃダメですよ。
何かすることが必要ではないですから。
今と変える必要まったくない。
だからそれが違う。
納得しちゃダメですからね。
わたしが言ってることではない。
違います。
だからやはり無いかな、そっちは在るのではないか?となっちゃってる。
そこは違います。

で、思考感情は関係ない。
内面での行動や努力に取り組んで、内面ではイメージングやったりとか、そういうことに取り組んでこれで効果出たみたいな感じの捉え方だと同じになってしまう。
わたしがずっと言っているのはそれいらないんだよって話。
で、それが本当のこと。

だからそうやって遠ざけてしまっている。
間にそういうプロセスをはさまきゃダメだろうという捉え方をしてるから、それが功を奏さなきゃ実を結ばないみたいな感じになっちゃう。
あ、失敗したみたいなことになってしまう。
だからそこまでいくまでにあきらめちゃったとか。
そういうことではない。
単純にそっち向けばそれが見えますってだけのこと。

思考・感情は実現しない、関係ないというのが聞けたのはすごくホッとしたんでしょ?
それですよ。
ホッとしたっていうのは良かったってなったってこと。
あ、関係なかったんだと思って楽になった。
肩から荷を下ろした。
それが本当のこと。
要はそれだけでいい。
だから自分の願望実現するために何かしなきゃいけないということじゃない。
自分の願望なりを全く同じ要領で捉えたらいい。

掲示板とかだといろんな方がいろんな意見を書き込んだりしていて、それぞれ矛盾していたり違う事を言っていたリするとどれが本当なんだろう?となってしまう。
わけわかんなくなってしまうところもあると思う。
読むのもいいし参考になることもあると思うが、それよりも自分がホッとする、わぁいいな♪となること、そのフィーリング、それを重要視というか意識していったらいいと思う。

内面の努力や行動は必要ない。
それを止めましょうということ。
それによって実を結んでようやく叶うという話ではない。
それ遠ざけているもんですよという話。

わかるようになる必要はない。
単に自分がいいなとなればそれでいい。

あなたの願望があり(何でもいい)それが叶ったと、その自分と一致してみる。
もし今自分がその自分だったらどうだろうと。
この瞬間叶ってその自分になってると思ったらどんな感じだろうと、今なったことにして感じてみる。
あ、こんな感じかとフィーリングでわかる。
嬉しい♪となる。
それが向きであり振動数。

 

◆Ameli2686さん
振動数で追加の質問あります。
今回の動画と関連してるかもですが。
1億ある!なのに通帳見て50万しかない。なんで?は、50万しかない。と「ない」にフォーカスした時点で1億の方を向けてないからかな。って思いました。
50万ないって本当?本当はあるんじゃない?って1億ある!の向きを保ってれば現れるんじゃないかなあ。
追加の質問は、欲しいものを手に入れた振動数になってもすぐに「引き戻されて」しまうこともあると思うのですが、その度になりたい振動数になって、その振動数の自分を当たり前にしていけばいいのでしょうか?
当たり前になったらもう振動数にならないと。とも思わなくなる気がしています。

参考元サイト : 振動数に対する疑問①質問編

【108さんコメント】
そうです、その通りです。
50万円しかないって思わなきゃいい。
1億円ある自分でい続ければいい。
通帳がどんな額記帳されてようが、それと関係なく。

通帳を見て、「あ、1億円ある♪」と思っててその振動数になってるのに、また通帳をみて「ああ50万円しかないんだわ」としなくていい。
通帳の50万円の振動数に合わせなくていいということ。
通帳が50万円だろうが0だろうがマイナスだろうが1億だと思っていればいい。
本当に1億持ってるもんね♪としておけばそっちが本当になるからその自分の振動数でいられる。

