不足を疑う part14-1のまとめ

不足を疑うpart14-1が公開されたので、まとめてみた。

今回は不足を疑うpart13-3とpart13-4のコメントに対しての回答。

 

◆Y swanさん
「疑い方は色々ある」のですね!

「この状況はどう疑ったらいいのかな…??」とスタート地点からつまずいて、そんな自分に嫌な気分になってしまうことがありましたが(^_^;)、それでは本末転倒ですもんね😅

「疑う」すらも一番自分が楽になる方法を見つけていったらいいのですね💡

参考元サイト : 不足を疑うpart13-3

【108さんのコメント】
そうですね。
疑う時にストレスがかかっているっていうのは乗せてるってこと。
軽く疑うになってないわけ。

楽になるってことが一番大事。
そのチェック。

今しんどくなってないか、何か乗せてないかを意識して、気づいたら下ろせばいい。

単純に疑うってことをやっていけばいい。
疑い方もいろいろある。

しんどくないんだったらどんな疑い方も有り、どこを疑うのも有り。
自分が不足だとか、おかしいなと思ってるとこに関して軽く疑っていったらいいと思う。

 

◆アクアマリンさん
荷を下ろすが出来ません。
楽になる、自分の責任じゃない、コレがどうしても分からないのです。

ラクになれないやめられな、軽く疑おうと思っても、気分が重くてどうしたいいのか分かりません。

参考元サイト : 不足を疑うpart13-3

【108さんのコメント】
その時点で軽く疑おうと思っても、重くてできないとなっている。
まさにそれも下ろせばいいと思う。
軽く疑わなくてもいいんだと思えば、あ、いいんだと思えばそれで下ろせるわけ。
楽になるっていうのはそういうこと。

何か自分に対して強制しようとしている。
それが重しになってくる。
そういうことをどんどんやめていけばいい。

荷を下ろすができないよとなったら、じゃあ下ろさなくていいと思えばいい。
下ろさなくていいのかと思えば、下ろせる。
その時まさにそれによって下ろせてる事になっている。
その時楽になっているはず。

下ろさなくていいんだと思えば、自分に強制しようとしていたことがやらなくていいのかってなればそれによって楽になる。
それが荷を下ろす。
荷を下ろさなきゃいけない!って強制していたら、それはまさに荷を乗せることになって逆のことになってる。
自分がしんどくないこと、自分が楽になるようにすること。

これをしなきゃいけないっていうのをやると、それは乗せることになるのでそういう時はしなくていい。
しなくていいのか、これ・・・と思えば楽になる。
それが荷を下ろす。

そうやってどんどん下ろしていって。
軽くなった時にこれ本当かな?と疑うことが、何も乗せずに軽く疑うことになる。

できないからとか思わなくていい。
できなくてもいいんだと思えば下ろせる。
そうやってまず楽になっていくこと。

不足を疑うと荷を下ろすは感銘しているのでニコイチみたいに考えていく。
ストレスとかプレッシャーとかかかっているなと思ったら下ろして。

これやらなくていいんだこれ・・・と思えば楽になる。
そうやってどんどん自分を楽にしていくこと。

 

◆hamiさん
疑う とは違うのですが、職場に嫌な人が出現して嫌な思いをするたびにこの人は私の世界にはいないわ!はい、消えた!と、その人の事を考えないようにしていました。
そしたら、色々はありましたが半年経たないうちに、いなくなりました。
その後、また変な人が現れ、嫌な思いをしましたが、どうせいなくなるし、と気にせずにいたら、また半年未満で退社されました。
疑う事とは違うのですが、その人をいないものとしているので、その人に向ける思考の時間が少なく何とかしようとも思ってないから消えるのかな?と、疑うと同じ事かな?と感じています。

参考元サイト : 不足を疑うpart13-3

【108さんのコメント】
嫌な人が消えていくパターン。
よく紹介しているが、この報告結構多い。
hamiさんは疑ってるとはまた違う。

>はい消えた!
愛川欽也メソッドですね(笑)

>考えないようにしていました
私達は、例えば職場とかに嫌な人とかいた場合、集中してしまう。
嫌だなあの人・・・とか。
それに対して意識を向けることになってしまうわけ。
その人がいない時でも、その人のことを考えたりするようになってしまう。

