【動画まとめ】ゴールにいない=幻想
108さんの動画『ゴールにいない=幻想』のまとめ。
向きについて。
向きについて量や距離ではない、角度だと言っていましたが、スマホを見てて壁に目を移せるとか例え話であって、叶っていないと感じる願望についてやってもすぐに見えるわけではない。そっちを向いていればいずれとか、実現した次元にとどまっていればいいとか、それなら量は必要ではないかと思います。たいていの場合は現実の不足の刺激に反応してそれが見えてくるまで保てないんだ。これは現象ありきの人間の言葉ですか。しかしそうなると言われれば期待してしまいます。
叶っていないと感じる願望について、パッと視点を移すようなことをやってもすぐに見えないじゃないか。
壁とかドアとか冷蔵庫とか視点を移せばすぐ見えるけど、願望についてはそうならないじゃないかという話。
じゃあ待たなきゃいけないのか?
見えないじゃないかとなってる時は、その願望が見えない向きを向いている。
願望が体験できないほうの向き。
これ振動数でも言ったが。
だからそこ。
要は見えたかどうかじゃない。
例えというよりは、それが原理。
電子レンジに向けば目に見える、窓に向けば窓が見える、洗濯物やエアコンを見れば洗濯物やエアコンが見えるということは原理。
つまりそっちを向いたらそれが見えるということ。
ところが願望については見えないとなっている。
見えないからじゃあ違うんじゃんという話。
違わない、一緒。
一瞬も待ちたくないってことですか?
待てって言ってない。
待たなきゃってなってるってことは、そっちを向いていないってこと。
見えてないってなってる。
見えないからそっちを向いていないんだとなって、そっちじゃないほうを向いている。
そうじゃない。
その次元とかにいるというのは、本当にその次元にいる。
つまりそれを見えてないから待たなきゃなんだと思ったらその次元にはいない。
待たなきゃいけないんだということは、それを実現していないという自分。
見えてないけどなってるとこもある。
見えてないけど実現したわみたいなのもある。
直観とかよくある。
これはこうなるとわかるっていう時がある。
そうなると思っておけば、期待とかなく知っちゃったということ。
答えを見ちゃったという感じ。
何秒後・何分後・何時間後・何週間後にそれがなっても、知ってるから別に驚かない。
当たったーとかならない。
だってそうだったもん、そうなんだもん、という感じでしかない。
期待とか待つとかという話ではない。
もう見ちゃったという話。
知っちゃったみたいなこと。
願望実現もそう。
メカニズムは一緒。
見えてないから渇望みたいになってる。
一瞬も待ちたくないということはそうなんだと思う。
早くー!となってる。
早く!となってるということは実現してない自分の振動数であり向き。
だからそれをやめたらいい。
あーっとなってる時に、あ、違うわと。
もう待たなくていいのか、もうなってんだわ、そういやそうだった。
待たなきゃと、ギューッとなってる。
待たなきゃいけないんだ…と待ってようやく下ろせるぞーとやってる。
それをもうやめる。
それは遮断するためにやってること。
自分が思ってる充足を体験することを遮断するための障害物として機能している。
だからそれをやめることが一番合理的。
単刀直入にこれをやって下さいということをずっと言っている。
それが一番手っ取り早いし確実だから。
ところが、これまでのやり方・考え方が違うからどうやってやれば・・・みたいになっちゃう。
またそれを変換して解釈しようということになってどんどんややこしくなっていく。
本当は単純なこと。
充足を体験するのに苦労なんか必要ない。
苦労してるってことは、向きが苦のほうなんだから不足。
そっから充足が見えるわけない。
その根本的なところを疑うべき。
僕たちは苦労したり努力したり(努力が悪いとは言わない)することで報われるみたいな条件のようになっている。
まず不足を軽減しないとダメ。
それをクリアして実現したりして、充足にようやくたどり着けるんだみたいな条件付けがある。
それは嘘。
それをやめないといけない。
何のメリットもない。
損得なら損しかない。
信念がそうだから、それでたまたま充足に向けることがある。
それだけ苦労してきたから充足体験してもいいだろうとなったら、そこで向きがそっちに向く。
もう私は充足体験してもいいんだわ、と向きが充足になるから充足を体験する。