不足みたいなことを認識した時に、わたし達はそれに無意識・自動的に合わせようとしてしまう。
違うんだと、それをやめていくということ。
不足を認識した時って肩に荷を背負っている。
ちょっとしんどくなるでしょ?
それまでわーっ♪となってるのが、その不足をパッと見たり体験したり認識した時にえー⁉と重くなる。
重くなるということは振動数が低くなる。
低くなってるということは何か抱えてるということ。

それをもういいかと放り出す。
あ、違う違う、関係ないもんねと。
そうすれば楽になる。
自分の責任としてこれを何とかしなければと思ってその都度抱えてしまう。
どうしても。
あー重たい、しんどいとなったらそれをやめる。
そういう習慣をつけたらいい。
何に対しても。
どんなことに対しても。
ケースは問わない。

しんどいと思ったらやめるという習慣をつける。
その都度やめていく。
それが癖に、習慣になっていく。
そしたら1億円の振動数になっていてパッと通帳見て50万円見てああ・・・と思いかけても「あ、違う違う」とできるようになる。
勝手にそうなる。
そしたら50万円しかないというそこに焦点を結ばなくなる。

【質問】
>引き戻されてしまう

今言った通り。
当たり前にしていく。
もう抱えなきゃいい。
深刻になってしまう。
思ってることは本当のことではないと思っている。
1億円あるは自分が想定してイメージして考えているだけだけど、現実は50万円という現実の方がリアルだからそっちに重心がガーッていってしまう。

じゃなくて、そうなった時に自分はしんどく重くなってるはずだからそれをやめる。
今抱えようとしているということ。
それをその都度下ろしてやめる。
それが当たり前になっていく。
その振動数にならなきゃ・・・とかならなくなる。
不足に対して深刻になりがちな習い性というかそれをやめていく。
抱えようとしたらやめていく。

最初は意識的にしないといけないが、習慣づいてくると意識しなくても勝手にできるようになる。
それで自分が望む方のことに意識をもっていけるようになる。
それが普通になってくる。
すると不足の体験もどんどん減ってくる。
で、願望は迅速に実現していく。

 

◆sayuriさん
視覚化できてないだけですか?

参考元サイト : 振動数に対する疑問①質問編

【108さんのコメント】
視覚化できてないから1億円パッと現れないのか?
そういうこっちゃない。
視覚化とかどうでもいい。
どうでもいいというか、視覚化ビジュアライズという話。
イメージングしてビジュアライズしたらそれがでてくるが、じゃあビジュアライズしなかったら出てこないのか?
関係ない。

前に別の動画でも言ったがイメージとかビジュアライズとか関係ない。
それによってどの向きを向いているかということ。
いくらビジュアライズしても向きが向けてなかったら一緒。
だからビジュアライズは重要ではない。
視覚かとかは大切ではない。
それがその向きを向くことに寄与する場合は意味があるが、そうでなければ別に視覚化をしなければいけないということではないし、必須条件ではない。

よく潜在意識でかねてから視覚化が大事だと言われていて、わりと今でも信奉されてることかもしれないが関係ない。
わたしも散々やってきた。
現れることもあるが視覚化したからではない。
うまいことそれによってその向きを向けてからそうなったというだけのこと。
いくら視覚化しても待てど暮らせど何にもならなかったということもある。

視覚化を一生懸命やってた。
視覚化せねばーとなってしまう。
ちゃんと視覚化してありありとイメージしてそれを潜在意識に落とし込んで繰り返しやらないと、と昔やっていた。
だから必ずそれが出て来るわけではない。
出てくることもあるし、イメージの通りじゃんということもある。

大体そういう時は気楽にやっている。
(力を入れて)視覚化せねばー!とやっていない。
深刻になると向きが不足のほうを向いてしまう。
いくら視覚化しても焦点が無いほうに合ってしまう。
それに気づかない。

不足を植えつけていってるようになってしまってる。
引き寄せとかでも真逆の現象が起こるとかある。
気が付かない。
が、感情に気を付けていたらわかる。
その時に自分がどうなっているか。
深刻になっていたらダメ。
いくらやっても深刻な不足の方を向いていってるんだから充足が見えてくるわけない。
そこは気を付けたほうがいい。

