シリーズ適切性と一致する 5-2 まとめ

シリーズ適切性と一致する 5-2 のまとめ。

 

◆moex 8さん
108さん、いつもありがとうございます❣

私がやってみて体感した事です。

適切性と一致する…は、思考での選択ではないのでただ、適切性を意識するだけで良いんです。
後はほったらかしで、どんな方法かは分からないけれど結果、自分にとって最良の方向へいきますよ。
適切性を意識すると、荷を背負った状態から開放され、思考やエゴ的な感覚からも開放されているので、楽して幸せに(笑)
勝手に充足しかない世界にいることになりました。
考えないでやってみたら、それが良かったですね。

参考元サイト : 適切性と一致する4-3

【108さんのコメント】
ドンピシャリで素晴らしいですね。
その通りです。

思考での選択とは全く無関係なところ。

結果的に自分にとって最良なところに知らず知らずのうちに誘導されてるみたいになってくる。
適切性と一致の醍醐味というかすごいところ。

 

◆tomo oさん
このシリーズ何回か拝見させてもらいましたが、適切性と一致するとはなんだろう?と思いをはせるだけで、適切性が見つかるとか見つからないじゃないと108さんはパート1で言っていますよね。
体験談のようにならないからといって悩まない方がいいと思います。
体験談に煽られて悩む気持ちもわかりますけどね…。
適切性と一致する=願望実現と思ってるならなんか違うと思いますけど違いますか?

参考元サイト : 適切性と一致する4-3

【108さんのコメント】
違わないです、そうです。

願望実現に適切性と一致するを使うことはできない。
これを叶えるために適切性と一致するを使おうということはできない。
原理的にできない。

もっと次元の違う話になってくるのでということだから。

ただ、適切性と一致したことで充足になればその中に願望実現も入って来るかもしれませんよということ。

それによって不足になったりはしない。
その願望じゃないもっといい願望が叶ったり、もっといい充足がきたりすることもある。

必ずしもその願望が叶わないとダメだということにはならないということ。

適切性と一致するは願望とは無関係に「今この瞬間の適切性は何だろう?」と意識することのほうが有益。

結果的に全部充足になるからということ。

 

◆ラッキーちゃんねるさん
初コメント失礼致します。
今朝の7時40分頃に別の部署の嫌な上司に対して、この嫌な感じはほんとかな?と疑い、ここでの適切性ってなんだろう?と意識したところ、1時間後の8時40分頃に同じ部署の上司からその人はクビになるという知らせを聞きました!
思わず心の中で、適切性最強と叫んでました笑
ちなみにネタでもなんでもありません!ガチの出来事です。
偶然とかたまたまとかシンクロニシティとか色々ありますが、とにかくそうなったのは事実なのですげーとただただ驚きです。
でも不足はないわけだから当然なんですね。
とりあえず伝えずにはいられなかったのでコメント致しました!ありがとうございます♪

参考元サイト : 適切性と一致する4-3

【108さんのコメント】
よくあるパターンですね(笑)
嫌な上司とか嫌な同僚とかがハイ!消えた!ってやつですね。

やたら枚挙にいとまがないくらい聞く。

これは不足を疑うと適切性の一致と両方やった。
実質的に作用しているのは、不足を疑ったのほうだと思う。

やたらと実績がある。
嫌な上司がいたら、不足を疑うをやっていただいたらいいと思う。

それによって嫌な上司の方が不幸になるとか、そういう話ではない。
これは呪いとかそういう話ではないので。

その方もちゃんと適切な部署とかに行って、他の方に嫌な思いをさせずに、その方も嫌な思いをせずに済むようになる。

誰かが犠牲になるとかそういう話ではない。
あの人消しちゃったとか、異動させちゃったとか罪悪感に苛まれる必要はまったくない。

大丈夫です。

 

◆今から言うことは全部ウソなんだけどさ、さん
「存分に謳歌しようとなれば、正にその瞬間に留まれることになってるんで、全力で『今この瞬間を謳歌しよう』っていう姿勢を取っていることになれば、今この瞬間の適切性が視えなくてもピタっと一致しやすくなるんですね」

つまり、普段から「今」に留まることが出来るようになれば、言葉にすることもなく毎秒で「適切性に一致している」ような状態となるのでしょうか?

