不足を疑う part16-1のまとめ
不足を疑う16-1が公開されたのでまとめてみる。
不足を疑うpart15-1,2,3,のコメントに対する回答。
◆すずかさんさん
結局、苛々とか不足からは意識をそらす、手放すほうが正解なんですね。
じゃあ感じきるとか再配達の話とかなんだったんだろうって感じです。
私はそれでずっと上手くいかなかった。
ますます不足を経験するはめになった。感じきるとかやーめた、のほうがまだマシになった。
でもまだ心のどこかではあるみたい。
参考元サイト : 不足を疑う15-1
【108さんのコメント】
そうなんですよ。
手放すはずっと言ってるし、再配達とかはメカニズムの話をしてたと思う(僕は)。
感じ切るとかは、これに関してのメカニズムということはチケット板のほうで解説した。
ただ、もうそういう取り組みみたいなかたちでそれをやってる感じだったら、それはもうやめていったほうがいいですよってことは言ってると思う。
要は意識をそらすというか単純に無視できれば向きが変わるのでそれでいい。
そうでない場合は不足のところを握っちゃうことになるから、握ってる時は疑えば握力は弱まるということ。
メカニズムはそういうこと。
意識を無理矢理そらすとなると、首だけ強引に捻じ曲げる感じになり良くない。
不足は消えないことになってしまうので、より握っている方を向いちゃうことになる。
だから荷を下ろしていくほうがいい。
今おすすめしているのは、軽いタッチで荷を下ろす&不足を疑うってこと。
握っている感覚だったら疑って荷を下ろしていく、楽になっていくこと。
ということを組み合わせて、両方でやっていったほうが不足を握っているのが緩む。
要は楽になっていくことが大事。
◆か わさん
不足を疑うをある程度試しましたが、私は合わなかったです。
私は引き寄せの方がシンプルでわかりやすく楽しみながら実践できたのが正直な感想です。参考元サイト : 不足を疑う15-1
【108さんのコメント】
そういう方もいらっしゃると思う。
引き寄せでうまくいっている方は、それで全然それでいい。
そうならないよっていう方に関しては、不足を疑うをやってみてもいいと思う。
あんまり効果がなかったって話だし、前回のヤスさんも(娘さんの専門学校の入学の話)不足を疑うは全然効果がなかったとおっしゃってる。
不足を疑うは乗せ気味になってしまう。
乗せたままやるとそれはやっぱり疑うことにならない。
だから効果が出てこないということも出てくると思う。
だからやっぱり下ろしていくこと。
軽くやるってことが大切。
そこを軽くできないじゃないかってやってもまたそれは掴むことになるので、それよりはいろんな方法とかを試して別のやり方でやったほうがいいと思う。
最近だと「適切性と一致する」これをお勧めしている。
私はパッと手に取って使えるように、いろんなツールをいろんなかたちで置いていっている。
だからみんなが手に取った時に自分に合えばそれを使えばいいし、合わないなって思ったら別にそれ以上苦労してやる必要はない。
合わないなーで、また別の方法をやってみたらいい。
不足を疑うだけをやらなきゃいけないってわけではない。
適切性と一致するも試してみて下さい。
◆神楽さん
外側に手を伸ばしておく、十全を意識するというのを詳しく知りたいです。参考元サイト : 不足を疑う15-1
【108さんのコメント】
これは適切性と一致の絡みでお話したことかな?
