不足を疑う part10のまとめ

108さんの不足を疑うpart10の動画が公表された。

早速まとめてみた。
108さん、しょっぱなから「7月も終わりですね~」
と言い間違いしていて面白い(≧▽≦)

 

◆ツルのひと声さん
釈迦仏教も心理学も言い当てた正解だけど、やがて当てはまらない現象に遭遇してしまう。
因果応報も●●も間違っていないけど、すべてそれじゃない。
その時代ごとの正解というか、抜けの段階の●●なのでしょうか。
なんか古い感じ。
もっと人の反応や思い込みが昔とは変わっていて、全体の現象も昔とは違っていて、合わない限界がある感じ。
以前からずっとそう思っていました。
散々恩恵を受け活かせるものもあるけど、主流にはおけない。
でも、これら古い教えに同化しちゃってて抜け出るのも一苦労の足かせでもある。
そうであるのに、仏教や心理学できればそれが展開するが、通用しないギャップ、叶わない、苦しい、不幸な感じ。
昔の非二元で生きればそれが展開するが、無欲な世捨て人のようになり、他人のドアマットにされてつらい不幸な感じ。
時代に合わず誰も幸せにできず、自分もならない。
こう思う人いるかなあ。そうじゃないのかな。
ずっと誰にも話せない、言い表せないことだった。
108さんの見たものが、すべてを解放した取っ払いで現代に合っているというか、そう思います。
参考元サイト不明

※このコメントがどの回を探しても見つからないので聞き取ったもの。
●●のところは、何回聴いてもも聴き取れないもの。

【108さんのコメント】
難解というか、哲学的なお話。
「こう思う人いるかなあ」と仰ってますが、私はすっごいよくわかります。
私、これ通ってきた道なんですよ。

仏教・心理学ができれば展開するんだけど、通用しない、叶わない。
特に間(はざま)に落ちる。
非二元で生きれたら人にいいように利用される。
自分の幸せと乖離していくことになっちゃう。

自分が体験してきたことなのでものすごいよくわかります。

ピンと来ていない方もいらっしゃるかもしれないですけど、その場合はスルーして下さい(笑)
仏教とか心理学とかも優れていて、生きていくうえで役に立ったりもすると思う。
ただ、これまでは本当のことが分かってなかったんだろうと思う。

それじゃあどういうふうに自分の充足に対して活かせばいいのか、どうすればそうなるのかっていうところでなかなかつながらなかったりする。
だから本当の原理のところがわかってないから言えなかったんだと思う。

私は原理そのままを言っています。
哲学というよりは原理。
私の考えで言っているわけではない。

こうなってますよ、だからこうしたら充足体験できますよっていうメカニズムのところの話をしている。
だから哲学はいらない。

それが一番必要なことだし、現代に合っているし本質のところだと思う。

みんなそっから離れちゃったから、どうやってそれを挽回すればいいんだ、充足になるんだって哲学的なことを活用してそうしようとしていた。
それはまず不足はあるんだと、幻想を前提にやることになってしまう。
どうやってこっからどう幸福に転じればいいのか。
どう解釈して自分の心を平穏にすればいいのかとなってしまう。

そもそもが、その不足っていう幻想は起きてない!

これ言ってる人はあんまりいなかったと思う。
だから、ずっと幻想の中でどうすればいいかってところの話しかなかった。

全てを解放したって言うのはその通りで、もうそれを活用しなくていいんだよ。
そういう瀬戸際にきている。
もう、時代というか私達がもたなくなってきた。

永遠ひたすらやってきたけど、もう無理だとなって力尽きていってるところ。
だからもうやらなくて良くなってる。

やらなくていいんだよ、と言えば楽になる。
やらなくていいのか・・・というのが本当のところ。
真理はそういうこと。

そっから離れたから戻る為に苦労した。
難しい考えとかいらない。
疑っただけで不足が消えましたってなってる。

だからもうそれでいい。
不足を体験する筋合いはない。
自分の中で決着つけなくていい。

それが本当のこと。

それが真理であり、神が私たちに与えていること。
そのまま受け取るためには、その幻想を活用しない。
その決心というか意思を持つ。

そのためには、不足を疑い荷を下ろすをやっていけば、それが知覚できることになる。
ああ、不幸はなかったんだとなる。
余計な哲学的なこともいらないとなってくる。
どんどんシンプルになっていくと思う。

