不足を疑う part12のまとめ
不足を疑うpart12が公開されたので、まとめてみた。
参考元サイト : 不足を疑うpart12
【108さんのコメント】
まずは、満足な医療が受けられない状況かもしれないが、できるだけなんとか医療を受けられるようにしてみて下さい。
すぐに受けられなかったら、自宅待機とかになってしまうと思うが、周りに助けてくれる人とかいればね、心強いと思う。
一人でそういう状況になっているとしたら、ものすごく心細いと思うし不安だと思う。
まず医療を受けれるようになんとかならないか、それが最優先。
で、「疑えばいいのですか?」って、別に疑うことでコロナを消そうとかしないで。
それだと毎度言ってるが、疑うことに乗せることになってしまう。
疑う事で消そうってことではなくて、ちゃんと現実的対処をして。
安静にするとか、できる範囲で自分でできることをやって下さい。
周りに助けも求め、サポートもしてもらったりして。
その上でコロナを治そうとか、そういうことではなくて、単に疑って。
治療とかしながら「自分がコロナにかかっていると思っているけど本当かな?」とか「今症状出てるように思えるけど本当かな?」と疑うのはいいが、成果として消そうみたいなことはしないで。
それと並行的に、コロナを消すとは関係なしに「自分が今コロナにかかっているとか本当なのかな?」と。
実際には病気とかはないので。
それはあり得ないってことなので。
それをちょっと考慮してみるってこと。
それにもう乗せないということ。
それによって治そうとか、そういうことは考えないで。
できるだけ現実的対処で、治療とかできる状態ならなるべく早くお医者さんにかかったりとか逐一連絡とかしたりして適切な処置を受けるようにする。
今どんどんコロナに感染したっていう人もいると思うが、なるべく早く適切な医療が受けれるようになればいいと思う。
皆さん回復して元気になってほしいと思う。
祈っておきますね、はい。
◆いちごさん
昨日の夜108さんの動画まだかなぁと思って寝て、起きたら動画upされてました!昨晩、身体に痛みがあったので、本当に痛いのかな?どれくらい痛いのかな?この痛みは本当にあるのかな?と疑ってみたら、痛みが消えました。
「不足を疑う」=他の方がよくいう「痛みを味わい尽くす」ということなのでしょうか?
痛みにかかわらず、「感じ尽くす」と似てるのかな?と思いました。参考元サイト : 不足を疑うpart12
【108さんのコメント】
この方は、病気というか症状のことで、消えたってわけですね。
まず最初に言っておくと、不足を疑うは、痛みを味わい尽くすということではない。
その痛みがどの程度の痛みだったのかわからないが、この時はまだ、たぶん疑える余裕があったんだと思う。
だから本当にあるのかな?って疑えたんだと思うのだが、本当に激痛でワーッてなってる時はそれは疑えないと思う。
疑うことでこの痛みをなんとか消したいとなっちゃうと、単に疑うじゃなくなっちゃう、
もうそれどころじゃないって話なんで、その時はもう痛いって納得しかない。
ちょっと痛みが安らいできたとか、今、痛みがちょっとそこまでじゃないんっていう状態なら、ちょっとこれ本当かな?って疑うのはできると思うが。
まずその適切な処置、医療処置を受けることが最優先だと思う。
で、それと並行して疑えるんだったら疑えばいいということ。
疑うに、この痛みを消すっていう責任を乗せちゃうと、それはもう疑うじゃなくなっちゃう。
単に疑うということではなくなってしまうので、そういうふうに考えないで。
で、この時は疑えたからラッキーだった。
疑えたからそれが功を奏したようなかたちになってる。
で、感情を感じ尽くすみたいななのがよくある。
不足を疑うとは全然違うが、いったん感情エネルギーを解放するようなワークみたいなこと。
そういうことではない。
痛みはもう身体症状で出てるから、これを感じ切ってエネルギーとして解放したらみたいなことではない。
体が助けてって言ってるわけだから、それはもう適切な処置をして。
医療処置を受けて下さい。
病院行ったりとか、薬を飲むとか、いろいろ手当のしようはあると思う。
そんなのできないってなったらそんな余裕はないと思う。
そしたらもう病院直行だと思うんで、だからあんまり味わいつくしたらとか思わないで。
味わい尽くすことで、またそれもこの症状消そうとなっちゃうと同じことになってしまう。
ちょっと似ているように感じるかもしれないが、それは違いますね。
◆ちゃとまるさん
わーい♡ありがとうございます!
不足を疑う。エゴと一体化すると忘れてしまいがちになってしまいます😅
昨日、我が家の裏に広い公園があり夏になると車やバイクがたくさん来て大騒ぎします。
いつもは「またかー、まーいいや」くらいだったのですが、昨日は酷い、とにかくうるさい…で、直ぐに疑いました。瞬間、消えました……!!!びっくり!