苦労があったからではない。
苦労が条件ではない。
苦労があってそれをクリアできたから充足がきたのではなくて、それで納得できたからそっちを向けただけということ。
だから向きについては量や距離でもない。
それは幻想。
そういう状況を活用して量や距離でやって「あ、この量や距離をクリアしたからもう向いていけるんだ、充足を体験できるはずなんだ」と向いてる。
条件ではない。
自分の中でそう条件化しているだけ。
不足という名の労働してるから充足するという変な状態なのか
そういうことです。
不足という名の労働をして自分の条件付けをクリアされるということ。
よし、これだけ労働したんだから賃金が支払われて私は当然それを受け取る権利があるみたいなこと。
moneyで脳が錯覚するみたいなこと書いたと思う。
何もしてなかったがお金が入ってきたよという話。
引き寄せの根本のやつ。
働かなくても収入は得られるのか、得られますってこと。
本当は働くこととは関係してない。
働かないで得られるのかときいてる時点でもう密着してる。
働かないで労働無しでお金を得ることなんて突拍子もないことだと。
特殊な人が体験できるだけのことで本当はそうじゃないと思ってる。
強固に思い込んでるからそうなってるだけ。
本当に角度だけ。
角度で見えるものが変わる。
それと同じ事。
そっちのほうを向いたらその向きを向いたということ。
今見えていなくても。
ここで時間がいるという話になってくる。
時間がとどまっていないといけないのかとか。
顕現するまでに物理的な時間が要されるのかということではない。
そういうふうにして認識しようとしていってるだけ。
それで許せるということ。
これだけ経ったんだからそろそろどうかと。
いくらなんでももう出来上がってる頃だろうと思っちゃう。
でもそうじゃない。
本当は向いた瞬間そっちを向いているんだから、権利を得たパスポートみたいなもの。
そうか、そこでもうこれゴールなのかって思えばいい。
これが向いてるから徐々に現れてきてではない。
認識として感じることはあるかもしれないが、その認識をやめたほうがいい。
そうするとずっと時間経過によってみたいなことがずっとくっついてくる。
信念みたいなかたちで。
関係ないんだなってこと。
チケットでも本当に関係ないと言っている。
まずそこを疑ってみないとダメ。
関係あるとしちゃうと関係したようになってくる。
そうでないと納得できないとなる。
次元にとどまるというよりはもうその次元にいるんだから。
とどまらなきゃ又ずれちゃうとかではない。
とどまり続けなくちゃまた自分の考えでこっち向いちゃうとかいうことではなくて。
もうそこにいるんだと思えばいい。
ああいるんだと思えば安心できる。
そこに到達してるんだ、ゴールしてるんだと思えば何もする必要ない。
ゴールしたのにもう走らない、良かった~となってるだけ。
ゴールしてるのにそっから又走れよとはならない。
ゴールにいるんだから。
そこに行くために今走ってきた。
もうそこに到達した、やった、終わり、完結。
ほっといたらまた後ろに引き戻されるなんてことはない。
そう認識を変えるだけ。
これゴールなのかと。
そこを思ってみる、考慮してみるべき。
保てないんだというより、それ関係ないんだとなったらもうどうでもよくなる。
もうゴールにいるんだから。
現実の中でどんなに不足の刺激があろうとも、あそうそうハイハイとなる。
関係ない、もうゴールしてるんだから知るかって話。
何もしなくてよかった
本当はそう。
何もしなくていい。
もうゴールしてる。
もっと究極的なことを言えばもうどう取り組むこともない。
真理を言えば、本当はずっとゴールにいる。
ゴールから出たことがない。
出ることは不可能。
だから出てる、幻想っていうのはそういうこと。
不足があるってことはゴールにいないってこと。
そう認識してるってことは幻想。
本当のことではない。
本当のことはゴールにずっといてそっから動くことは不可能。
それが本当のこと。
だからそこに視点を移していくべき。
ちょっとずつ意識をそう疑っていき、本当はそうなのか?と思えてくればそれが視野に入ってくる。
だってそれが本当のことなんだから。
僕たちの認識ではそれを逆転させている。
それを正すためにそこを疑いはじめるということが大事。
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