そう考えれば「今」に留まることの重要性も理解できます。

普段から「今」に留まることで「豊かさ」が押し寄せてきたという書き込みを見たことがあるので、非常に興味があります。

でも、普段から「今」に留まるのは本当に難しいんですよね。
毎日挑戦してるんですが、どうも自分にはその素質が無いようです(^^;)

是非「今」に留まるコツにも触れて頂ければ嬉しいです。

参考元サイト : 適切性と一致する4-3

【108さんのコメント】
素質がないってことはないと思う。
これ素質とかの話ではないので。

単なる意識の話。

このコメントは次の方のコメントと関連してるので続けて読む。

◆K M.さん
「今この瞬間を全力で経験する」について、108さんは「感じよう、はどうかな」とおっしゃっていましたが、私は「思考を止めて全力で感じる」と考えるのがわかりやすく感じます。

例えば外出先で子どもがぐずっている時、思考がフル稼働していると、周りの人にどう思われるか気になったり、早く帰りたいのにと時間を気にしたり、どうして聞き分けが悪いのか、私の接し方が悪かったのかなと自分を責めたりしてしまいますが、思考を止めて目の前の子どもを全力で感じている場合、ぐずっている子どもの気持ちが伝わってきたり、ぐずっている姿もまた愛おしいと感じたり、笑えてきさえします。
相手がムカつく上司でも同じですw

思考を止めてただ目の前のことを感じている限り、そこにジャッジが入らないからだと思います。
嫌だなと感じるのはそのこと自体ではなく、そこに関連づけた思考(思い込みの因果関係とか時間の概念とか)が引き起こしているからだと思うので、とにかくとにかく思考を止めることが楽になる秘訣なのかなと感じています。

ブルースリーの名言
Don’t think. Feel!
ですねw

参考元サイト : 適切性と一致する4-3

このコメントに対していくつかレスがあるが、それに答えているK M.さんのコメントを引き続き読む。

◆K M.さん
「子どもがぐずっているとき何を感じるか」ですが、子どものこと(肌や髪、表情など)をじっくり見る、子どもの声をよく聴く、子どもの気持ちをよく感じてみる、子どもの体温や匂いを感じる、といったことです。
ジャッジ(思考)なくそれらをじっと感じていると、他人の視線を気にするとか時間を気にするといった思考(他人がどう考えているかは真実ではないし、時間の概念も真実ではありません)から離れるので、気持ちが落ち着いてきます。

他の例えでいうと、夕飯の準備をしながら昼間誰かに言われたことについて考えていたり、時間を気にしていると、嫌な気分になってきて、家族にも不機嫌な態度になってしまったりしますが、包丁で切っている野菜の鮮やかな色、水の温度、お出汁の香り、食器の手触りなど、いま、目の前のことをしっかり感じていると心は落ち着いて感謝すら湧いてきます。
本当にこの世には充足しかないと自然に思えてきます。
(それが108さんのおっしゃる別の領域ではないかと思っています。)
私も常にその境地にいれるわけではなく、練習中ですがw

にみこさんが書かれている通り、感じるのと思考は同時には行えないので、【今ここを全力で感じる】ということが思考を止めることになります。
(瞑想がいいと言われるのは呼吸だけに意識を向けて感じることで思考を止める練習になるからです。)

また「現実的対処をすること」についてですが、現実的対処をするのは今ここを感じた後ですので、全力で感じることを遠ざけてはいないと思います。
思考を止め、全力で感じたあと、やった方がいいと「ふと感じた」ことを素直にやるのがいいのではないかと思います。
その際も、損得とか他人にどう思われるかといった「思考」で決めるのは、結局不安から行動することになるので、極力思考は挟まずに。
(これもにみこさんが書かれているように、思考は不足に傾く傾向があるからです。)

