不足を疑う part19-2のまとめ

108さんの動画『不足を疑う part19-2』のまとめ。

 

◆猫田Mikanさん

108さんの回答、なるほど!と思うことが結構ありました。ありがとうございます。

ところで、前から下の質問しようと思っていましたが、108さんから回答もらっても、たぶんわかんねぇだろうなと思い、質問を控えていました。でもやっぱり聞きたくなりました笑
長文なので、気が向いたら答えてほしいです。

①「死」がないなら、「生」生まれる・生きる?もないのでは?と思っています。

②所有権の概念について、108さんのお話を聞きたいです。

例えば散歩中にワンちゃんと花壇の花などを見て、「あーかわいいな、きれいだな」と自然に感じることがあります。ある日、これは私のものだ、あれは私の物ではない、という所有権という概念・考えを通さずに、ただその存在の本質?を見ているのではないか、と思いました。

これがほしいものだと、一瞬「これいいな」と思うんですが、すぐに「でも、これは私のものではない、そして手に入れるのが難しい!」と思ってしまいます。

わんちゃん🐶や花を見ている時は「これは私の犬じゃない!あの花は市の所有物、私のものじゃない!いやー!😭」とはなりません。

どうも、この所有権の考えが、充足を妨げているように感じます。

参考元サイト : コメントへのご回答SPECIAL①

【108さんのコメント】
>①「死」がないなら、「生」生まれる・生きる?もないのでは?と思っています。
これは違います。
生しかない。
実際には生命しかないし、生きるということしかない。
生きるは終わることはない。

それを私たちは死によって生きることは終わるんだろう。
だから死んだらどうなるんだろうと思う。
死んだら生きてるーとなるわけだから。
死んでなかった=生きてるということ。

生しかない。
ノンデュアリティとかの考え方だと生も死も幻だみたいなほうに行ってしまうが、それは間違い。
その考え方だと虚しいみたいになってしまう。
じゃあない。

実は生しかないし、充足しかない。
それが本当のこと。
全部何も無いよということではない。

死という不足がない。
不足に関することだけがない。

実際には生しかない。
生まれるというのは、私たちが物理現実でそういうプロセスを通して知覚していること。
実際には生まれるも死もない。

そういう意味では生まれるはないが、ずっと生きるしかない。
生きてる状態がずっと続いている。
それが終わることはない、永遠だということ。
それが本当のこと。

所有権に関しても、いい気づきがあったと思う。
自分が所有してるか所有してないかとなると、花壇の花を見てもあれは私は持ってないという考え方になってしまう。
でも実際には花壇の花を見ていいな♪と体験している。
ワンちゃんとか見て自分が飼っている犬じゃなくてもかわいい♪となる。
それは自分の中に体験として入ってきた。
知覚したということ。

所有権というアイデアを度外視すればその充足を体験できる。
そこに所有権という概念を持ち込んで、持ってる持ってないとするとせっかく充足を体験してもそれが不足になったりする。
持ってないからね・・・と。
自分にはそれが足りないという発想になってしまうから。
それは違うということ。

例えば自分が欲しいものが町でパッと目に入り、「あ、いいな♪」となった時は持ってるのとまったく同じ振動数。
「ああ、欲しいけど自分はあれ手に入ってないんだよな。この収入じゃな買えないよ」とか、「貯金も足りないし」とかいろいろ考えだすと不足になってしまう。
せっかく自分が欲しいものを体験してるのに。

その時にいいなとなってれば、それを体験してわけだからその振動数。
ということは、それを持つことになったりする。
所有権というアイデアを通して持つことになったりもする。

それを所有権ということでその体験を遮断してしまうと、持ってないが前提になるから持つことになかなかならない。
関係なく「いいな♪」となっていくほうがいい。

自分が「いいな♪」となってその振動数と一致するとなっておけば、自分の物理次元に現れてきて自分が持つことになったりする。

だからあんまり所有権という概念にこだわらないこと。
「ステキ♪」となった時に所有権とか考えてないはず。

テレビで好きな俳優さんとかアイドルとか観た時に「ステキー♪」ってなった時、でも私あれ持ってないんだよなとなってないでしょ。
私結婚してないしとか恋人じゃないしとか思ってない。
ただ単に「ステキ♪」となってる。
そういうこと。

そうなっとけばそれに類似した体験をすることになる。
俳優さんとかアイドルとかじゃなくてもそれに近い人が現れて、自分が付き合う事になったりするかもしれない。
それを無いとすると、同じような人が現れても無いが前提だから自分が無い振動数になり付き合うことにはなりませんね、ということが言える。

所有権に関してはまだいろいろと説明できるが、今回はここまでにしておきます。
こっから広がっていく話でもあるので。

 

◆さささん
108さんか108さんじゃなくてもわかる方に質問でーす!