そういうテクニックみたいな方に考えないほうがいい。
自分のフィーリング、今自分が何を感じてるのかな?どういう感情になってるんだろう、それによって向き・振動数がわかる。
それを意識していったほうがいい。

 

◆平田昴さん
例えば1万円入った財布を家に忘れてままコンビニに行ったとしても「自分は一文無しだ!」と思わないのと同じように、1億円が在ることを知っていれば通帳が50万円だろうが300円だろうが1億円所持とは何も関係ないのに「無い」理由ばかりを支えてしまうからではないでしょうか

参考元サイト : 振動数に対する疑問①質問編

【108さんのコメント】
そうですね、その通りですね。
ない理由を考えて、それに合わせていってしまってる。
通帳50万円の自分にならなくていい。

 

◆むらさきさん
え?その感覚に馴染んでないからじゃないですか?
そしたらその感覚に馴染め、と言っていたじゃないですか
ある程度の時間経過は必要だと思ってしまう
結局現実的にはああなってこうなってみたいな辻褄合わせが必要なんでしょう?
というか感覚を保つのが難しいですね
参考元サイト : 振動数に対する疑問①質問編

【108さんのコメント】
時間経過は必要ないですよ。
その考えが出ないといけない。
そう思ってるとその人の中で時間経過が必要になってくる。
本当はそうじゃないのに。

>辻褄合わせが必要なんでしょう?

辻褄は勝手に合うものなんです。
だからその為に時間がいるということではない。
そこは放っておけばいい。
あ、気が付いたら辻褄合ってたみたいなことになる。
自分が望む振動数になる、つまり自分がいいなと感じる状態になってることに専念すればいい。
そうすれば辻褄が勝手に合ってくる。

 

◆バルセロナさん
自分がその現れ方に納得してない、信じることができないからですかね

参考元サイト : 振動数に対する疑問①質問編

【108さんのコメント】
まあそうですね。
納得してないからそうなってしまう。
この目の前の通帳、50万円て書いてあるんだからダメじゃんと思ってしまうから。
で、その向きを向いてしまってるということ。

 

◆まなみさん
色々考えてみたのですが振動数が不足に戻ったからだと思います。
もしかしたらそもそも充足の振動数になってなかったのかも。(理想の振動数をイメージで知れても「なる」とは別)

前の動画の精神的豊かさのところで「なっちゃえばイライラしても“まだ残ってたんだ”と切り離せる」的なことをおっしゃっていましたが、お金に入れ替えれば「たまたま50万円しか入ってないだけ」と自然に思えるならその充足の振動数になれてるし、「なんで1億円ないんだ(怒)」と思えば不足の振動数になっているということ。
思考(感情)はサインというのも当てはまります。

でもそもそも、50万円入った通帳は充足とも不足ともとれる以上、個々の現象に振動数なんてあるんでしょうか?
物の振動数が違うってのは聞いたことがありますがそれは個々の振動数であって人間側がいちいちそれに合わせる必要はないですよね。
振動数とは…

参考元サイト : 振動数に対する疑問①質問編

【108さんのコメント】
答えはそうです。
振動数が不足に戻ったから現れない。
それを気にしてたらダメですよと言う話。

>そもそも個々の現象に振動数なんてあるんでしょうか?

