シリーズ適切性と一致する 7-1 まとめ

108さんの動画『シリーズ適性と一致する 7-1 』のまとめ。

 

◆K Mさん
関連動画の質問の件で反省していたものです。
優しい108さんにむしろ気を遣わせてしまい申し訳ありません。
おわび(にもならないですが)浜辺美波さん(ホワイトドクターの白夜)を見て108さんだ!と思う理由です。
白夜の名前の由来が「108」だからでした。(ドラマと小説は108の理由が違ってましたが)
108さん、動画で沢山のアプローチを伝えて下さって、本当にありがとうございます。
最終的にはここだけを押さえれば良かったんだ!ということが分かってきて、まだまだすぐ不安に流されながらも、そうなる事すら大丈夫の一部、一つの過程であって、結局何もかも大丈夫なのだということを実感できるようになってきました。
心から感謝しています。

参考元サイト : シリーズ適切性と一致する⑥その1

【108さんのコメント】
ありがとうございます^^

 

◆ラッキーじいさんさん
「深刻にならない」というか「深刻な世界観にハマらない?」ってめちゃ大事だなと思いました。
昔映像製作の会社で編集してたんですが、何というか・・・映画観てても、同じ題材扱ってるのに、壮大なBGMを流して超絶ドラマチックかつ深刻気味に仕立てられたり、コメディにもアンニュイな感じにも編集できたり。
同じカットを使っても、次にはさむカットによって意味合いが変わってきたりしますよね。
同じようにこれまで積み重ねてきた脳内データベースと編集技術で、深刻好みの監督(私)がこだわりの映画(人生)を撮ってきたから、なかなか殻を破れないというか。
愛着があるというか。鑑賞者を気にしているというか。
言っちゃうと、それだけのこと〜♩というかw
たまにはコメディ撮ってみたり、効果音に「チーン・・・」とか付けちゃうとか。
製作そのものをやめる(荷を下ろすとか手放しとか)とか。
何かそうゆうの大事だなと思いました。
ちなみに私のエゴはメロドラマが好きみたいですw

参考元サイト : シリーズ適切性と一致する⑥その2

【108さんのコメント】
これに対しさささんが

◆さささん
面白いご意見だと思います。
私も結構真面目な性格で、物事に深刻に捉えがちなので、
今度深刻な場面に遭遇したり、深刻な考えが頭の中で止まらなかったら、頭の中で♫笑点のテーマ、♫ドリフのテーマ、♫サザエさんのED…など、笑えそうなBGMを流してみようと思います(笑)

参考元サイト : シリーズ適切性と一致する⑥その2

なかなかいいアイデアだと思う。
深刻なカットでもとぼけた音楽流したら、全然違う印象になるみたいなこと。
わたし達はドラマチックに考えすぎているというか、深刻になりすぎている。
自分の中で無意識に演出しようとしている側面があると思う。
ラッキーじいさんの仰る通りで深刻さを楽しんでいるみたいなところがある。

適度ならそれでいいが、どんどん荷物が重くなってきて自分が押しつぶされるぐらいまで追い込まなくていい。
適度なところで離れるべき。
それを楽しもうとしないで「ま、いっか」と思って気楽になっていくことが大切。

 

◆お笑いカワセミさん
「世界=自分」じゃないと思ってるから、その様な世界が現れてしまう (見てしまう) と。
ということは、その様な世界を現わしてるのが自分ということになるので、「自分=世界」つまり「世界=自分」であると?

参考元サイト : シリーズ適切性と一致する⑥その3

【108さんのコメント】
なかなか深いですね。
実際には自分=世界だし世界=自分なんだが、そう見えていない。
世界=自分じゃないと思っている。
つまりこの世界には不可抗力なことがある。

自分の考えだけではどうにもならないことがあったりして、災厄とかも降ってかかったりすると思いアチャーとかなったりする。
実際にはどんなことも自分が体験することは自分の向きや振動数だけで決まる。
ということはこの世界は自分の反映だし、世界=自分と言える。
実際そう。

それをどう捉えるか。
世界が自分じゃないと思い別にしてしまうと、その不可抗力のことによって苦しんだりすることも許容してしまうことになる。
実際のところはそうじゃない。

世界=自分なんだなと思えば、自分の範疇というか自分の体験したいことだけを体験すればいいと考えが変わってくると思う。
今までは自分が体験したくないことも体験しなくてはいけない、それはしかたないんだという考えだったと思うがそんなことはない。
これは自分が選んで体験しようとしているだけなのか、じゃあやめればいいんだなと思えばそれを体験しなくて済むことになる。
そういうふうに考えていく。
世界=自分、自分=世界というのは本当に真理そのもの。

 

◆kenta kenkenさん
108さん、動画更新ありがとうございます。
私自身、職を失い、家族に出て行かれ、借金が増え、不足を疑う、適切性との一致をしておりますが、状況は改善されず、悪化しているように思われます。
いつも「何のために生きているのか?死にたい」という思考が頭の中を駆け巡っております。
ただ、そんな中、108さんの動画を見ていると、安心し、なんとかなるんじゃないかという思いが出てきます。
「死にたい」「なんとかなるんじゃないか」という二つの思考が頭の中を駆け巡っております。
現実には何も変化はありませんが、108さんの動画にかすかな光が見えたりしています。
今後も動画の更新を頑張ってください。

参考元サイト : シリーズ適切性と一致する⑥その3

【108さんのコメント】
>職を失い、家族に出て行かれ、借金が増え
みたいなことを実際にkenta kenkenさんは感じられていることだと思うが、それは不足を勘定しているわけ。
さっきも言ったがドラマチックに捉えていて「実際にそうなんだよ」と仰るかもしれませんがどこに注目していくか。
わたし達の体験というのは自分の向いた向きのこと、自分の振動数によって決まってくる。
それだけのこと。

