不足を疑う part17のまとめ
不足を疑う17が公開されたのでまとめてみる。
不足を疑うpart16-3のコメントに対しての回答。
◆ななさん
108さんこんにちは。
最近、何と無くですが別の領域が体感できました。
今まで自分自身だと思っていた思考は自分ではなく、ただの反応パターンの蓄積だということに気付いてからは、すごく楽になりました。
私の考えでは、お金の引き寄せは一番難しいと思っていましたが、別の領域に何も考えずただ浸っていたら、お金が入って来ました。
お財布の中身が百円以下だったので、「もしお金が入ってこなくても一週間ぐらいなら断食でもしてみるか。」なんて思っていたら、その日のうちに5000円振り込まれ、「まぁ偶然かもな」なんて思いながらまたダラダラと好きなことをしていたら、二日後に4万円振り込まれました。
祖父母からのお年玉と聞いていたので、2万円ぐらいあったらいいなと思っていたところの4万なのでめちゃくちゃ嬉しかったです。
そして今日、お母さんが給料日だからと言って入金があり、またお金が増えました。
お金の引き寄せは難しいと思っていたし、現に今でも難しそうだなとは思いますが、こんな結果になっています。
不思議だなぁとは思いますが、なぜだかまぁこれも当然かもなとも思います。
もしかしたらうちの家庭はお金持ちなのかもしれません。
ずっと貧乏な方だと思っていたけど、どうやら違うかもしれないようです。
また、最近コロナの影響で生活苦に陥る人のドキュメンタリーをみて、なんとなく「コロナのせいって言ってるけど本当は違うんじゃないか?」と思いました。
理由は後付けなんじゃないか?と思ったのです。
ただ、自分の不幸に原因と思われる理由をつけてるだけじゃないのか?と感じたのです。
そう考えたら、お金が入って来たのも何と無く納得できます。
幸せの原因がお金として現れただけなのかもなと思いました。
まぁ別の領域のことを思考で考えても仕方ないし、疲れるので、引き続き、別の領域に浸りながらケセラセラで生きていきます。
また気づきがあったら書き込みます。参考元サイト : 不足を疑うpart16-3
【108さんのコメント】
良かったですね。
自分の好きなことやってたらお金が入ってきた。
お金に関してはいろんな動画でも触れてるが、入ってこないと思ってるから入ってこないだけ。
不足とか欠乏に焦点を結ぶと不足のポイントとしてギュッと握ることになってしまう。
お金持ちじゃないのか実は・・・とか思ってるけど、そう。
自分で決めてたってだけ、定義で。
それによって不足に決まってると思ってたのが、そうじゃない可能性が視野に入ってきて実際に体験できているようになってきたってこと。
これ素晴らしいと思います。
コロナの影響で生活苦に陥ってる方もいらっしゃると思うが、それは関係ない。
セミナーでも言ってるが、コロナで生活苦になるわけじゃない。
体現するのは、その人の向きに従ったこと。
世界情勢とか、コロナとか関係ない。
自分が向いたほうのことを体現するので、コロナがあろうがなかろうが、蔓延してようがしてまいが関係ない。
あ、コロナのせいでうちの業種はダメージ受けるはずだ、受けるに違いないとか思えば、そういったかたちで掴むことになるからそれに従ったかたちで体現しているということ。
関係ない。向き。
自分が喜びに一致してたら、その証拠としてお金にも現れてくるってこと。
充足の構成要素として現れて来るってこと。
素晴らしいですね。
いい気づきがありましたね。
◆mon
沢山の気づきや経験を得て108さんの仰る理論に納得できるようになりました。
でも痛みなど経験するとこれは真実ではないと見抜いているのになぜ痛みが瞬時に消えないのか、早く消えてと思ってしまいます。
フィーリングが痛みで埋め尽くされている時の荷のおろし方、楽になるのやり方がわかりません。
痛みが治まるまで待とうでは充足を先延ばしすることになるし、エゴの私には何もできないと諦めても痛みが治りませんでした。
話は変わりますが、不足を疑うが合わなかったので最近は適切性と一致するをやっています。
夢中になれること見つけて趣味か仕事にする、その適切性はなんだろう適切性と一致しようと時々やっていますが、興味を持てるものが見つかりません。
夢中になれることを見つける適切性の一致のやり方を知りたいです!参考元サイト : 不足を疑うpart16-3