現象というか、自分の今の振動数に合致した体験をするということ。
1億円ある振動数になったら1億円あるを体験しますということ。
現象の振動数がどうとかではない。
現象に合わせて振動数をアジャストしていくようなことではなく、その現象が自分が体験している時どうなってるかということ。
それが振動数。

自分が望むことを体験していたいんだったら、現象に合わせてではなくて望むことを体験したと今思ってしまう。
その自分になってしまえばその振動数になるから現象が現れてくる。
フィーリングで象の形を写したものをスクリーンに投影すれば象が映る。
キリンでも何でもいいが、フィルムで撮影したものをスクリーンに投影すればそれが出てくる。
それが現象。
キリンのフィルムが振動数。

自分がその振動数になればそれが投影されて現象として出てくる。
その現象に合わせてそのフィルムを作るというよりは、キリンをスクリーンに映したと思えばいい。
そうすれば勝手にフィルムの元は象とかキリンになる。

スクリーンに映ってるものが振動数ではない。
その振動数に合わせるのではなくて、今自分がそれになってしまえばいい。
そしたらその振動数に応じてそれがスクリーンに透写されますよってこと。
そして見ることができる、つまり体験することができる。

 

◆Roseさん
この物質世界には時間という概念があるから。

参考元サイト : 振動数に対する疑問①質問編

【108さんのコメント】
まあそうですね。
時間かけてそれが現れるまで待たないといけないと思うと、そのようになるということですね。

 

◆dnnuさん
単純な話になってしまいますが、エゴと本当の自分を混同しているからですよね。
映画の主人公(エゴ)に没頭しすぎて本来何の力もない主人公(エゴのセリフ)に力を持たせてしまってるみたいな感じですか。

参考元サイト : 振動数に対する疑問①質問編

【108さんのコメント】
エゴの言ってることに聞き耳持ってそう思っちゃうと、それが真実になってしまう。
そっちに指導権をわたしてしまうと現実のリアクション装置になってしまうということ。
自分が能動的に体験していくということができなくなってしまう。
だいたいみんなそういう状態。
多くの人はリアクションマシーンになってしまっている。

そうではなくて、自分が能動的にアクションを選んでいけばいい。
エゴの反応について、それが自分だとそれが本当だと思いだすとそうなってしまう。
反応は反応に過ぎない。
それを自分だと深刻に考えなくていい、これをどうしようとか思わなくていい。
反応かぁと思っとけばいい。

オンリー反応だからそれはそれでいいやと、自分はこっちを選ぶよとすればいい。
自分が体験したいことを、今その振動数なったりすることで選んでいけばそれを体験できる。
現実がどうだろうがエゴの反応がどうだろうが関係ない。

 

◆Roseさん
以前、冷蔵庫の中のガラス製の鍋を取ろうとして蓋を落としてしまい、足の親指に当たって切れて怪我をした事があるのですが、その時に、既にあるを見ました。
手が滑って鍋の蓋を落とした時に私の”向き”、”振動数”は親指に当たって怪我をする方と一致したんだと思いますが、鍋の蓋を落とした瞬間に、まだ手から1cmも離れていない時に”既にある”というか、ビジョンというかを見て、それがいわゆる既にあるの知っているとういう感覚なのですが、本当にそのままが現実に起こりました。
すごいのが、1mmの正確さで本当に親指のここにピンポイントで当たると知っていると見えた場所に正確に当たりました。
一回、鍋の蓋が冷蔵庫の角に当たって割れてその破片が足の親指に当たったのですが、本当に正確に知っている通りに当たった、完璧でした!びっくり。
私、超能力者かと思いましたが、実はもっとすごい存在だったのですね。

何が言いたいかと言うと、真実の世界では時間という概念がないから、全て同時に起こっている。
鍋の蓋を落として、割れて、足の親指に当たって、と全て同時に起こっているから振動数が一致した私は親指に当たって怪我をしたのを知っているけど、この時間という概念のある世界ではまだ実際には見えていなかった。
でもこの場合は蓋を落として親指に当たるまで数秒だからすぐに、実現されたのを確認できたわけです。

1億円も同じ事だと思います。
振動数が1億円、1億円を得る過程と一致したから既にあるでは見える(知っている)けど、でもこの時間のある物質世界ではまだ見えない。

すごいですよね、時間って、実際に自分で体験すると”未来から過去から未来へ”みたいな感じ?意味不明ですね。全て終わってる感じ?ちょっと違うかなぁ?
パラレルとしか思えないです。