もう苦労はいらないということ。

 

◆みんみんさん
容姿に自信が無い方なので、私はブスなのか?誰が決めたの?実はブスじゃないのかもなーんて疑ってみたら、立て続けに何人かの異性から「凄い美人ですね」「相変わらず美人ですね」言われました。
マスク生活ですが、マスク無しの顔を知ってる人からだったりもするし、そもそも疑ったあと、わざわざ「美人ですね」って証言がでてくるからビックリです。
あと、仕事でやりたく無い仕事させられる事を自分がやらなきゃいけないのか疑ったら、他の人がやってました!
お金関係はまだ出来てないので経験したいです。

参考元サイト : 不足を疑うpart9

【108さんのコメント】
セミナーなどでもよく言ってるが、容姿は自信持てばいいだけ。
それだけのこと。

自信持つかどうかだけの話。

自分の中に確証がないから自信が持てないとなったら、疑ってくださいと言っている。
容姿はわりと簡単に充足になる。
願望実現の中で、容姿の部類はハードル低くて簡単なほう。

自分の中で美人ではない・・・という定義だったのに、翌日すぐに美人だと言わている。

疑うことで、ギュッと掴んでたものが離れていった。

掴むことによって体験しようとしてたんだから、ゆるめれば本来の状態、充足があらわれて体験できる。
自分の中で定義かゆらいだ。
本来のものが出てきて体験ができた。

お金関係もできる、同じです。

 

◆canさん
108さん、こんにちは。
108さんの話にあまり出ない言葉ですが、潜在意識と顕在意識について。
私は今まで潜在意識とは、すべてを持っていて何でも叶えられる神様のような存在で、顕在意識の私は、持っていないから潜在意識にお願いして願望を叶えてもらうという認識でいたことに気づきました。
だけど実はそうではなくて、あらゆるパターンの願望が既に叶った状態のフィルムをもともと持ってるのが顕在意識のほうで、潜在意識は、顕在意識が作ったフィルムを再生させるだけの映写機のようなものかなと思いました。
だから願望を持った時点でフィルムはあるから、それにしようと決めれば潜在意識はスクリーンに投影してくれるということなんじゃないかなと思ったんですが。
108さんは潜在意識と顕在意識をどう認識されていますか。
ちなみに108さんの仰る別の領域とは、別の領域=潜在意識、エゴ=顕在意識ですか。
参考元サイト不明

【108さんのコメント】
なかなかこれいい着眼点ですね。
逆じゃないのか?本当は潜在意識がすべて叶えてくれると思っていた。
が、そうではなくて潜在意識は、顕在意識が作ったフィルムを再生させるだけの映写機のようなもの。

顕在意識のほうが何でも叶えられるほうのフィルムだという話をされている。
なかなか面白い考察だと思う。

「別の領域が潜在意識なのか?」は違う。
別の領域は潜在意識ではない。

もう潜在意識という考え方をやめていって。
潜在意識は割とポピュラーな概念になっているが、潜在意識という考え方をした時に、今は役に立たなくなってきている。
昔はそれがうまく功を奏したというか、役に立った時もある。

分析が進んだり、考察が進み、いろんな解釈とかしていってる中で、潜在意識を活用して願望実現させようとか、充足体験しようということが難しくなってきているから捨てていったほうがいい。

だから別の領域という概念にない言葉を使った。
それは潜在意識のことではなく、実像という意味。

叶えてくれるも何もない。
叶えてくれるというのは、幻想内での話。

潜在意識にインプットしたらそれが出てきて叶えられるというのは、幻想の中のメカニズムとしてそうなる。
そうじゃなくて、全部最初からあるんだ、全部叶ってるんだよというのを別の領域というかたちで表現した。