【108さんのコメント】
まず痛みに関して。
痛みがきてる時に荷を下ろすだの、不足を疑うはできないと思う。
ちょっとした痛みならできるかもしれないが、激痛とか痛みが激しい時は「痛い」となっておくしかない。
その時に不足を疑うをやると、更に荷を乗せることになる。
鎮痛剤とか薬とか飲んで安静にするとか、さするとか、漢方とか、いろいろ消さなきゃと思うとそれは乗せることになる。
それだったら痛いとなっておいたほほうがいい。
痛さに集中というのは語弊があるが、痛いだけになっていたほうがまだ楽。
乗せてないから。
痛みとかちょっと楽になってきたら、その時に疑ってみてもいいと思う。
ぎっくり腰の方が、以前ぎっくり腰になった時に疑えなかった。
痛みが引いてきた時に疑ったら、本当なら次の日歩けないくらいなのに普通に歩けて活動できるようになったと仰っていた。
そういうことになる。
痛みに抵抗しても仕方ないので、痛いとなっときゃいい。
なっときゃいいというのもあれだが、なっとくしかないと思う。
そこで緩和できる処置とかあるならそれをすればいい。
疑うことでこれを消そう・・・みたいな感じで特効薬として使おうとしても、多分乗せることになって逆効果だと思うのでやめたいほうがいい。
夢中になれることを見つけたいということだが、夢中になれることの見つけ方というのはない。
何遍も言うが、適切性と一致は何かの目的の為に使う事ではない。
あくまでもこの今の瞬間、ここでのこの瞬間の適切性に一致したい、それに一致すれば充足になるんだから、それに一致したいなって思うというだけのこと。
何かの為に一致するという道具として使うことはできない。
ただ、適切性と一致すれば普段から夢中になりたいことを見つけたいなと思ってるなら、それが見つかってくることにもなる。
何故なら充足に一致してるから。
自分が充足になってるならそこにその範囲にそれが入ってくるってことになるので。
ピンポイントでその目的の為に適切性と一致を使おうといってもそれは原理的にできない。
だから興味の持てるものが見つからないならそれはさて置いておく。
今この瞬間の適切性に一致しようと充足になれば、今その興味の持てるものが見つからないよーと言って不足を向いていたのがそっから離れる。
ちょっとそれを忘れたりする。
そしたら充足になるわけなので、充足の時間はどんどん増えていく。
その中に自分の興味の持てるものとか、一生懸命できることとかパッと視野に入ってきたりするようになってくる。
渇望みたいになってると逆にそれは掴むことになるので、そうではなくて見つかったらいいなー、見つかったらどんなだろう?謳歌している自分はどうだろう?と振動数に一致する方法を意識したらいいと思う。
それと関係なくこの時の適切性と一致しようとしていたら、いずれそういうことも見つかって視野に入ってくると思う。
◆K M.さん
気づいた!と思って興奮して書いたのですが、108さん昔からバグっておっしゃってましたよね。。解釈が合ってるかはわからないのですが。。とにかく不足を疑うも適切性も、「これはこうに違いない」「世の中はこうだ」とがんじがらめになっている思考をストップさせ、これまでの自分の思い込みや視点とはまったく違う視点に立つということなのかな、と感じていますが合ってますでしょうか。
参考元サイト : 不足を疑うpart16-3
【108さんのコメント】
このKMさんのコメントの前に長いのがあったのですが、ちょっと割愛させてもらった。
こっちの後から追加されたコメントのほうが重要だったので。
そうなんです。
不足を疑うも、適切性と一致もがんじがらめになっている思考をストップさせて、まったく違う視点に立つということ、まさにその通りです。
仰る通りです。
その為にやってることっていうか、それによってエゴの頑なな近視眼的な不足を確定させようとしている視点からパッと離れるからその不足は消えていって充足になるというメカニズム。
ただそういうスタイルにたとうと思っても立てない。
だからその為の道具として不足を疑うとか適切性と一致するを意識するということが機能するということ。
◆テッチーさん
不足をただ疑う。そうすると充足へと向きが変わる。
もう充足見ているのだから、あらためてこうなって欲しいっていう願望は持てなくなる。
上手くいかない人は願望を乗せてしまっているのではないか?
