シリーズ適切性と一致する 7-2 まとめ

108さんの動画『シリーズ適性と一致する 7-2 』のまとめ。

 

◆中村まみさん
108さん、訪問販売の件でコメントを読んで頂きありがとうございます!
その後も次々と欲しいな~、あったらいいな~、食べたいな~と思った物がホイホイ向こうからやって来ます。
もう私の心の声がダダ漏れしてるみたいです😅
子供の事でも勉強嫌いや成績が悪いって本当なのか?と軽く不足を疑っていたら、どんどん成績が上がり入学当時は下から数えた方が早い順位でしたがテストの度に順位が上がり3学期の期末では学年でトップクラスに入り英検、数検も個人で受験し学校の授業にはない数Ⅲも自ら勉強しています。
ガラッと人が変わったように見えますが、本当は最初から不足なんて無かったんだなーと改めて思いました。
これからも不足を疑い、適切性に一致しながら楽しく過ごしていきます!
また何かありましたら報告させて頂きます。
本当にありがとうございました✨

参考元サイト : シリーズ適切性と一致する⑥その3

【108さんのコメント】
これも素晴らしいですね。
自分の向きによって体験が決まる。
適切性と一致すれば充足になるんだから不足を体験することはないってこと。

そこにお子さんの勉強とかも入ってくる。
それはコントロールするということではなくて、お子さんのことで不足を体験することがなくなったから充足が現れてきた。
それを体験されている。
素晴らしいことですね。
こういうふうに充足は現れてきますね。

中村さんの追記

~追記~
またまた追記失礼します。
今朝、トイレを済ませ部屋に戻って5分もしない間にまたトイレに行きたくなり『あれ?膀胱炎?嫌だなー』と思っている自分に気付き、あ!不足を素直に受け入れてるじゃん!と思い『これ本当に膀胱炎?本当に起きてるの?私の認識は正しいのか?』と疑ったらソッコーで痛みが消え、膀胱炎特有の出そうで出ない残尿感がなくなりました。
症状が消えるまでの早さに本当ビックリ‼️私の中で最速新記録が出ました❗
108さん、皆さん いつもありがとうございます!

参考元サイト : シリーズ適切性と一致する⑥その3

身体症状みたいなことに関してもそうなるってこと。

ポイントは不足だと捉えてないということ。

認識した時は不足だと感じたと思うが、これ本当か?となってる時は消そうと思わず単純に疑ってるんだと思う。
わたしの認識これ違うのかな?となったら根本の握ろうとしていたところがはずれ、不足を握らずに済んだから消えたということ。
不足はないので消えるのが正しい。
どんな不足も。

 

◆kairiさん
不足を疑う、適切性と一致するも、変化がある人ない人いると思いますがこの差を知りたいです。

参考元サイト : シリーズ適切性と一致する⑥その3

【108さんのコメント】
まず不足を疑うに関して言うと、何度もいうが「乗せてる」から。
不足を疑うことによって状況を変えよう、好転させようとか、この不足を消そうとしている。

わたし達は普通に何かを疑う時にはおかしいな?と疑うが、その時に疑うことに何か結果を出そうとか思っていない。
単純ににおかしいと思って「え?本当か?」となってるだけ。
それによって結果をとか思っていない。

それを結果と関連されてこれによって変えようなると疑うじゃなくなっている。
疑う振りをしてこれを変えたいから疑う格好をしているだけになっている。
それは疑うじゃない。
結果・状況を変えようとしている時は乗せてる。
不足を疑うに責任を背負わせて、これによって変えようとしているわけなのでそういうことじゃないよということ。

シンプルに中村さんのように「これ本当か?」と自分の知覚や認識をシンプルに疑えば、その認識を疑ったことによって間違った知覚が修正されれば勝手に消えるというメカニズム。

疑うことにパワーがあるのではなく、それによって自分が握っているところが緩むということ。
自分の間違っていた知覚が「あれ?違っていたのか?」ということで修正されるから不足が消えるということ。
状況を変えるというよりは、勝手に自分の間違った誤った知覚が治るからその不足は消えるということ。

適切性と一致するに関しては、まったく状況をどうするということではない。
適切性と一致するは、今ここでの自分にとっての一番いいかたち、完璧な形に一致したいなと思うだけのこと。
目の前の問題とか状況とか願望とかが入っていこない。
それとは無関係。