十全意識と適切性と一致するっていうのは、十全のところに手を伸ばすっていうこと。
完璧な領域ってこと。
私達が見ている現実っていうのは不足があるわけだから完璧ではない。
その中でいろいろやろうとすると不足を前提に置いてやってしまうことになるのだが、適切性と一致するはその不足の前提の外に手を伸ばすことになる。
ここでの適切性は何だろう?それと一致したいなぁと思って終われば今まで度外視していたそっちの世界を意識することになる。
てことは十全を意識するってことになるので、十全が流れ込んでくるってこと。
これちょっと適切性と一致するの話になりました。
◆ゆかさん
108さん初コメさせていただきます。
YouTubeや、コメント欄拝見し、勉強しています。
私は恋愛を叶えたくて潜在意識等を勉強し始めました。
不足を疑ってみても現実は変わらないようにみえている?方々の1人です(^^;単に疑うが出来ていないこともわかっているのです。
現実を変えたくて、叶えたくて、不足を疑うをやっているのですね。
自己肯定感の低い私には、自分を嫌ってしまう私には、無理なのではないか色んなネガティブなことも思ってしまいます。
私も充足体験したい!!!(>.<)この今の私が不足を向いているのですよね…頭ではわかるのに!!乱文、長文失礼致しました。
参考元サイト : 不足を疑う15-1
【108さんのコメント】
現実を変えるっていうかたちでやると、それは乗せてやることになってしまう。
この不足を疑うことでこの現実を変えようって。
きっかけというか動機はそうだとしても、疑う時にはいったんそれを置いといて、これ結果と関係ないんだよと。
疑っても現実変わりませんよということを、自分で前提に念押ししておく。
でもおかしいなって感じで自分の知覚を疑う。
この不足を認識している私の知覚は本当なのか?ってことで疑ってみれば、それは不足を疑うことになる。
それをメソッドみたいな感じで、疑うことで効果を出す・結果を得るみたいな感覚で結びつけてしまうと疑うに責任を背負わせてしまうことになる。
そうなると変わってくる。
疑うではないことになる。
単純に普通にシンプルにただ疑う。
それで結果を出そうとしない。
これによって・・・とあんまり思わないほうがいい。
思ったらだめ。
それだと疑うにならない。
軽く本当にシンプルに疑うってことを意識してみてください。
変わらないよと、疑うことは結果に関係ないんだと、効果は出ないんだよとまず念頭に置いて「でも本当かな?これ」と疑えば結果解き放して単に疑うってのができやすくなると思う。
◆channel nekoさん
いつも動画ありがとうございます❗️全ての事に疑っていけばいいんですかね💦参考元サイト : 不足を疑う15-1
【108さんのコメント】
まあそうなんですけど、疑うのは不足だけでいいですよ。
充足になってる事に関しては疑う必要ないと思います。
ワーイ^^となっとけばいいです。
ヤッターと喜びを謳歌すればいいと思う。
不足に関しては疑っていけばいい。
◆ゆうさん
落胆、絶望の経験から
「コレ欲しい」「こうなりたい」と「自分には無い」「自分とは違う」が一体化してしまっているので切り離すことは不可能。もはや憧れは憎悪になり、その憎悪を感じたく無いから憧れや願望から離れて息を殺して生きている地獄…ヘルプミー!
