【動画まとめ】ザ・チケットシリーズ

108さんの動画『ザ・チケットシリーズ』のまとめ

 

【ザ・チケット① イントロダクション】
動画→ザ・チケット①イントロダクション
基本的にチケットでは「既にある」と。
条件をクリアしなくても幸せになれるし願望も実現できるんですよと、一言で言うとそんな感じの内容の本。

で、第7章。
あなたもう願望を実現していますよ。
本当はもうその世界にいるんですよというようなことを書いて。
訳わからんことを書いたなと思ったが、結構反響があって皆さんわかって下さって救われたとかそういう反応をものすごくいただいた。

そこから結構な月日が経った。
チケットで言ったこととかが、わりと定着というか皆さんの前提みたいな感じになってきているところも多々ある。
それはそれでいいんですけど。

ちょっとひっかかたというかちょっと違うなと思ったことは、理論として解釈をしようとしてる方が結構いる。
悪くて言ってるんじゃなくて、方法論としてどうしてもそうなっちゃう。
これをまた再現しようとマニュアル的にと思うが、チケットってそうじゃない。

気付きみたいな「ああそうか!」みたいなこと。
今まで立ち位置・立場がギュッ―と不足に向いて願望を握り締めてた苦しかったことから、パッと握力が抜けて楽で良かったんだっていうのが本当ですよってこと。
キモはそこ。
で、そのスタンスにならないと厳しいと思う。

 

【ザ・チケット② 体験を決めているのものは「向き」】
動画→ザ・チケット② 体験を決めているものは「向き」
こっから重要なところ。

実は勘違いしている人がいるが、思考は現実をつくらない。
感情も(現実を)つくっていない。
何が自分の体験を決めているかと言ったら「向き」。
願望を実現できる・できないとか、幸せを体験できるかとか、喜びなのか、悲しみなのかとかその体験を決めているのは思考でも感情でもなく向き。

じゃあ向きって何?となる。
それは難しい。
向きというのはわざとこういう抽象的な表現にしか言えないもの。

例えば、太陽の方を向いたら明るい。
明るいな、あったかいなと感じる。
逆に日陰の方を向くと、暗いし淋しいし寒いなという感じになる。

それだけのこと。
で、太陽は私たちが作っていない。
最初からある。
日陰も自分で作っていない。
ただの陰。
陰ってことは「ない」。

ここも重要。
カゲって無い。
きつねの形で影絵とか作る。
影はきつねの形になってる。
その形(きつね)になってるから影の形のきつねができてると思うが、本当は違う。

要は影は無い。
影以外の所は光が当たっているからある。
そこがくりぬかれたようになって、無いところがハッキリした輪郭としてわかるからそれがあるように見えちゃう。
だまし絵みたいな話。

私達が不足を認識してる時もまったく同じ。
無いものをくり抜いて「これ無い」ってやってるからあるように思えちゃうだけ。
それは無い、本当は。
錯覚。

よく錯覚ですって言いますよね。
本当に錯覚。
物理的に起きていることでも錯覚なんだが、これまた別次元の話になってしまう。
わかりやすい例としてはそういうこと。

カゲは無い。
で、さっきの向きの話に戻ると、陰を向くと暗く感じる、明るい方を向くと明るさやあたたかさを感じる。
私たちは作ってないもの。
既にある。

私達の経験を決めているのは、どっちを向いてるかだけの話。
太陽の方を向くとあったかいと感じるのが感情。
あたたかさを感じる、あーいいなぁ、あったかいなと。
そのサインが感情ナビ。

リアクションというか、向きに応じて出てきたことでそれがつくっているわけじゃない。
あったかいと感じたら太陽が現れてくるとかじゃない。
そういうこと。

 

【ザ・チケット③ 既にある】
動画→ザ・チケット③ 既にある
だから、感情は作っていない。
単に今自分はどの向きを向いているかということを知らせてくれるもの。
思考も感情も作らない。
じゃあ何が作ってるのか?と言ったら何も作ってない。
在る、すべて在る。

既にあるとよく言ってる。
割と最初のあたりから言ってる。
既にある、すべてあるということはそういうこと。
私達が苦労してつくりあげなくても、それはある。
もう全ての可能性が物理現実としてある。

私達はそこを向いているだけ。
だからそれが見える。
いわゆる体験できるだけのことって考えたら、すごい楽になりません?
だって作らなくていいから。

自分で苦労して一から組み立てたり、材料を集めて麺から練って手打ちしてみたいなことをしなくても、もううどんはあるって話。
既にうどんはある。
あとはうどんのほうを向きゃいいって話。

そこになかなか思い至らない。
いや―そんなことないように思えるけどなぁとなる。
いやいや、自分で作ってると思えるけど。
こんだけの経験するために、こんだけ労力や時間を投資したよ・・・となる。

結局はそう見えちゃってるだけ。
だから本当のことを言うと、向いた瞬間にうどんがあってもいい。
真実はそれ。
あるべきだし、あるんです。

ただ、私たちの知覚がもう狂ってるというか、正常に認識できていなから認識がおかしなことになってしまっている。
だから違うものが見えているし、あるのに無いように見える。

これ、DEBUGにも書いた。
どんどん像を歪ませると最終的に屈折しきって像を結ばなくなるという状態が「ない」。
でも元の像というか元の原型はある。
ただ認識上知覚できてないだけの話。

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