例えば自分は職を失って家族に出ていかれて借金も増えて悲惨だ!と思ってれば、その向きを向くことになるからまたそれを体験しちゃいますよってこと。
逆にそれを体験したくないんであればその向きを向かないこと。
だから不足を勘定しないということ。
なったかもしれないが、そんなことはみんな体験してる。
それを全部集積して自分はこんなに不足があるんだと、あんまり不幸のヒーローやヒロインみたいな考えないほうがいい。
「ま、いっか」と思って切り離して、今自分が充足のほうを向くことの方が大事。
それを向いたことによってまた不足が消えるんだろうかとなると、それは不足を乗せることになるし注目してるのは不足になってしまう。

充足を向きたくて不足を消すためにとやってしまうと、不足に注目しながらで向きが不足になってしまうからなかなか消えないということになってくる。
消えなくてもいいかと思えば、荷が下ろせる。
そのことによって不足の方を向かなくて済むし、振動数も楽になり気楽になれば充足になるから不足を体験する振動数ではなくなっていく。
そういうふうに切り替えていく。

じーっと状況を見てこれがなんとか変わってくれけなきゃ態度を変えないではなく、今変える事。
「ま、いっか」と思いまず気楽になること。
そうすれば振動数も軽くなり高くなって充足のほうに向いていく。

で、自分の不足を勘定しない。
それよりも自分が体験したいことは何だろう?と思う。
それは当然充足だろう。
これ体験したいなぁ・・・これ体験できたらいいなぁ・・・と思えば「いいな」と思った時点で充足の方を向いている。
振動数になっている。
その「いいな」になっておけばいい。

これがいつ顕現してとか、この不足はいつ消えるんだろうとか考えず「いいな」となっておけば完全に向きも充足だし振動数も充足になっている。
それを体験することになりますよ、それだけシンプルな原理なんですよということ。
たったそれだけのこと。
だからそれをやっていって下さい。
そしたら今すぐにでも変わっていいんです。

後で振り返ったらあんなことで悩んでいてバカみたいだったなということになると思う。
そうやっていろいろ苦労や不足を勘定してダメだと思った時期もそういやあったなみたいなことになる。
今から変わる。
たった今から変えればいいだけ。
そういうふうにやっていって下さい。

 

◆19 74さん
108さん、動画配信ありがとうございます。
適切性と一致する在り方を実践している者ですが、最近の出来事をご報告させていただきます。
ワンマン経営者の会社で働いていて、全くの誤解なのに一方的に経営者の怒りを買い、「あと一か月で○○円の契約をとってこい」と到底不可能な要求をつきつけられました。
一瞬「辞表を出してやる!」とこちらも怒り心頭に発してしまいましたが、「そうそう、適切性と一致だ。自動運転、自動運転」と思い出し、「まあいいや。会社に残る事が適切なことなら契約をしてくれるお客さんがやっってくるだろうし、会社を辞めることが適切ならば辞める事になるだろうし。とにかく一か月待ってみよう」と気持ちを切り替えました。
そうしたところ、あり得ない事に契約したいというお客さんが次から次へと現れ、経営者がつきつけてきた無茶な要求を達成しました(笑)
ちなみにその一か月間は「適切性・・適切性・・自動運転・・自動運転」と思って受け身に徹していました。
特に営業活動などしなくても本当に向こうから勝手にやってきました(笑)
今回は会社に残る事が適切な事だったようです。
私にしたらどっちでもよかったんですが・・・だってどっちに転んでも私にとって最も適切な事になるんですもんね。
今回の結果にも執着はしていません。
適切性が与えてくれる心の平安が何にも勝ります。
過去にどこかで読んだことのある、世界で最も読まれている書物の中の「「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」とはこういうことかーとしみじみ思います。
古(いにしえ)の賢者や現代のスピリチュアルリーダー的な方々、108さんのお話、表現方法が違うだけで本質は同じ事を示していると思いますが、私にとっては108さんの語られる切り口が一番しっくりと腑に落ちました。
108さん本当にありがとうございます。
適切性と一致するマジ最強(笑)

補足
何も求めなくても最初から完璧だったんですね。
「ない」という自ら仕掛けたトリック・・108さんのご著書「チケット」の構成、それに続くデバッグ、マジ神がかってて凄いと思います。
ちなみに私は108さんの回し者ではありません(笑)
あくまで一個人の体験談と感想としてここにご報告させていただきます。

参考元サイト : シリーズ適切性と一致する⑥その3

【108さんのコメント】
すごいですね。
適切性と一致することで何もしなくても完璧な充足になった。
何もしてなかったと仰っていますよね。
結果にも執着されてなかった。

辞めることが適切なら辞めることになるだろうと、そこで辞めたらどうしようとか思っていない。
それが自分の充足を左右しないというか、適切性に一致することが辞めることで充足になるんだから別にそれでいいじゃんと思っていた。
今回は辞めずに無理難題を押し付けられたのを勝手に達成されて辞めなくて良くなったというスーパー展開。

本当にそうなってくる。
だからもう自分で気に病む必要がなくなってくる。
どんどん荷を背負わなくて済むようになってくる。
自分がやってくことじゃないわこれということになっていく。
見事に適切性と一致させた例。

皆さんも1974さんのコメントを読み返してみて下さい。
いろいろ気づきがあるというか、自分の体験みたいにフィードバックできると思う。
実際に体験されたことなので、同じ振動数になると思いますよ。

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