【108さんのコメント】
切り離すって思わないほうがいいかもしれない。
切り離そうとしてできないってなると、またダメなんだって乗せちゃうことになる。
切り離さなくてもいいやと一個下ろせる。
さらに乗せることにはならない。
まあ、切り離せなくてもいいか~と軽く考えてみる。
そのほうが切り離せる。
今どんどん乗せてギューッと重くなっている。
だから乗せることによって、重さがかかって密着して切り離せなくなっている。
それを一個一個下ろして軽くしていけば、負荷がかかっていない状態になっていく。
あんまり深刻に考えない事。
過去のこととかいろいろ考えない。
今、その過去ないんだから。
それは考慮する必要ない。
ちょっと軽く考えて下さい。
不足に対して過去のことを持ち出して、また更に条件付けようとしないこと。
そういう行動になっているということを、まず自覚されて楽になっていくこと。
そうすれば段々とそういうのもはずれていく。
別にいいか・・・と気にしなくて済むようになっていく。
そこで深刻に考えるとより密着しちゃうので、取り外しが難しくなっていく。
楽に楽に考えていくこと。
大丈夫ですよ^^。
◆たけひろ(オール5)さん
何か素敵な物を見て「いいな欲しい!」とワクワクした時は、
私は「欲しい!いつか買おう!」と心の中で宣言します。「いつか」と言ってるから今すぐ買わなくても矛盾しないし、「お金無くて買えない…」等と悲しむ必要も無いし、たとえ今は手に入っていなくても「いつかはそれを買って楽しんでる」という世界線に今この瞬間に入る事が出来ます。
【108さんのコメント】
これ素晴らしいですね。
もう手に入れるんだってこと。
ワクワクしていることは直結しやすいと思う。
そしたらその振動数になるからまさに仰るようにそれを買った世界観に今この瞬間に入る、もう持ってる振動数になる。
それはそれが現れてきますよってこと。
いいと思いますね。
文言のところはいろいろ自分に合わせて変えていいと思う。
「手に入れると決めた」とか「いつか買おう」で持ってる感じならそれでいい。
これちょっと参考にして皆さんアレンジして適用してみたらいいと思う。
◆ayummyさん
自分ってバグなんですね!
そう思うと自分は自分の事を完璧にしたくて、しなくていけないと思ってる事達にがんじがらめになってると思いました。
バグだから完璧になる訳ないし、その苦しみなんて意味がないって事ですよね。
楽になりました。。
【108さんのコメント】
そうですね。
バグって自分というか、自分が自分だと思っているもの。
それはいろんな条件がついたもので、それが実際の自分ではない。
条件付きの自分、それがエゴ。
私はこうだと言い張っているもの。
それがないってこと。
だから発生する苦しみも本当はない。
そしてその後
>108さんの理論を信じる人が増えたら、自殺する人が減るのではないでしょうか。
荷を下ろす事が出来れば、全て解決な気がします。
(参考元サイト : 不足を疑うpart15-3)
ということだが、私が言っていることは信じる信じないの話ではない。
単純に原理の話をしている。
こうしたらこうなりますよっていう、こうやって見て下さいねっていうこと。
実際にそうやったら不足が消えましたってことがいっぱい出てきてる。
信じる信じないの話ではない。
信じたから作用するということではない。
正しくやれば現象としてちゃんと出てくる。
充足が体験できますよということ。
そうやってみて下さい。
実は、チケットを書く前にもともと自殺する人を止める本を書きたいと思っていた。
一番最初は。
なんとなくぼんやりとそんな感じの本を書きたいなと思っていたことがある。
それは実際に物にならなかった。
書籍としては出せなかったが、結果的にチケットが代替するような書籍になった側面もある気がする。
チケットというかたちで出すことになったが、そうやって救われたという方もいっぱいいらっしゃるから、結果的に最初の目的はそういうかたちで達せたのかなという気がしている。
◆すずかさん
108さん、疑うについてゆるふわに出来なくてもいいって言ってたじゃないですか~~
でもポイントはやはり気楽に、したほうがいいみたい。いらいらしながら執着しながらやると絶対のせちゃうし、結果を期待しちゃうし、やっぱり無理ですよね。
参考元サイト : 不足を疑うpart15-3
【108さんのコメント】
ゆるふわにして下さいってことではない。
単純に疑って下さいということ。
ゆるふわ云々ではなく、私たちが何かを疑う時はゆるふわにとか考えてないでしょ。
単純に、おかしいぞこれ・・・って感じで単純に疑ってるわけなんで、それですよってこと。
単純に疑うことに対して、ゆるふわも何もない。
ほんとか?これ?と疑ったら終わり。
普通私たちが何か疑う時、疑うことでこの効果でるかなぁ?とか期待していない。
おかしいから疑ってる。
おかしいと感じるから本当か?と思ってるだけ。
それですよってこと。
普段はゆるふわにしておいたほうが荷を下ろすことになるし、絶対気楽になるのでそのほうがいいと思う。
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