私達は最初からそこにいる。

手に入れなくても持っているし、失うこともない。
これまでの概念とか幻想の中の話ではない。
そことは別の話。
そっちに意識を移していって。

canさんの考察も面白いが、それよりもそういう感覚はやめていったほうがいい。

108になる前、いろいろ探求している時にさんざん潜在意識を活用するをやってみた。

α波だの、深い瞑想状態になって望む状態をありありとイメージして、潜在意識に何回も何回も繰り返しインプットしなきゃいけないと一生懸命やった。
何にもならなかった。
一切実現しなかった。

ところが、イメージした通りそのまんまじゃんというのを何回も体験している。
それは一生懸命やっていない。

そういう時は、ふっと何かの拍子にいいなと思っただけで終わってるやつはそうなっている。
わぁ!本当にそのまんまぴったりだというのを体験している。

潜在意識活用法とかでやる時に、一生懸命になる。
それがストレスになる。

その状態でネガティブな方を向いているんだから、そっから充足を体験できるわけがない。
当時を振り返ると、無意味なことをやっていたなと思う。

イメージしたものが出て来るのではない。
自分がいいなと思ったら、一致したらその振動数になるし、その向きになるからそれを体験しますってだけ。

繰り返しためこんでいって、それが熟して出て来るような話ではない。
そう捉えていると、一生懸命繰り返しこれやらなきゃいけないとなってしまうが、そういう話ではない。
それやってても無駄だから、やめたほうがいい。

そんな時間あるんなら、よっぽど自分の有意義な事に時間使ったほうがいい。
それよりも、今、肩から荷を下ろしたほうがいい。
今、楽になったほうがいい。
これやらなくていいのか・・・と思えば、その時充足の方に向きが向いている。

振動数も充足になっているんだから、そっちのほうがよっぽど充足を体験する。
自分が望むことを体験するほうに近づきますよってこと。

あと、不足を疑うに関してポイントを言っておきたい。
不足を疑ってどんどん成果報告があるが、実現しないと言う人もいる。

それは(肩に荷を)乗せてるんだが、不足を疑う時に、不足を疑うに対しても何かを乗せてないかっていうところをチェックしてほしい。

つまり不足を疑うことで、自分の望むことを体験したいってなってるなら、それは乗せてる。

この不足を疑うってことに対して責任を背負わせている。
だから、何でならないんだよ・・・っとなっている。

それによって、好意的に状況が変貌したり現象が変わると思っているのに、ならないということは、それにその責任を乗せて疑っているから。

単に疑うになっていない。

単に疑うは、何のストレスもプレッシャーも責任もない。
おかしいなあ…と単に疑う時って何も考えていない。
単に変だなぁとか、ホントに?と思っているだけ。

自分の願望を実現したいとか、苦を取り除くためにとか思っていると、そこに乗せてしまう。
そこをチェックしてみて。

疑う時に、何か乗せてないか、ストレスかかってないか、無理矢理やってないか、ここで何か成し遂げようとしてないか・・・と。
気付いたら下ろせばいい。

違う違うそうじゃなかった、何にも現象とか関係ないんだった、単に疑っているだけなんだと。
単純に疑って。

ストレスもかかっていないので、単純におかしいな?で終わる。
それでいい。それが単に疑う。

不足を疑うことになって、不足は消える方向。
メソッドみたいな感じでこれをやって効果を出すというようなことではない。
自分の望む結果と切り離してみて。

その結果出なくてもいいから疑ってみようってこと。
楽に疑う。単に疑うということ。

 

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潜在意識については、エイブラハムも関係ないよ!と言っている。

潜在意識は、今の時点から更に深堀していくようなものなので、意味がないというか時間の無駄みたいなことを言っていた。
山登りに例えると、「今」いるところをわざわざ掘って深いところから上りはじめましょう・・・というものらしい。

そのほうが楽しめるからみたいな^^;。

それよりも、「今」の地点から上り始めても面白いでしょ?
別に深く掘らなくても、「今」から始めましょう・・・みたいなことを言っていたと思う。

こういうのも時代的なものがあって、昭和のように「根性で頑張る」みたいな感じなのかな。

今は、不足を見ないで充足だけを感じ、らく~に楽しくお気楽にいけばいい♪
なんてステキな時代なの^^

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