たまたま?とエゴはいいますが、わたしが創ってるんやー!と言っておきました😂参考元サイト : 不足を疑うpart12
【108さんのコメント】
私が作ってるので、それは消えて当然なんだが。
たぶんその時に、ワーッてなってもどうにもならんってなったんだと思う。
たぶん、自分ではどうしょうもないからってことでちょっと緩んだんじゃないかなって思う。
たぶん単に疑うになっだと思う。
だからもう即効で効果が出たということでね、そういうこともあります。
◆おさとうしおのさん
不労所得で毎日贅沢に暮らすことが目標なんですけど、どう考えたらいいんでしょう。不足を疑って見てみたら、街並み全てが充足だなとか、お金を支払った時に出ていってしまったけど、受け取ったお釣りを見て充足だなぁと感じたんです。
今は全ての物、物質が充足と感じられるのに、なぜ不足を感じるのか漠然と不思議な感じです。
ですが、相変わらず不足を感じることも多々あります。参考元サイト : 不足を疑うpart12
【108さんのコメント】
どう考えたらいいかって、考えることではない。
前回言ったが、充足面に注目していくこと。
「お金を支払った時に出ていってしまったけど」って言っているが、それは単に一方的に出て行ったんじゃない。
お金を支払ったってことは、何かの商品を買ったり、何かのサービスを受けて代金を支払ったとかで、そういうかたちでお金を使ってる。
別にお金が減ってるわけじゃない。
何かと交換している。
ということは何かを得てる。
だから、そういうふうに考えてみたらいい。
お金が減ったんじゃなくて、お金を使って今何かサービスを受けた。
あるいは商品を買ったってことは、今、自分は豊かさを受け取ったんだということ。
そういうふうに考えて、そっちに意識が向けば、「あ、お金減っちゃって~」というところをあんまり気にしなくて済むと思う。
減ったんではなくて、お金を利用して豊かさを体験している。
で、その何かを得てる。
得ていることのほうに注目してったほうがいいと思う。
「不労所得で毎日贅沢に暮らすことが目標」と言っているが、だったらイメージするってことではない。
そういう人がどういう生活しているのか、リサーチしてみる。
実際そういう方がたくさんいると思う。
どの方法でということではなく、そういう人が、どういう感じなのかそれと一致すればいい。
いいな~となるなら、その時に自分は不労所得で毎日贅沢に暮らしている振動数になっている。
だから、いいな~てなっておけばいい。
じゃあ、私がこれを再現するためには・・・と考えだしたら思考になるしそのいいいな・・・の振動数じゃなくなる。
それは、ないところからの自分みたいになるので、なかなかそうならないと思う。
単にいいな~となっていればいい。
これは前回のセミナーでも話したが、例えばダイエットしたいだとすると。
自分が目標とする人の体型を具現化している人、例えばモデルとかタレントとかの写真などを見ていいな~となっていればいい。
自分が望む体型の写真とかそういう人がいたら「あーステキ!」となるじゃないか。
その「ステキ!」となっときゃいい。
でも私はなぁ・・・というからそうじゃない私の振動数になっちゃう。
いいな、と今の体型、今の現状を度外視してずっとなっておけばいい。
その振動数でずっといるならば、その体型にならなければおかしい。
それはお金とかでも一緒。
「いいな~」になっておけばいい。
その為には・・・と深刻になることではない。
まずその先の自分と一致、望む実現している自分と一致してやる。
で、いいなとなっておけばその願望は速やかに実現していく。
勝手にその願望実現する行動をとるとか、そういう巡りあわせになるとか、そういうことが起きて来る。
それが一番スムーズだと思う。
◆なあさん
お金の不足がなかなか消えず、疑うをやってみました。
ですがどうしても「疑うことで消えてほしい」「これで充足が現れてほしい」と思って純粋に疑うということができません…。
疑うとフッと軽くなる感覚はありますが、「これで無くなれ!」という余計な思いまでついてきますし、実際に今目の前の現実は解決した世界ではありません。
自分が深刻に悩んでいる問題、言い換えれば自分で握りしめてしまっている不足を純粋に疑うって難しいですね。
お金以外の願いは全て叶ったのですが「お金だけはどうしてもうまくいかない」という観念を持っているんだと思います。
この観念を持っていることも疑ってみましたが…不純な気持ちがどんどん湧いてきて難しいです。参考元サイト : 不足を疑うpart12
【108さんのコメント】
なあさんは、完全に「疑う事」と、「お金の不足は消えて充足になってる」っていう結果を結び付けちゃった。
どうしてもそうなってしまうと思う。
が、何度も言うが、それは関係ない。
結果と切り離す、ということ。