すると嫌な属性の人がずっと目の前にいなくてもいるのと同じ状態でずっと集中し続けるようになってしまう。
その向きが嫌な方だから嫌なことをまた体験するようになってしまう。
hamiさんははい、消えた!として無頓着になれた。
もう居ない、どうせ居ないんだからと。
そうすると、意識から消えるからその人はhamiさんの世界では存在できないから消えていく。

別にデスノートみたいにして消していってるわけではないが、もう自ずとそうなるということ。
自分にとって不都合なものに意識を向けてないから、体験が不都合な物じゃなくなるということ。

不都合なものに意識を向けて、注意を注いでるからそれがずっと存在していることになっている。
支えているのは自分。
自分の思考であり、意識なんだからそれをやめていけばいいっていうこと。
すばらしいですね。

メカニズムとしてはそういうこと。
不足を疑うだと、そうやって自分で確定させてるところを本当にいるのか?って疑うことで手放すから掴めなくなるわけで、それによって消えるわけ。
根本のメカニズムは同じ。
全く同じ事。

なんとかしようと思って現実的対処とかもすれば、その人がいること前提でやることになってしまう。
前提に置いてるから消えない。

いるか、いないかの根本、いないのかもしれないっていうのを自分の中で想定してみて。
無意識から消すというか、意識を注がなくなれば、いてもいなくても同じになる。

そうすれば存在できなくなるから自ずと消える。
不都合な不快な体験をしなくて済むようになる。
ものすごくスマートなやり方だと思う。

 

◆yosiさん
裏デバッグを先ほど読み終えました。
面白くて一気に読んでしまい、もったいないくらいです。
ふと疑問に思ったのですが、あそこまで理解されている108さんの現実にこんなにもまだ理解ができない人で溢れているのはなぜでしょうか。。
私たちがまだ受け取り拒否しているのか、この世界の仕組みなのか。
108さんはどう感じられているか聞いてみたくなりました。

参考元サイト : 不足を疑うpart13-4

【108さんのコメント】
108さんの現実にこんなにもまだ理解ができない人で溢れているって認識しているのはyosiさんですね、僕ではなく。
僕の現実ではないですね。
yosiさんが見ている現実ではそう見えるだと思う。
それに関してyosiさんも、僕も何の責任もない。
その観点で見るからそう見えるっていうこと。

受け取り拒否しているのかとか、自分の認識とその世界の様子が違っているように見えたらこれ辻褄合わないな、整合性がないってことでなんとかそこを修正しなきゃと思うかもしれないが、そんなことはしなくていい。
そういう観点で注目すればまさにそれがあることになってしまう。
それをあることにしないほうがいいと思う。
そうやってそこから注意をそっから反らしていく、集中しないほうがいいと思う。

理解できない人がいるように見えてるけど本当かな?と疑うのもいいし、どうせ理解できていない人なんて居ないんだな(愛川欽也メソッド)とかも有り。

だから僕がどう感じられているかということだが、僕としては理解できていない人は居ないってこと、実際にはってこと。
そう見えてるのは幻想の世界だから。
ただそこで苦しんだり不足を体験している人がいれば、そんなこと体験しなくていいんですよと、こうすれば消えますよということは言っていきたいなと思う。
そういう形で関わっていきたいなと思う。
それをダメだとは全然思っていない。

いろんな段階がその人その人であるだろうから、それが自分の視野に入って来れば不足を体験しているんだなと思う。
そんな体験しなくていいのになと思うし、どうしたらいいですか?ときかれれば、こうすればいいですよとアドバイスしてその人の不足取り除いてさしあげたいなと思っている。

だから自分がどうあるかが一番大切。
その世界に見えている不足みたいなものをしらみつぶしに消していこうみたいな態度だと、不足があることになってしまう。

そうじゃくて自分自身の充足を体験するっていうのをはずさなければ世界がどのように見えていようが、どうでもいいというか冷たいとかそういうことではなくて、それが本当に世界を変えていくこと。
自分を放っておいて世界の不足をどんどん消していけばそうなるのかって、そんなことはない。

自分を蔑ろにしてはダメ。
今自分は充足を体験する、そこから始めないと、そこがすべて。

だからあまり世界に見えている不足みたいなことに対してどうしたらみたいな観点は持たないほうがいいし、僕はそういう観点では見ていない。
受け取り拒否してるとか、そういう風に思わないほうがいいと思う。

この世界の仕組みは本当は充足しかないということなので、それにみんな気づいていけば勝手に不足は消えるということ。

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