わたしは10年くらい 108さんの情報などとお付き合いしてるのですが笑
楽になったようなコメントもしたのですが、最近ボロボロでつらいです。
充足を見るとか不足を疑うすらも苦痛に感じるので、何かの取り組みは今一切やめています。その方が楽なので。

わたしは幼少期からの記憶で長年苦しんでいて、お医者さんやカウンセリングにも通っています。
四六時中ムカムカしたり悲しみや寂しさや恐怖、いろーーーんなつらい感情が湧いてきていて、
そのこと自体は今まで蓋していたのが開いて、湧いてきてるのだと思うので傾向としてはOKだと思うんです。

このつらい感情を消そうという気持ちで、感情を昇華したり発散しようとすると、
結局つらい感情にフォーカスするので、いつまでもつらいんですよね。

や、ただの愚痴です弱音です。

自分と向き合うことや大切にすることは続けていきたいのですが、
やっぱり気楽で無理しないのが一番ですかねぇ。
わたし真面目なところもあるので、でもふざける時もあるし、自分は自分でいいと思ってるんですけど、、、

とにかく今辛いので聞いてほしくて書きましたw
潜在意識のこともそうだし他のことでも、これがいいとかあれがいいとか、
色々情報や知識は持っているのですが、もう全然やる気が起きませーーーんw

ぐでたまぁ〜。

❖mr104729さん
最近似たような心境だったので参考になればと思って書きます
なにもしなくていいんですよ
なにかしようとするから背負い重くつらくなるんですよね

なんでこのくそったれな現実などしったことかよくなろうがこれからもっと悪くなろうが
もう知らんここに!今に!居座ってやる!
開き直ってみてください
もう現実にたいして過去に対して取り組みをやめるなら。。。
もうどうでもいいことなんです
よくならなかろうがもう今しかないんだから
はぁー一息つきます。楽だ・・・

参考元サイト : コメントへのご回答SPECIAL①

【108さんのコメント】
荷を下ろすってこと。

カウンセリングとかにも通ってらっしゃるから、ワーク的なことで感情と向き合ったりしているかもしれないが、それはそれでいいがしんどくなってきている。

そもそも「長年苦しんでいて」というのが前提になってるが違うのかもしれないということ。
それがずっとくっついてきている。
これだけ苦しんできたし、おいそれと回復しないよとか思ってしまうが、それ違うかもしれませんよということ。

それ今定義していること。
長年苦しんできて・・・と言ってるのは今。
本当はそれを今変えられる。

一番いいのは、仰ってるように「知るか!」と放り出すこと。
長年こうしてきたしーと背負ってるわけだから、それを放りだして今楽になれば過去どうだったかとか関係なくなる。

感情と向き合うとかも、必ずしもしなくていい。
今楽になってる実感のほうが大事。
「ああ良かった~楽になった~」と。

今やる気が起きなくてメソッド的なこともやっていないというのでそれはいいと思う。
それで余計荷を背負うようなことになっちゃうと意味がないし逆効果。

しんどい、ストレスみたいな感じのことはやめていく。
「知らない!やめ!やめ!」と下ろしていったほうがいい。
「知らないよもう!」と責任を放棄すればいい。
そうすると「まあいいかぁ」となるので気が楽になる。
それによって充足の方を向く。

だからこうしなきゃ、ああしなきゃ、これ解消しなきゃとかあんまり思わない事。
「もう知らないよ、いいかもう別に」とすれば気楽になる。
気楽がポイント。

不足を疑うも「これを変えなきゃ!この現実を変えよう!」みたいになると疑うでもなんでもなくなってる。
気楽になれば気楽に疑える。
別に変わらなくてもいいから疑えるので、それが正しい。

まず気楽になっていくこと。
背負っているものがあったらもういいと。
背負う必要ないんだと下ろしていって。
そしたら楽になっていくからストレス感じなく済んで充足になる。
過去どうだろうが今充足だから良かったとなる。
それが大事。

 

◆megさん
108さん
動画ありがとうございます。
私も今日お客さんの理不尽なクレームを受けて、いやーな気分でいたところ、この108さんの動画見つけました。
108さんの回答と
私やっぱりついてるなぁ〜と思って笑えて軽くなりました。
やっぱり108さん、良いなぁ〜
ありがとうございました。

参考元サイト : コメントへのご回答SPECIAL①

【108さんのコメント】
それですね。
笑えて軽くなる、これ大事です。

良かった~となる。
スイッチする時に振動数が変わってる。

引きずらなくていい。
まいっか~となる。
良かったとなる。
それが大事。

 

◆漆原さん
不足を疑う行うタイミングについて聞きたいです。
今自分はセドナメソッドをしているのですが、荷を下ろすや離れるなどは何となくセドナに似てるなって思いました。
でもセドナをする過程で、不足を感じてる事を意識したりするので、これは不足を探したり乗せたりする行為ではないかと思いました。
不足を疑うというのは頭に浮かんだ時だけ行い、あとは考えないというスタンスでいいのでしょうか?

参考元サイト : コメントへのご回答SPECIAL②

【108さんのコメント】
セドナメソッドは感情とかをリリースしていくようなやりだから、どうしたって不足を感じたりすることあると思う。

不足を疑うはそういうこととはちょっと違う。
自分が何か不足を体験したり認識した時に、これ本当のことか?本当は違うんじゃないか?と疑いを持つということだからそこに感情とか絡んでこない。

認識した前提のところが違うのかも・・・と思って、もし違ってたら前提から変わるわけだからまさに無いことになる。
あ、勘違いだった!みたいなことになる。

>頭に浮かんだ時だけ
というか、不足を認識した時にこれ本当のことか?と言って前提を疑ってみる。

あと考えないというか、疑ったんだからあとはどうしたらいいの?とか思わない。
単に疑ったんだから、おかしいな?本当かな?と思ってるだけ。
それだけのこと。
単に疑うってそういうこと。

だから不足を疑うタイミングについては、自分が不足を認識・体験してると思った時にそれを本当か?と疑えばいいだけ。

 

◆ブツブツさん
それこそ愛川欽也メソッド考えた方センスいい

【108さんのコメント】
愛川欽也メソッド→はい、消えた!ですね^^

皆さん使っていただいてますでしょうか。
結構汎用性あると思うので、是非使ってみてください。

愛川欽也といっても分からないも人いっぱいいると思うのですが。
有名な声優であり、司会者であり、俳優さんでした。

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