疑うことで消すと、それ1本でいくぞってことになってしまう。
だとそれはなかなか疑うにならないし、不足に注目することになってしまう。
消えてくれよってなってしまうし、渇望みたいになってしまう。
それは余計に不足のほうの振動数に近くなってしまう。
そうではなくて、「疑ってもお金の不足は消えないよ」と最初に前置きしたらいいと思う。
単に、おかしいなんでだろう、ホントかな?と疑えばいい。
そしたら不足に乗せることにならずに、単純におかしいなと疑問を持てると思う。
どの程度切迫感なのかもわからないが、「消えないよ」って最初に自分に念押ししておいて。
お金の不足を消すためにやってるのではない、単におかしいから疑ってんだってことで疑ってみて。
以前ご紹介したなおさん。
あの方はお金が不足するという観念だけが消えないと言っていたが、疑ったら消えた。
軽く疑えた、または結果を求めていなかったからだと思う。
単に疑ってみようという軽い気持ちだったと思う。
まず軽い気持ちになること。
深刻さから離れて。
お金は、これで不足は消えなくたっていいと下ろして。
困るよって思っても、もういい!しんどいんだから下ろす!ってとりあえず下ろしちゃえばいい。
知らん!と。
そしたら単純に気楽に疑うができると思う。
そういうふうにしていく。
欠乏に注目しないってことと、疑うことをお金の不足を消すことと結びつけないってこと。
切り離してみて。
◆24 blueさん
不足だと思っていることについてちゃんと見てみるとあらゆる面において不足していませんでした。
例えば、お金がない→いや、無くない→生活に困ってないし、お金は度々入ってくる、のようにです。
私が望んだ現実なのだということがわかります。
日常に大きな不満はないのですが、よりあらゆる豊かさを体験するにはどうしたらいいでしょうか?
主におまかせするか個別に意図だと思うのですが、108さんならどのようにされますか?教えて頂けますと嬉しいです。また、自動販売機で選ぶように意図するということでしたが、お金でいえば引き寄せするのに、基本的には金額は関わらないと思うのですが、今の自分では現実感がない金額(例えば国家予算って、莫大すぎてよくわかんなくなるじゃないですか?自分にとって少しああいう感覚に感じるお金)を意図してもいいのでしょうか?一度で意図するより、段階を踏んで意図していった方が良いのでしょうか?既出でしたらすみません。
参考元サイト : 不足を疑うpart12
【108さんのコメント】
例えば国家予算的な莫大な一億とか何兆円とか、原理的にはそれが千円だろうが五万円だろうが一兆円だろうが差異はないが、じゃあそのお金今本当にいるんですか?って話。
一兆円もらってもどうするの?って、もらっても困るよって話もあると思う。
例えば一千万欲しい、なぜならこれが買いたいからとかそういうのがあるなら欲しいってなると思うが、実際は現実味がないと思う。
一兆円欲しいってならないと思う。
豊かさの象徴みたいなかたちでシンボルとしての一兆円とか、国家予算的な莫大な金額と出てきたと思う。
でもそれは自分のリアリティにないから、あんまりそれを得るメンタリティーというか、得たいとならないと思う。
それよりも現実的に自分が豊かさを感じられる金額を設定したほうがいいと思う。
例えば、今月収が50万円だったら、もっといくらあったら余裕をもって豊かに暮らせるかなとか。
月収があと30万円増えたらだいぶ余裕が出てくるぞと思ったら、あれ買ってとか、こういうサービス受けられると思い、あ、それいいなとなる。
そしたらプラス30万円という月収とかは目標設定として適切。
自分が何か欲しいもの、ちょっと手に入らないとかって諦めていたやつを、それ手に入ったらどうだろうとか、そうなったらどんどん豊かさのほうに意識が向いていく。
何百万とかだったら、パッとそのお金が入ってきたらそれ買えるんだなと思い、いいなってなればその振動数と一致する。
そうすると、お金が入ってくる振動数になる。
要はお金って充足の構成要素だから単独で存在しない。
お金が単独であっても、利用できなかったら意味がない。
札束とかいくらあっても、それを使えないんだったら無意味。
それを使って何かを得る、何かを買う、何かサービスを受ける、旅行に行くとかいろいろあると思うが、その為にお金は機能するわけだから機能として考えないとダメ。
イメージだけで、ただたくさんあれば豊かなんだろうと思うが、自分の豊かさを感じる事と結びついていない。
それよりも、これを体験したいとか、いいなってなるものにこれだけお金がいるとする。
じゃあこれだけお金が入ったら体験できるんだーとなれば、お金はその構成要素として登場することになる。
それが正しいアプローチだと思う。
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