どの瞬間にも自分にとって完璧なかたちがある。
こういうかたちになっておけば完璧な充足になるよというものがある。
それがわらからないから「なんだろな?」とそこに思いを馳せるってこと。
それと一致したいな、一致しようと思うということ。

そこに問題とか何も入ってきようがない。
ここでの完璧なかたちになるという、それだけのこと。
完璧なかたちに一致すれば完璧な充足になるんだからそこに不足があるわけがない。

そうなればこれまで体験していた不足は勝手に消えていく、というような現れ方をする。
これのために適切性と一致するを使おうということはない。
やっていることは単純にここでの自分の適切性、一番いいかたちに一致しよう、したいなと思ってるだけ。
それが問題とか願望とかに関連してこない。
関連してくる余地がない。

関連させるんだったら間違ったことをして適切性ではないほうに一致させようとしていることになってるので、いったん置いて。
願望とか問題とかあったとしても、充足とか体験したいとなった時にいったんこれを置こうと。
置いて「ここでの適切性はなんだろうな。それと更に一致したいな。何なんだろう?一致したい」と思うだけ。

そうすれば、結果的に問題が解決したり願望が叶ったり充足が流れ込んできたりするが直接的に状況を変えるという話ではない。
ここでのこれの為の適切性ということではない。
やることは単純にひとつだけ。
どんな状況でも。
どの瞬間でも「ここでの自分にとっての適切性なかたち、完璧なかたちはなんだろう?それと一致したいな。適切性と一致したいなぁ」と思うだけ。
それが適切性と一致する。
そういうふうにやってみて下さい。

 

◆tuv tuvさん
ここでコメントでいいのか分からないのですが投稿させて頂きます。
最近のビックリした個人的な気づきです。
ワタシは長く友人や恋人関係を維持できない悩みがありました。
維持しようとしてる時点で不足の立ち位置になってしまってる事分かっていました。
孤独の立ち位置に立っている事に気付いた時にこの場合の適切性はなんだろう?と繰り返してました。
ある時ふと気づいたんです💦
そもそも孤独なんてないんじゃないの?触った事ある?ある様な感じがするだけじゃないの?
その時々で浮かんでは消える様な感覚はただのワタシの匙加減で決めている曖昧なものじゃないの?
こんなのが真実と言えるの?
他人との関係を通しての孤独感も結局はワタシの視座からの勝手な思い込みではないのではないか?
あれ?孤独という事自体が存在しないんだ!という具合に気分が晴れ渡って行きました🌞
不足自体がそもそも無いというのを垣間見た感じがありました。
孤独という無いものをどんなに哲学的に多角的に見ようと解決はせず、浮かんでは消える雲を追いかけている様な落ち着きのなさを自分に感じました。
無いものに対する問題解決を必死にしていたのではないかと思ってしまいます。
この場合の問題解決とは孤独な理由を確認する作業だった様な‥😅
人間関係に変化はありませんが気楽さだけが残った感じです🐵
108さんの動画のお陰で日々身軽になっていける自分を感じてます。ありがとうございます😊

参考元サイト : シリーズ適切性と一致する⑥その3

【108さんのコメント】
素晴らしいですね。
孤独に限りません。
どんな不足もです。
そこに気づいた。

ああこれ自分で自作自演みたいな感じで、勝手にそれを味わおうとしていて定義してたけど無かったんじゃんということに気付いた。
どんな不足も全部例外なくそう。
この感覚で全部紐解ける。
ああそうか、ないのか、それを浮かんでは消える雲を追いかけて必死に落ち着きなくしてただけなんだということに気付いた。
これ素晴らしい気づきですね。

>人間関係に変化はありませんが

と仰ってますが、そこも不足として定義しなくていいと思う。
気楽で良かったとなっておけば人間関係で不足を体験するということもなくなっていく。

 