参考元サイト : 振動数に対する疑問①質問編

【108さんのコメント】
これは結構重要なことを書かれている。
以前セミナーで「前世はありますか?」「生まれ変わりはありますか?」と質問をされたので「生まれ変わりはないです」という話をした。
ただ、幻想上ではそうなってますよというお話をした。
何でそうなのかというと実際には・・・あ、その動画ではなかった、別の動画だった。

予知能力というか、起きることがわかることがありますよねということを話した。
数秒前とか数時間前とか数日前とかにその通りになることないですか?という話をした。
前世の話をしかけて期待してしまった人ごめんなさい^^;。

予知能力というか、知っちゃったみたいなこと。
確実にそうなるとわかっていてその通りになったってやつ。
それが不足の方向だったってこと。

実際に時間はない。
現実上の意識では順繰りになっている。
まず蓋が落ちて、割れて、それが冷蔵庫に当たり、自分の足に当たってと、時間通りの順番になっている。
落ちて足に当たるまでの時点では体験できないから知らないはず。

その前に意識のほうが先に見てしまった、知っちゃった状態。
で、まったくその通りになったということ。
他の方もこういう経験結構あると思う。
忘れてるだけで多分あると思う。

その時たまたま一瞬あっとなり現実から離れて時間が無いところ、平面上で見ちゃったみたいなこと。
これ面白い興味深い話。

 

◆Roseさん
連投すみません。ものすごくおかしい事に気付きました。
108さん、教えて頂けると幸いです。
本来、既に全て有るのは充足ですよね。だから別の領域とかにつながって既に有るのを知るのは、充足があるという事ですよね。
でも私が既にあると知ったのは怪我という不足です。なんで?怪我って不足で合ってますか?不足を既にあるって、おかしくないですか?
ちょっと混乱してきました。

因みに、充足の既にあるも経験があり、願望が叶っているので、自分の感覚が間違っているとかではないです。
同棲していた彼と喧嘩して彼が出て行って帰ってこなかったのですが、歓喜というか恍惚というか、神とつながった感覚があった直後に『あ、帰ってくる、くる、くる、知ってる、知ってる』と湧いてきて既にあるを知りました。
そして本当に彼はすぐ帰ってきました。その後は今考えたらいい事がたくさん起こっていました。
この時の”既にある、知ってる”という感覚と全く同じ感覚でした。

怪我の既にあるが見えた時は、ただ一つ違うのは、歓喜のような幸福感はなかったです。
既にあるって、充足しかないのではなかったのでしょうか?

参考元サイト : 振動数に対する疑問①質問編

これに対し返信している方がいて

◆west009lifeさん
個人的な意見ですが、そもそも怪我すること自体、良いも悪いもどちらでもないと思うので不足ではないはず。
死ぬことが必ずしも悪いことと言えないように、怪我することが悪いことだとも断定できないと思います。

参考元サイト : 振動数に対する疑問①質問編

【108さんのコメント】
これすごい重要なことを仰ってますよ。
しまった!ここだけで1本作れば良かったな^^;。
読みながらここ重要だと気づいた^^;。

簡単に言うと、生まれ変わりは実際はない。
ないけど幻想内(この世界では)そうなっている。

実際になぜかというと、死は無いから。
時間線もない。
生まれ変わりがないとはそういうこと。
生まれ変わったら1回死んで、またそれが現世に別のかたちで生を受けて生まれて違う人生を送っていくみたいなことだがそうではない。

本当は同時に一瞬に起きている。
パラレル6で書いたが、別の自分がいて白昼夢みたいにずっと同時並行的に体験しているという僕の友達がいた。
そういうこと。
時間がないから。
わたし達は時間線を用いて解釈している。

さっきの蓋が落ちたもそう。
時間線で解釈すると、蓋が落ちて割れて足に当たってとじゅんぐりじゅんぐりに順番に解釈している。
本当は時間線はないから取っ払えば同時に起きていることが見える。
同じ平面上だから。