参考元サイト : 適切性と一致する4-3

抜粋したのでわかりにくかったかもしれないが、前に出たラッキーチャンネルさんの今にとどまるコツに対する回答になったと思う。

思考を使いながら今にとどまれない。
思考に居る時は今じゃないところに居て思考の中に居る。

今ここで起きていることとかを、赤ちゃんの肌とか呼吸とか感じる。
その時に思考じゃなくてフィーリングのほうに意識がいっている。

目の前のことにフィーリングの意識がいけば、思考じゃなくてそっちに今あること、フィーリンクで今を感じられるようになってくる。
今にいることができるようになってくる。

フィーリングを重視していくこと。
思考では絶対に今にとどまれない。

思考とは相反するもの。

思考に居る時は、今に居ないことになってしまう。

何か今に居ないっていう時は、思考が働いている。

 

今、目の前にあるもののフィーリングを感じていく。
今の目の前にあるものに意識を向けていく。

考えるのではなくて、それを感じる。
まさにDon’t think. Feel!でその通り。

それをやっていけば今にとどまることができてくると思う。

 

解釈を変えたりするのは思考がやることだが、解釈じゃなくて今目の前のことをただ感じる。

そこに居るってこと。
そうすれば適切性と一致することもたやすくなってくる。

今ここにとどまるというのは、適切性と一致することとも親和性が高い。

思考から離れるということが有益。

重要なポイントがいっぱいあるので、K M.さんのコメントを読んでみて下さい。

 

◆Taka Ootaさん
「今この瞬間を全力で経験する」を108さんが説明している時ふと「今、この動画を見ている時は不足を感じていないよな」と気づきました。
そして、試しに、仕事の事を考えると職場の嫌な人が浮かんできました。

動画を見ている時は不足を感じないのに仕事の事を考えるとすぐに不足を感じてしまう。

これって、自分で不足を作り出しているんじゃないのか?

以前からチケット板などで言われていたことがやっと府に落ちました。

よく考えれば、職場の嫌な人も、お金の問題も、そこに意識を向けなければ存在していない今に意識を向けて不足を感じなければ充足しかない!

以前108さんの「今、今メソッド」でも同じ事を言われていましたがその時は「今、今、今」と唱えて刹那的な今を感じなければいけないと思っていました。

でも動画を見ている時やリラックスしている時など不足に意識を向けなければ不足は存在せず充足を味わう事が出来ると思いました。

ただ、日々の生活の中では不足を感じてしまうかもしれませんが不足を自分で造り出していることがわかれば不足は幻想となるような気がします。

参考元サイト : 適切性と一致する4-3

【108さんのコメント】
これも今この瞬間に関連することですごい気づきがありましたね。

実際、不足は思考の中にしかない。

思考が働いていない時は充足の中にいられて不足はないということ。

不足がないことを感じられる。
今今今と唱えて、今この瞬間だけを意識しておけば思考は止むから不足はなかった、嘘だったということがわかる。

素晴らしい気づきですね^^

 

◆huku raracoさん
全力で経験する。
ワタシもこれ聞きたかったやつ^ ^
質問していただいてありがとうございます。
そーか。
全力で思考からの行動をするのではなくて、全力で今を意識するのですね。
感じる、味わうかな。

不足のレッテルが剥がれるという表現もヒントになりそうです。

適切性を意識した瞬間に重荷と思い込んでいたことが重荷じゃなくなるみたいなちょっぴりパラレルが移動するみたいな上手く言えませんが、フッと軽くなるようなそんな感じがしました。

参考元サイト : 適切性と一致する4-3

【108さんのコメント】
それですね。
ふと軽くなった、まさに荷が下りた感覚。

思考で乗せていたのが、あ乗せなくていいんだということで下ろせたわけ、その瞬間に。

全力で経験するというのは行動ということではなくて、意識をその瞬間に注ぐということ。

ありったけ、全力でというのはそういうこと。

そうすれば意識を注いでいる間は、感覚・フィーリングで捉えようとすることになる。

その時は思考を使っていないし、今にとどまれることになる。
それは大変有益なこと。

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