ほんとただ単純に疑って放っておく。
この動画を見ながらそんなことを考えてました。参考元サイト : 不足を疑うpart16-3
【108さんのコメント】
今KMさんのコメントにお答えしたことと関連してますが、疑う時には握力が弱まる。
(108さんが)幼稚園とかに行く前の小さい時に、近所のスーパーにお母さんと一緒に行った。
お母さんと手をギュッとつないで歩いていたと思っていた。
ある時ハッと手をつないでいる人を見たらお母さんではなかった。
全然知らないおばさんの手を握っていた。
どっからか間違えたんだろう。
「ワー」となって大泣きした。
すぐにお母さんが駆けつけてくれて事なきを得た。
その時はお母さんだと信じているからずーっと握ってる。
でも、違うんだとわかった瞬間手を離す。
僕も離したと思う。
違うのにギュッと握らないだろう。
もしかして違うんじゃないかな?と思っても握力が緩むと思う。
不足を疑うとはそういうこと。
握力が緩むから確定させているものが消える状態になる。
仰る通りで、願望を乗せてしまってるというのは握ったままやっちゃってるってこと。
不足を疑うというのは何かを乗せるということになっちゃってる、構造的に。
だからただ単純に疑って放っておく、疑うだけ。
ただ単純に「本当か?」と疑う。
素朴な疑問。
今まで疑ってこなかった自分の認識を疑ってみる。
自分の狂った知覚を疑うことになるので、まず正常に戻るきっかけになったりする。
正常に戻ればそこに不足はないので消えるというメカニズム。
◆いきなりだんごさん
108さんいつもありがとうございます。
引き寄せマニアを経て、適切性にたどり着きました🎵
今まで、手放しだの宇宙にお願いだの色々やって、もともと超絶面倒くさがりやなんでなんにもやりたくなかったので、適切性と一致するは本当に楽です✨
最近は、朝起きて主に最良&無限大の充足&あわよくば適切性に一致した行動もとれるようにお願いし、日常は、だいたい一時間ごとに適切性を意識します😃
最初は意識して適切性は~としてたのですが、今では「あぁお腹すいたぁ…あっ適切性」という具合に勝手に意識するようになりました😁
それ以外は何でもいいってことなので、ネガティブになってもイライラしても何かに執着してもオールOKなので本当に楽です
108さん本当にありがとうございます😭
セミナーもそのうち参加します😁参考元サイト : 不足を疑うpart16-3
【108さんのコメント】
素晴らしいですね。
最初はそういうことやってこなかったから習慣づける為に意識的にやっていけばだんだんクセみたいになってくる。
毎日繰り返しやってたら忘れた時にパッと思い浮かんだりする。
もう自動化されていく。
それ以外好きにしてもらってていい。
本当に好きにしてていいんだからもう何もすることないんだから楽。
それだけしときゃあいい。
一番楽な、ハードルの低いやり方。
是非皆さんも同じように習慣化してって下さい。
◆るぅ。さん
ちょっとわからないのでもしよければ教えてください。自己欺瞞、被害者意識、などの心理学系統の本を読み、性格も悪く劣等感の塊で友達もいない私が自分を正当化して誰に対しても周りに対して壁を作っていたんだなぁ・・と落ち込んでしまいました。
こういう時はどうやってどこの不足を疑ったらいいのでしょうか?
参考元サイト : 不足を疑うpart16-3
【108さんのコメント】
まず「性格も悪く劣等感の塊」って決めてるけどそこも疑ってみたらいいと思う。
自分で自分を定義してるだけだから、違うかもしれない。
そこも握ってるところなので疑ってみたらいい。
壁があるって意識されたんでしょうけど、別に壁あったっていいのでは?