で、既にあるは充足しかないってこと。
これは他にあげた動画で話している。
不足は既にあるのではなく、不足は例外なくどんな不足も無い。
常にあるを知ったというよりも、それは時間線の解釈の外に出たということ。
その時は時間線を用いないで自分で体験したから、違う知覚を働かせた。
本当の有り様がパッと見えた。

俯瞰して、こっちの時間的にはまだ起こってないはずのことが見えてしまった。
で、その通りになったということ。
その後の彼が出て行ってすぐ戻ってきたもそう。
同じようなこと。
ああ、帰ってくるってわかったというのも、俯瞰して見えた。
そういうことを経験された。

不足だから既にあるではない。
不足は例外なく無いので、幻想内で起きてることを見えたということ。
既にあるは充足しかないので、それが既にある。
不足は既にあるではない。
不足は既に無い。
メカニズムは、わたし達が幻想を通して解釈しているプロセスを通さずに知覚をしたということ。

返信されたwest009lifeさんのは結構重要。

>そもそも怪我すること自体、良いも悪いもどちらでもないと思うので不足ではないはず

もっと言えば怪我していない。
幻想内では怪我していることになってるが、本当は怪我してない。
不足でないはずではなく、不足は無い。
逆に言えば幻想だからどうでもいいじゃんという話でもある。
どうせ幻想だろう。
死ぬことが必ずしも悪いことだとは言えないように。

死ぬことは幻想内でしか起きていないことなので、いいも悪いもない。
この方はもっと達観したような視点で仰ってるんだと思う。
人間が解釈していい悪いと決めているだけで、そうじゃないもっと対極的というか視点に立てばいい悪いということではないよという話をしてるんだろうと思う。

もっと言えば怪我とか死などの不足はないので起きちゃいない。
だからどうだっていいという言い方もできる。
どうだってよくないよと仰るでしょうね。
さっきエディ・ヴァン・ヘイレンが亡くなって追悼がって言ってる奴が~って言ってる話ですけど^^;
それも幻想の中でしか起きていない。

本当は死ぬはないので、怪我もない。
それを認識してるってことは幻想内だっていうこと。
それがいい悪いではない。

体験している人の観点では悪いことに決まっている。
怪我とかしないほうがいいに決まっている。
体験したくない事なんだが、怪我・不足に対して深刻になる必要がない。
ならなくていい、ならないほうがいい。
そこを深刻に捉えていくと向きが不足になっていくのでまた不足を経験しちゃうよということ。
誰もそんなこと経験したくないはず。
だから充足だけでいい。

本当にあるのは充足だけなので幻想内での不足に対してあんまり着目していかずに無頓着になっていったほうがいいと思う。
どうせ起きていない事なんなだから。
充足のほうを意識していってそれを体験していったほうがいいでしょってこと。
充足を体験していってる時、いいなとなってる時はそれは本当のこと。
それは実像を知覚しているということであり、それが既にあるということ。

本当のことを今知覚したということ。
それがどんな体験であろうと。
その時に実像に触れている。
不足を体験した時は実像に触れていない。
幻想内だってこと。

不足になっている時は幻想だと、充足を体験している時・いいなとなっている時は幻想ではない本当のことだと明確に分けられる。
だったら不足に対してあんまり着目して行こうとならないと思う。
わたし達はわりと不足に対して着目するように仕向けられているというかそうなっている。
生命体として危険を避けるために、そういう機能が備わっている。
車が来た!危ない!と反射的によけたりする。
それは大切なこと。
なんだが、そこにいちいち着目していない。
反射的なこと。
それはいい。

そこを思考でどんどん追いかけていったりすると向きがどんどん不足になっていく。
そうすると充足を体験することが難しくなる。
向きが不足なのに充足は体験できない。
もうやめやめ!とやめていったほうがいい。

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