シリーズ適切性と一致する 4-4 まとめ

シリーズ適切性と一致する 4-4 のまとめ。

◆もしもしさん
ここでの適切性ってなんだろうって仕事行く前思ったら、作業が30分くらい早く終わったりしてました。
不足も疑います。
ただ、私自身がまだコントロールしようとしてるし、現象化の大小を決めがちなのでエゲツない状況になり怒ったり不満に思ったりしてしまいます。
その時こそ適切性ってなんだろうって立ち返ると、解決してる気がします。
騒いだ割には終わってるしあれ?ってなります。
最上級の技ですよね。なーんにもしなくて良いし思っても良いし、苦しんでも良いし。
だって起きてないんですから。←ここいきたい

参考元サイト : 適切性と一致する3

【108さんのコメント】
もういってるんじゃないですか。
いきつつありますよ。

エゲツない状況になったと怒ったりした時も、この適切性は何だろう?とやればいい。
それだけでいい。
そこで別のことをしなくていい。

やってることは同じ。
それだけやってれば解決したりする。

今のところ108史上最強の技。

 

◆お笑いカワセミさん
『 元々充足しかないのに、その充足を味わおうとして、我々自身が不足を作り出している 』と言う事だと思うのですが、これを量子論的な考え方 (そう思い込めばそうなる) に捉え直すと、『 元々充足感しかないのに、その感覚を味わおうとして、我々自身が不足感を作り出している 』と言う事になるんでしょうかね?
なので、ただ単に充足感 (満足感?・充ち足りてる感覚?) に浸ってる自分を演じて居ればそれでいい??
そうすればやがてそのような現実が現れて来る ???

参考元サイト : 適切性と一致する3

【108さんのコメント】
演じていれば・・・というのが引っかかる。
演じることが、向きをそっちに向けることには一役買うかもしれない。

本当にそうなのかも?と思ったほうがいいような気もする。
演じるだと嘘ついているみたいなニュアンスがどっかにある。
本当はちがうけどみたいな。
違わないかもしれないよ・・・ということを考慮したほうがいい。

量子論的なところとはかぶってくるところがあるので、そういう捉え方したくなると思うが、あんまり複雑に捉えないほうがいい。
単純に考えたほうがいい。

シンプルにシンプルに考えていくこと。

複雑に解釈したくなるとは思うが、それをしていくと本質のところから離れてしまう。

適切性と一致する、それだけでいい。

何だろう?と意識しておけばちゃんと充足になるので、それでいいじゃんということ。
そこにいろいろつけ足したりして解釈すると、違ったことになっていくのでやらないほうがいい。

ただ単に充足感に浸ればいい。

浸ってる自分を演じるというか、多分目の前にある。
小さなちょっとしたことでも充足感じられることあるでしょ?
それを謳歌していくこと。

で、それがゴールなんだってこと。
やがて現れて現れてくるのではなく、まさに今体験していることがゴールの中に含まれているということ。

 

◆m.aさん
108さんに質問させていただきます。

不足を疑うをして荷が下ろせなかったので、不足を疑うが上手くいったのか適切性と一致できたのかわからないけど、半年以上音信不通で復縁したい元彼から連絡が来ました。

適切性はなんだろう?と意識するだけでいいのでとっても楽だし少し良いことが起こり始めてたので、本当にハードル低いし最強だなって実感していたし、元彼から連絡が来てからも続けていました。

でも元彼と仲良く会話できていたけど少し喧嘩みたいになって、拒絶されてLINEもTwitterもブロックされて絶望的な状況になってしまいました。

今も続けているけど全然充足になりません私はなぜ上手くいかないのでしょうか?