これを取り除かなきゃって言えばまた荷になる。
壁あってもいいかと思えば荷を乗せないで済むから楽になるし、気が付いたらいつの間にか壁が消えてたりすることになると思う。
壁あるものとして扱えば、この頑丈な壁をどうやって破壊せねば・・・となっちゃう。
そうなると壁はより頑丈なものとしてそういう属性を持つことになる。
いいか・・・と思えば掴まないことになる。
存在しなくていいことになる。
不足として存在していると思っている「性格が悪い」とか「劣等感の塊」とか「友達がいない」とか、「周りに対して壁を作ってるんだー」と思ってるけど、それを疑ってみたらいいと思う。
それは全部嘘かもしれないし、実際に幻想という意味では無い、嘘なんでってこと。
そういう疑い方もしてみればいいと思う。
◆藤原ニトロさん
不足を疑うと言うか、プロセスを疑うをやってみました。
無洗米を吸水しないでお急ぎで炊いてみました。
結局私の思い込みが反映されるなら、炊く前に「うわーちゃんと炊けたよ」と言えばちゃんと炊けるはずだとやりましたが、やっぱりちゃんと炊けました😂😂😂。
この地上で言われている「こうやればこうなる」は相当怪しいと言うか、私次第なんですよねかなりの事が。参考元サイト : 不足を疑うpart16-3
【108さんのコメント】
これ、その通りです。
私達が決めつけた定義とか信念に従って体験しているだけ。
それを疑ってみたら違う結果が出たと。
これ、私も昔やってみた。
そういう原理に気が付きはじめたとき、いろいろ実験してみた。
面白い結果になる。
あ、ホントだ!となる。
藤原ニトロさんはそれを今実験してやって楽しんでるところ。
いろいろ気づきもあって本当だ!となってると思う。
楽しんでまたやってみて。
いろんなことで適用して実験したら面白いと思う。
◆もしもしさん
職場の人が病院の先生に勧められて検査したところ結果次第では難病指定の病気かもしれないと言われたと言っていたので、本人に「本当ですか?元気そうですし、違うんじゃないですか?」と言葉に出して疑ってみました。
結果は「難病指定まではいかなくて治療もしなくていい、とりあえず経過観察」とのことでした。
ご本人は結構芯が強い方で前向きな性格の方なのですが、不足を疑うを知らないので、
代わりといったらあれですが、私が勝手に疑ったら、良い報告を聞けたので良かったです。参考元サイト : 不足を疑うpart16-3
【108さんのコメント】
素晴らしいですね、これね。
その職場の人は難病指定の病気かもしれないというのを知覚しているのはもしもしさんなんだから、もしもしさんにとっては不足なので、そういうかたちで疑ってもいい。
その職場の人が疑わなくても代理で疑えは、そういうことなったりもする。
もしもしさんの中で、職場の人が難病かもしれないっていうそういう不足は消えたわけなので素晴らしい。
いろいろ応用きくのでいろんなことに応用してみて下さい。
◆takahiko K.
108さん初めまして!
自分もパソコンが壊れた、買いなおなさきゃ、と不足を体験していたのですが、パソコンの調子が以前より良くなって買う必要がなくなったようです。
6年も使ったから壊れてもおかしくないな、最近重いし、遅いし…と認識していたせいか、少しくらい前から突然切れたり、実際に壊れたような表記すら自分で創ってしまっていたようです。
パソコンで108さんのこの動画を観て、そう言えば直していた方いたな、と思い出し、本当にパソコン壊れているのかな?
買い替える必要あるのかな、と宿直勤務前に疑って出勤して、家に帰る頃には以前よりパソコンがサクサク動くようになってました。
長くなりましたが、有難うございました。今は数か月前購入して一回読んだだけのチケットを精読しています。参考元サイト : 不足を疑うpart16-3
【108さんのコメント】
良かったですね^^
よく電化製品とか壊れる前に「これ買い替えだな~」と思うと、急に調子良くなったりすることがある。
車とかも「捨てないでくれ~」って最後の土俵際の粘りなのかも(笑)
さっきニトロさんが仰っていたのと似たようなことで、自分が定義していることで現実もそのように展開している。
最初の前提の定義のところを疑ってみたら、違うのかもしれないということで実際に違うことになったりする。
素晴らしいと思う。
結局そういう感じで軽く疑ってみるっていうことが大事。
「本当にそうなのかな~?」って感じで、単純に疑いを持ってみる。
それで何かを変えようとしない。
疑うで終わっとく。
単純に疑えば緩むので、その不足は消えていいものになる。
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