◆字余り ナルコロさん
108さん、いつもありがとうございます。
適切性に一致する、での気づきを報告させていただきます。
私は最近、自分の望みがなにか、わからなくなってたんです。
DEBUGの主へのリクエストを実践することで、仕事面で、休みが増えたのに、収入も増えたり、大変だった仕事の内容が楽に感じるようになったり、他にも家族もみんな幸せな状況になったり、日々充足を感じることが確実に、増えてきていました。
ただ、どこかで、裏DEBUGで主に言われていた、
目の前の体験を全力でする、ということが、感覚的に自分にはわからなかったのです。
今してる仕事で、確かに恵まれてきてるけれど、本当の私の望んでること、ってなんなのか、よくわからなくなってました。
それが、3日前、フッと、適切性に一致する、の動画をみたくなって、見たあと、ここでの適切性はなんだろう?を仕事中や、気が向いたとき、つぶやいてみました。
そしたら、今朝、トイレに行ったときフッと、『みんなが嬉しいと、わたしも嬉しいんだ』って言葉が浮かんできて、じんわりと内側から、湧き上がる感覚があったのです。
そして、うるっと涙してる自分に自分で驚きました。
その瞬間、そうだ、そうなんだ、何の仕事をしてるかじゃない、今いる環境の中でも、みんなが嬉しくなることを自分なりにやっていけば、いいんだ、それが、わたしの深いとこからの、こころからの魂レベルの、望みなんだ、そして、それこそが、目の前の体験を全力でする、ということにもなるんだ、そんな気づきがあったのです。
適切性と一致する、すげーです!(笑)
ありがとうございます!

参考元サイト : シリーズ適切性と一致する⑥その3

【108さんのコメント】
適切性と一致するすれば、物理的な充足だけではなくてそういう気づきとして現れてくることもある。
素晴らしいですね。

 

◆takahiko K.さん
108さん、こんにちは。
今職場でちょっとした人間関係のトラブルに巻き込まれています。(私が相手から売られた喧嘩に反応してしまった形ですが 汗)
不足を疑う、や適切性と一致する、を行っているんですが、状況がエゴ的目線では良くなっているようには思えませんでした。

「不足を疑う」は少し他のことに没頭すると忘れるようなことに対して即効性があるのは体感済みです。
「適切性に一致する」も体が勝手に目の前のことに集中して結局トラブルもなく進めるのも実感できました。

ただ、ちょっと苦しい出来事があるとやっぱり握ってしまうのか、余り効果が実感出来ませんでした。
今回の出来事で108さんの2ちゃん時代のコメを漁った(笑)のですが、何度か繰り返すようなタイプの出来事は荷を背負いやすく握ってしまいやすいんでしょうか?

ただ最近購入したデバッグを読み直していると、自分にとっての最良ではなく、主にとっての最良を求める。というところにピンと来ました。
「ひょっとして今起こっている一見悪い出来事は、悪い出来事じゃないのかもしれない」と疑えるようになりました。

簡単に言うと職場で年下の先輩からいちゃもんに近い態度を取られているのですが、そういうことがあってか、日常で些細なことに敏感だった自分が良い意味で感じにくく、メンタルが強くなっていると思えるような瞬間が多くなってきたのです。

これも主の最良、適切性の一致かもしれない、と思えたのです。これもエゴ目線の解釈かとも思いますが…。
長くなりました。いつも動画有難うございます。それではまたコメさせて頂きます。

参考元サイト : シリーズ適切性と一致する⑥その3

【108さんのコメント】
不足を疑うも適切性と一致するも効果を体感されているが、エゴ的な人間関係のトラブルでなかなか好転しないというのは今言ったようにそれによって変えたいという思いがあるから関連させちゃってるんだろうなと思う。

DEBUGの主の最良を求めるというやつは、どうしても自分にとっての最良となるとそこに今の自分の状況とかも入ってくる。
主の最良となると自分と関係のないところだからパッと視点が切り替わるというか、そっちに意識するようなことなので適切性と一致するに原理的に近い。

適切性と一致するといっても、つい目の前の状況とか解決したい問題とか関連させちゃったりする場合は、主へのリクエストをしたらいいと思う。
自分にとってのと完全に切り離せて主にとってのと思えるので、効果としては適切性と一致すると同じことになる。
そういうふうにやってみたらいいと思う。

「主よ、あなたにとっての最良をお与え下さい」とか、「主よ、あなたにとっての最良とは何でしょう」とか「主よ、あなたにとっての最良を教えてください」でもいい。
それはもう自分と関係ないところの話なので、ここでの適切性と一致したいと同じようなことになる。
より自分ということから離れて完全に充足と一致したいという意識になるから、そうなれば問題とかも完全に関係してないから逆に問題は消える。
その時問題とかないでしょ。

これを解決しなきゃ!と言う時は握って問題をすごい意識しているが、主よあなたのとやってる時は問題を意識していない。
肝はそれ。

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。