参考元サイト : 適切性と一致する3

【108さんのコメント】
適切性と一致したら、音信不通の復縁したい彼から連絡があった。
まさに充足。
適切性と一致したことによって起きてきたと思う。

その後多分、その充足を維持したいみたいになってしまったんだと思う。
その為に、おそらく適切性を使おうみたいになってしまったんじゃないかと思う。

怖れから来ている。
彼との仲を良好に保とうみたいな感じでそこに貢献させようみたいな感じになってしまったので、適切性と一致はどっかにいってしまったんだと思う。

適切性と一致とは、今この瞬間の自分にとっての完璧な充足になるかたちがあり、それと一致するを意識するだけ。
ピタッと一致すればそれになるというかたちがどの瞬間にもあるので、それと一致するを意識するだけ。

そこに彼とのとか、関係がとか入ってこない。
無関係。

結果としてその為にやることではない。
問いが間違ってるというか、彼に対する適切性は何だろう?ではない。
この状況での適切性は何だう?ではない。

今ここでの自分にとっての完璧なかたち、適切性はなんだろう?それと一致したいなってこと。
何かターゲットに対してではない。
そう捉えてることが違う。
それをやめていって。
単にここでの自分の適切性に一致したいと思うだけ。

そこで一致すれば充足になる。
てことは、体験している不足は結果的に消える。

彼との関係をコントロールするようなことではない。
そこに充足をもたらすために適切性と一致するとなると矛盾することになってくる。

大事なのは今ここでの自分の適切性と一致すること。
彼の適切性ではない。
自分の適切性。
自分が充足になるかたち。

どの瞬間、どの場所にもあるのだからそれと一致しようとその瞬間思えばそれが意識される。
結果的には不足は消えると思うが、関連させないこと。
その現実点の次元の話ではない。
別次元の話。
そっちを意識する。

 

◆さんさんさん
この世はこういうものであるという自分の思いによって、私たちは現実を創り上げているのだと思います。
この三次元の現実は、私の考えの結果にすぎないように感じられましたと臨死体験をされたアニータ・ムアジャーニの書かれた本に書かれていたのを読んで、108さんも同じような事を言われてるので臨死体験をされた事があるのではないかと思ってしまったのですがどうなのでしょうか。

参考元サイト : 適切性と一致する3

【108さんのコメント】
アニータ・ムアジャーニさんを存じ上げませんが、臨死体験はしたことないです。
臨死体験よくあるが、そもそも臨死体験が違うって話。

この方、臨死体験みたいなことになった時に気づきがあったのかもしれない。
が、臨死体験したと思ってるかもしれないがそれ違うんだよってこと。

臨死じゃねーしって話なんだけど・・・^^;、あんまり詳しく話してもどうかと思うし。

そもそも死はない。
臨死体験しなくてもそのことはわかるって話。

自分の想いで現実を創りあげてるとういうか、それによって幻想を見ているということ。
自分の考えに合致した、そこに不足が存在するような現実を幻想でみているだけ。

考えの結果と言えばそういうことも言えるが、考えは何もつくっていない、幻想。

例えば悪夢をみたが、これは私の考えの結果によって悪夢を見たということではない。
何か気に病んでいたりしたら、それによって悪夢を見るかもしれないが。
それによって悪夢を想像したみたいなことではない。
単に気にしていたから幻覚を見たみたいな話。

アニータさんの本を読んでいないのでよくわからないが、実際に死ねば『死」はないということはわかる。
死んで返ってきた人はいないので、なかなかそこはわからないと思うが。

 

◆S Yさん
主へのリクエスト、肩の荷を下ろす、適切性に一致、これら意識してから今まで保持していた観念が落ちたり、思考が変わっていくのを感じています。
アップデートされているような感覚です。
悩まれている方は、エゴダンスを休止し森羅万象に委ねて起こること全て(思考の変化も)受け入れていくとスムーズにいくかもしれません。

参考元サイト : 適切性と一致する3

【108さんのコメント】
素晴らしいですね^^
SYさんもう既に実感されているということですね。

今まで近視眼的にエゴの視点で見ていた。
そっから離れていくからエゴの視点で焦点を合わせていた不足がどんどん見えなくなっていく。

そうやって体験していた幻覚を見なくなっていってる。
それで楽になっていってるのは素晴らしいことですね。

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